「解雇規制の緩和」に反対する”差別主義者”たち 週刊プレイボーイ連載(618)

石破茂氏が自民党の新総裁に選出されましたが、選挙戦で注目されたのは解雇規制の緩和です。

この問題を考えるには、「そもそも日本的雇用とはなんなのか?」から始めなければなりません。これは一般には、日本が年功序列と終身雇用の「メンバーシップ型」、アメリカが仕事の内容に応じて採用や解雇を行なう「ジョブ型」だとされます。

最近はメディアもこのような説明をしていますが、これははっきりいって詭弁です。そもそもメンバーシップ型の雇用制度をもつ国は、もはや日本くらいしかないのです。

バブル崩壊後の1990年代に、経済学者らが雇用制度を欧米型に変えるべきだと主張したときは、「ネオリベ」のレッテルを貼られ、はげしい批判を浴びました。それから20年ちかく、右も左も「雇用破壊を許すな」の大合唱を繰り広げてきました。

そんなひとたちが最近になって黙るようになってきた理由のひとつは、日本の労働生産性が先進国では最低レベルで、アメリカの労働者の半分くらいしかないことが繰り返し示されたことでしょう。給料が増えないのは「グローバリズムの陰謀」ではなく、過労死するほど働いてもぜんぜん稼げていないからなのです。

さらなる“不都合な事実”は、OECDを含むあらゆる調査で、日本のサラリーマンのエンゲージメント(仕事への熱意)がものすごく低いことが明らかになったことです。日本人は世界でもっとも仕事が嫌いで、会社を憎んでいます。「日本的雇用が日本人(男だけ)を幸せにした」という主張は、真っ赤なウソだったのです。

メンバーシップ型の雇用制度は、社員をタコツボに入れて、そこから出られないようにします。新卒で入社すれば「正社員の既得権」が手に入りますが、転職した会社で同じ「権利」はもらえません。会社を変わると不利になることが、日本の労働市場の流動性を低くしています。

しかしより重要なのは、メンバーシップ型の雇用制度が差別の温床になることです。

日本の会社は「イエ」制度で、メンバー(正社員)であるかどうかで「身分」が決まります。正社員と非正規のグロテスクな「身分差別」がここから生じますが、「あらゆる差別に反対する」はずの労働組合や、組合を支持基盤にする「リベラル」政党は、この問題に見て見ぬふりを決め込みました。裁判所から「不合理な待遇格差は違法」という判決を出されて、イヤイヤ対応しているのが実態でしょう。

それ以外でも、親会社からの出向と子会社のプロパー社員の給与格差は同一賃金・同一労働の原則に反します。海外子会社の現地採用と本社採用は「国籍差別」そのものでしょう。メディアがこの問題に触れたがらないので多くの日本人が誤解していますが、世界でジョブ型雇用な主流になるのは、「ウチ」と「ソト」を分けるメンバーシップ型雇用の差別的慣行が、リベラルな社会では許されないからです。

差別を容認する者は、定義上、「差別主義者」です。戦後日本の不幸は、「リベラル」を自称するメディアが、「働く者の安心を守れ」という美名の下に「差別」を煽り、なおかつそのことに気づいていないことです。

総裁選の候補者には、「日本をリベラルな社会にするために、日本的雇用を破壊しなければならない」と、堂々と主張してもらいたかったと思います。

参考:「いまこそ「金銭解雇の法制化」の議論を始めよう」

『週刊プレイボーイ』2024年9月30日発売号 禁・無断転載

トランプを支持する白人は「人種主義者」なのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

米大統領選が近づいてきたので、トランプ時代のアメリカについて書いた記事をアップします。今回は2017年9月14日公開の「欧米で台頭する「白人至上主義」は 「(マイノリティとなった)白人の文化を尊重せよ」という多文化主義」です(一部改変)。

Johnny Silvercloud/Shutterstock

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南北戦争で南軍の英雄だったロバート・リー将軍の銅像を市内の公園から撤去しようとする計画に白人の極右団体などが反発し、アメリカ南部のバージニア州シャーロッツビルに集結した際に、極右の若者が反対派に車で突っ込み死者1名と多数の負傷者が出た。この事件に対し、トランプ大統領が「一方の集団は悪かったが、もう一方の集団もとても暴力的だった」などと“喧嘩両成敗”的な発言をしたことで、「人種差別」とのはげしい非難にさらされることになった。

シャーロッツビルに集まったような「極右」の白人たちは、アメリカのエリートから「レイシスト」のレッテルを貼られて毛嫌いされている。だが『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、デイヴィッド・ブルックスは、彼らを「保守的な白人アイデンティティ主義者」と呼び、人種差別と共通する部分もあるが、両者は同じものではないと述べている。

