首相に対する”死ね”は許されるのか? 週刊プレイボーイ連載(620)

Meta(旧Facebook)の投稿対応をチェックする監督委員会は、岸田首相に対して「死ね」と書いたSNS「スレッズ」のコメントを削除した判断について、「(削除は)不必要であり、Metaの人権に関する責務にもそぐわない」と判断しました。

監督委のホームページに公開された決定書によると、あるユーザーが自民党の政治資金問題に関する投稿に、「#死ね脱税メガネ」「#死ねゴミ汚物メガネ」などのハッシュタグをつけてコメントしたところ、投稿管理をするMetaのモデレーターがこのコメントを削除、ユーザーが「削除は言論の自由を妨害する」として上訴しました。監督委は法学者、ジャーナリスト、人権活動家など21名から構成された第三者機関で、Metaがコンテンツに関して下した決定に対する審査を行ないます。

日本では「死ね」という大量の罵詈雑言を浴びた女子プロレスラーが自殺した事件が起きましたが、Metaの「いじめと嫌がらせ」に関するポリシーでも、未成年や一般の成人に対する暴力的表現は無条件で削除されます。

議論が分かれるのは、国家元首や政治家など公人に対し、政治的な批判をするケースです。

ヒジャブ着用をめぐるイランの抗議デモでは、「(最高指導者である)ハメネイを打ち倒せ」とした投稿が、「ハメネイに死を」の意味にもとれるとして削除されました。このケースでも監督委は削除を取り消して投稿を復活させましたが、暗殺の標的となった政治家(たとえばトランプ)に対する「死ね」の投稿は認めないでしょう。

そうなると、「許容できる“死ね”」と、「許容できない“死ね”」を区別しなければなりません。

Metaのガイドラインでは、公人・著名人の「高リスク者」を特別な保護の対象にしています。その基準は「国家元首」「暗殺未遂に遭った者」などで、岸田首相はどちらにも当てはまります。

もうひとつの基準は、文字どおりの意味で暴力を扇動しているのか、それとも「反感や非難を表わす比喩的表現」として使われているかです。

Metaのモデレーターは前者の基準で投稿を削除しましたが、監督委は後者の基準で投稿を復活させたのです。

監督委は、独裁国家などを念頭に、民主化を求める投稿を過剰な規制で抑制することを強く懸念しています。しかしその一方で、暗殺や暴動を扇動するような投稿は即座に削除しなければなりません。

監督委の勧告に従って、人間のモデレーターが一つひとつの投稿を文脈に応じて判断していたら、膨大な人員を配置してもとうてい処理しきれません。これでは緊迫する事態にはまったく対応できないので、そのリスクを考えれば、一律の基準で無条件に判断したくなる気持ちもわかります。この問題に、安易な答えはないのです。

Twitter買収後に、イーロン・マスクはモデレーターを大量に解雇したことで強い批判を浴びました。しかしこの事案をみると、言論・表現の自由と、個人のプライバシーや安全の対立を、司法機関でもない民間企業や、法曹資格をもっているわけでもない(多くは非正規の)スタッフが適切に扱えるのか、疑問に思わざるを得ません。

SNSを運営するグローバルなプラットフォーマーは、「コンテンツモデレーションという地獄」にはまり込んだようです。

『週刊プレイボーイ』2024年10月21日発売号 禁・無断転載

政治は社会・経済問題をほとんど解決できないが、それでも選挙に行く理由はある

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

衆議院選挙の投票日が近づいてきたので、2021年11月4日公開の「民主的な選挙でも現職が勝つ確率が圧倒的に高く、 政権交代はめったに起らない。 それでも選挙に行く理由とは?」をアップします(一部改変)。

Kazuno William Empson/Shutterstock

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わたしたちはなぜ選挙に行くのだろうか? これについてはアメリカの政治学者イリヤ・ソミンの「政治的無知」説を紹介した。

参考:あなたの一票には意味があるのか?