米国公共宗教研究所の調査では、共和党員の約48%が米国のキリスト教徒が多くの差別を受けていると思い、約43%は白人が多く差別を受けていると考えているのだという。この調査を受けてブルックスはいう。

「人種差別というのは、ほかの人が自分より劣ると感じることだ。白人アイデンティティ主義は、自分が虐げられていると思うことなのだ」(朝日新聞2017年9月8日付朝刊「コラムニストの眼」)。

「白人アイデンティティ主義」は人種主義の一種ではあるものの、それを一概に「人種差別」と決めつけることはできない。彼らは、「自分が白人であるということ以外に、誇るもの(アイデンティティ)のないひとたち」なのだ。 続きを読む →

石破茂さんのこと(『80’s(エイティーズ)』番外編)

石破茂さんが首相に選出されたので、『80’s (エイティーズ)  ある80年代の物語』の番外編として、むかしの思い出を書いてみることにしました。

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ぼくが月刊誌の編集長をやることになったのは1994年で、その前年には自民党が政権の座から転落して細川連立政権が成立し、その後、自民党と社会党が(あり得ない)連立を組んで政権を奪還した。論壇誌では毎号、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が戦わされていて、ぼくは政治にはまったくの素人だったけれど、政治家のコラム連載がひとつくらいあってもいいんじゃないか、と思いついた。

編集部で「誰か、いいひといないかなあ」と聞くと、最近、インタビューした面白い政治家がいるという。それが石破さんなのだが、不勉強なぼくはどんなひとかまったく知らなかった。それでも、とりあえず会いにいくことにした。

石破さんは1986年の衆院選に自民党から出馬して29歳で初当選し、93年に宮澤内閣の不信任決議に賛成して公認を得られず、無所属で当選したのち、小沢一郎が率いる新生党に参加した。ぼくが会ったのは、そんなときだったと思う。

打ち合わせの場所として石破さんが指定してきたのは、議員事務所ではなく、国会議事堂の中にある国会図書館の分室・議員閲覧室だった。なぜそんなところにするのか不思議だったのだが、石破さんは時間があると、ここで資料を調べ、政策について考えているのだった。

そのときどんな話をしたのかもう覚えていないのだが、学校の先生のように、噛んで含めるような話し方をするひとだなあ、と思った。石破さんは、すぐ近くにこんな立派な施設があるのに、自分以外の議員はまったく利用していないと、政治家の不勉強を嘆いていた(これがその後、他の政治家から「上から目線」などと嫌われることになったのだろう)。

その場で連載を依頼すると、石破さんは快諾してくれた。石破さんが目指す政治についてはよくわからなかったが、正直にいうと、雑誌のリニューアルでものすごく忙しくて誰でもよかったのだ。

その翌年は年明けに神戸で大きな地震があり、3月には地下鉄サリン事件が起きて日本中が大騒ぎになった。ぼくがやっていた雑誌は、このカルト教団を擁護しているのではないかと、強い批判を浴びることになった(その経緯については『80’s(エイティーズ)』を読んでほしい)。

そんなときも石破さんは、なにもいわず、毎号、締め切り前にきちんと原稿を送ってくれた。

オウム事件でワイドショーに繰り返し取り上げられたことで、はじめてぼくの雑誌を知ったひともたくさんいた。ほとんどのひとは、テロ集団の肩をもつなんて、どんな反社会的な雑誌なのかと思って、書店で手に取っただろう。

でも実際に読んでみると、「思ったよりちゃんとしてるじゃないか」という反響がかなりあった(それほどヒドい言われようをしていたのだ)。とりわけ、日ごろから論壇誌を熱心に読んでいる硬派の読者が、石破さんのコラムについて触れていた。「保守派の政治家が連載をもっていて驚いた」というのだ。

その当時はネットがないので、読者は葉書や封書で感想を送ってきた。ある年配の読者は、「石破茂氏は、私がもっとも期待している若手の政治家です」と書いたうえで、「日本の未来を担う政治家に連載させるという慧眼に感服しました。貴誌はオウム事件で叩かれていますが、メディアの偏向に負けず、これからも頑張ってください」という長文の手紙を送ってきてくれた(この読者の期待には添えず、その後、しばらくして雑誌は休刊してしまった)。

石破さんはもちろん、こんな30年も前の些細なことをまったく覚えていないだろうが、ぼくは石破さんの連載が雑誌をバッシングから守る盾になってくれたことをずっと恩義に感じていた。それが、首相就任を機に、むかしのことを書いてみようと思った理由だ。