ソミンによると、国政選挙の一票の価値はほぼゼロなので、有権者は候補者についてなにも知らないまま義務的に投票するか、スポーツファンのように選挙をエンタテインメントとして(あるいは自らのアイデンティティの証明として)「部族的・党派的」に投票するかのどちらかだという。

これは説得力はあるものの、ずいぶんと後ろ向きの論理に思える。そこで、同じアメリカの政治学者であるアダム・プシェヴォスキの『それでも選挙に行く理由』(粕谷祐子、山田安珠訳/白水社)を手に取ってみた。原題は“Why Bother with Elections?”で、「なぜわざわざ投票するのか?」という感じだろうか。

プシェヴォスキは1940年ポーランドに生まれ、ワルシャワ大学を卒業したあと1960年代にアメリカに留学して博士号を取得、シカゴ大学教授などを経て現在はニューヨーク大学政治学部長。ちなみにソミンも旧ソ連に生まれ、アメリカで高等教育を受けている。アメリカで活躍する旧ソ連・東欧出身の政治学者2人が、ともに「民主的な選挙には正当な根拠があるのか」について論じているのは興味深い。

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株価が乱高下しても確実に儲けることはできるのか? 『文藝春秋』11月号寄稿のおまけ

『文藝春秋』11月号に「インフレに克つ 臆病者の資産防衛術」を寄稿しましたが、当初の依頼は「株価が乱高下しても儲けられるか?」だったので、HFT(高頻度取引)とヘッジファンド、ルネサンス・テクノロジーズのことを書きました。その後、文春本誌の読者はこのような話にはあまり興味がないのではと思い直して、金融商品でインフレにヘッジする話に変えました。

せっかく途中まで書いてもったいないので、自分のブログで公開することにします。

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日本の株価が7月末から8月半ばにかけて乱高下したことで、今年に入ってNISAで株式投資を始めたひとが動揺しているという。投資家の不安を軽んじるわけではないが、しかしこれはまるっきり理屈に合わない。

株価の暴落で驚いて売り、株価が上昇したときに、まだ上がるだろうと買っていたのでは、「高いときに買って、安いときに売る」を繰り返すわけだから、どんどん損が積みあがっていく。これは考えられるなかで、最悪の投資法だ。

だったらどうすれないいのか。シンプルな答えは、「なにも気にせず、放っておく」になる。日本株は1989年末のバブル最高値を超えるまでに(なんと)35年もかかったが、これは特殊なケースで、世界全体の株式市場や、その代替としてのアメリカ市場は、インターネットバブルの崩壊や世界金融危機、コロナショックなどがありながらも、年率5~7%で右肩上がりに上昇している。

過去は未来を映す鏡ではないが、だからといって、これからもAI(人工知能)のようなテクノロジーが指数関数的に発達するだろうから、このトレンドがいきなり変わると考える理由はない(あなたが、気候変動で映画『マッドマックス』のような世界が到来すると考えているなら別だ)。

さらに積み立て投資(ドルコスト平均法)では、将来的に株価が上がるのなら、暴落は平均購入単価を下げる絶好の機会になる。都合のいいことに「つみたてNISA」ではこれ以外の投資はできないのだから、株価の下落は将来の利益を大きくする幸運な機会だと考えればいいのだ。

これが経済学的にもっとも正しい投資法で、『新・臆病者のための株入門』でもそのように書いたのだが、ここではちょっと視点を変えて、リスクがなくて儲かる方法がないか考えてみよう。もちろん、このように思わせぶりに書く以上、そのような“夢の投資法”は存在する。

10億分の1秒を争う男たち

Aさんがトヨタ株を2500円で1000株買いたいと思っていて、Bさんが2490円で1000株売りたいとしよう。そこで、Bさんから買った株をAさんに売れば、1株あたり10円、1000株で1万円の利益になる。株式市場の仲買人(ブローカー)というのは、ずっとこういう仲介業務をして稼いできた。

だが1990年代になると、「場立ち」による取引所の仲介は、投資家に損失を押しつけることで既得権を守っているのではないかと批判されるようになった。より公正な仲介者が、トヨタ株をBさんから2494円で買い、Aさんに2495円で売れば、仲介者の利益が10分の1(1円)になることで、AさんもBさんも利益を得られるからだ。この「公正な仲介者」とは、もちろんコンピュータのことだ。

ここまではものすごく理にかなった話だが、取引所が電子化されると、予想もしないことが起こった。

この取引では、1株あたり1円、1000株でも1000円の利益しか得られない。それっぽちじゃ意味がないと思うだろうが、この取引を1日に1万回やれば利益は1000万円、10万回なら1億円だ。取引所の営業日を年250日とすれば、右から左に株を取り次ぐだけで250億円もの利益が手に入る。それも、取引するのはコンピュータのアルゴリズムだから、ただ見ているだけでいいのだ。――これは「HFT(高頻度取引)」と呼ばれる。

重要なのは、この取引にはリスクがないことだ。わずかに安く買った株を、わずかに高く売れば、確実に小さな利益が手に入る。損失を被ることなく、大金が手に入る夢の投資法なのだ。

HFTのよいところは、仕組みがシンプルで誰でも理解できることだ。悪いところは、そうなると自分も儲けたいという業者が殺到することだ。

株式市場の規制緩和でみんながこのゲームに参加できるようになると、たくさんのライバルのなかから、売り注文と買い注文をすこしでも早く約定させた業者が利益を独り占めするようになった。残りの業者は脱落するという厳しい競争で、株式の仲介業務はF1レースと同じスピード勝負になった。

アメリカでは、ニューヨーク証券取引所やナスダックのサーバーはニュージャージー州に置かれている。ウォール街から売買指示を出していると、サーバーに届くまで何ミリ秒かの遅延が生じる。そこで、取引所のサーバーの隣に場所を借りて、自社のコンピュータを置く業者が現われた(これを「コロケーション」という)。

しかし、スピード競争はこれだけで終わらない。先物市場のあるシカゴと、ニューヨークの株式市場の価格のちがいを利用すれば、同じように無リスクで儲かることに気づいたからだ。

この場合は、HFT業者は往復の通信時間をどこまで短くできるかを競うことになる。2010年には、3億ドルの巨費を投じて、シカゴからニュージャージーまでの地下を、山や川などの地形を無視し、住宅地では地権者から地下の権利を買い取って、一直線に光ケーブルで結んだ業者が現われた。これは『ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち』という映画になっていて、カンザスからニューヨークまで往復で17ミリ秒かかっていたのを、光ケーブルを敷設することで1ミリ秒(ハミングバードの1回の羽ばたき)短くする“夢”に賭ける男たちが描かれている。

だがこの「直線ケーブル」も、光速に限りなく近い「マイクロ波」にとって代わられ、現在は、どんな物質でも通り抜けられるニュートリノを使って、ニューヨークと東京のような地球の裏側にある取引所同士をダイレクトにつなぐことが検討されている。

なぜこんな「異常」なことになるかというと、これが「無リスクで儲かる」話だからだ。そんなおいしい話にはみんなが殺到するので、その果実を手に入れるために、常軌を逸したはげしい競争が起きるのだ。

年率66%の驚異のヘッジファンド

“夢の投資法”は存在するものの、超高速取引に参入するためには、巨額の設備投資とプログラミングの高度なスキルが必要になる。それでも成功できるかどうかわからないのは、大金を賭けて世界中の天才たちがこのビジネスに参入しているからだ。

だとしたら、「無リスク」でなくてもいいから、ほぼ確実に儲かる方法はないだろうか。もちろん、それを実現した投資家も存在する。

ルネサンス・テクノロジーズが運営する「メダリオン」というヘッジファンドは、1988年の設立以降、記録のある2018年までいちども損失を出したことがないばかりか、その収益率は年平均66.07%という驚くべき成績を残している。これがどれほどとんでもないかというと、設立時にこのファンドに投資した100ドルが、31年間で3億9870万ドルに増えたことになる。

同じ期間に株式市場のインデックスに投資すると、最初の100ドルが18倍の1815ドルに増えている(年率9.98%)。これも素晴らしいパフォーマンスだが、メダリオンの(理論上の)収益額は市場平均を20万倍以上も上回ったのだ。――このファンドを設立したのは数学者のジム・サイモンズで、今年の5月に86歳で死去したが、その個人資産は314億ドル(約4兆4000億円)と推計されている。

なぜこんなことが可能になったのか。メダリオンは人工知能の専門家が設計し、市場の大量のデータを瞬時に解析して短期の利益を積み上げていくとされるが、どのような取引を行なっているかは徹底的に秘匿されている。それでもヒントはあって、このファンドの幹部は、「正しかった取引は50.75%」と述べている。大雑把にいえば、10回の取引のうち4回は損をして、利益が出るのは6回だけなのだ。それでもこうした取引を世界中の市場で何百万回も行なうと、塵のような利益が積みあがって、莫大な富を生み出すことになる。

しかしメダリオンには、市場で短期売買を繰り返すという戦略上、運用できる資金に上限がある。この制約によって、運用資金は2009年までは50億ドル、それ以降は100億ドルに増えたが、それがモデルの限界のようだ。そのため外部投資家の口座は閉鎖され、投資できるのはファンドの創設者や幹部、社員だけになった。

簡単にいうとこのファンドは、1兆円の元本から毎年、6000億円から8000億円の利益を生み出し、それを再投資することなく300人の社員に払い戻しているのだ(そのため社員は、多額の所得税を納めている)。

超高速取引やAIを使った短期売買は運用資金に制約があり、成功しているヘッジファンドは外部の資金を受け入れなくなった。当然、自分たちの存在を宣伝する必要もなく、いまでは超高収益のファンドのほとんどは金融業界の人間しか知らない無名の会社だ。

それに対して、将来の経済状況や会社の収益を予想して株式を買い持ちしたり、空売りしたりするファンドは、安定した収益をあげるのが難しくなってきている。株式を頻繁に売買すれば、HFT業者のいいカモになるだけなのだ。

世界金融危機など株価が大きく動くときに適切なポジションをとり、巨額の利益をあげて注目を集めるヘッジファンドもある。こうしたファンドには富裕層の投資家が殺到するが、統計学でいう平均への回帰によって、同じような収益を続けることは難しい。結局、運用資産を減らしたり、損失を出してファンドを閉じたりすることになる。

メダリオンのような“夢のファンド”はいくつか存在するが、そこに投資するためには会社の一員になるしかない(社員のほとんどは一流大学で博士号を取得し、将来を嘱望された若手の数学者だ)。そうでなければ、設立されたばかりのヘッジファンドに投資して大きく当てるのを期待するしかないが、そのように幸運はめったにないし、最初から詐欺のことも多い。――ルネサンス・テクノロジーズにはメダリオン以外に、外部投資家に開放されている2本のファンドがあるが、そのパフォーマンスは平凡なものだ。

ここでも、話は同じだ。市場には歪み(収益機会)があり、それを利用する“おいしい話”があることは間違いない。だがその果実を手に入れるには、とてつもなく厳しい競争に勝ち抜かなくてはならないのだ。

【参考文献】
マイケル・ルイス『フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち』渡会圭子、東江 一紀訳/文春文庫
スコット・パタースン『ウォール街のアルゴリズム戦争』永野直美訳/日経BP
グレゴリー・ザッカーマン『最も賢い億万長者 数学者シモンズはいかにしてマーケットを解読したか』水谷淳訳/ダイヤモンド社
マイケル・ルイス『1兆円を盗んだ男 仮想通貨帝国FTXの崩壊』 小林啓倫訳/日本経済新聞出版