よりよい世の中をつくる「暗殺市場」? 週刊プレイボーイ連載(370)

インターネットには、特殊なブラウザを使わなければアクセスできない「闇(ダーク)ネット」と呼ばれる隠された領域があります。そこではドラッグや児童ポルノなど、公序良俗に反し法で禁じられているさまざまなものが取引されていますが、「暗殺」も例外ではありません。

とはいえ「暗殺市場」には、「必殺仕事人」のようにお金を受け取って恨みをはらす業者がいるわけではありません。――そのようなサイトもありますが、ほぼすべて詐欺だといいます。

「暗殺市場」の仕組みは単純で、リストに掲載された人物にみんなが懸賞金を払い、その死亡日を予言するだけです。そして、予言が当たると賞金が支払われます。

これがなぜ「暗殺」になるのか、すこし説明が必要です。

世界でもっとも憎まれている政治家は、おそらくドナルド・トランプでしょう。「あんな奴、この世からいなくなればいいのに」と思っているひとはたくさんいるでしょうが、そんなときは憂さ晴らしにトランプの懸賞金を積み増すことができます。

最初は少額でも、トランプがTwitterでリベラルの神経を逆なでするたびに懸賞金の額は増えていくでしょう。いつのまにかその額は、1億円、あるいは10億円になるかもしれせん。

そうなると、死亡日をぴたりと当てればこの大金が手に入ると思いつく人間が出てきます。でも「デスノート」を持っているわけでもないのに、どうすればそんなことができるのでしょうか。それは……という話になるわけです。

「懸賞金の受取人を調べれば犯人はすぐわかるじゃないか」と思うでしょうが、闇ネットでビットコインをやりとりすれば追跡は困難です。完全犯罪さえ可能なら、一夜にして大金が転がり込んでくるのです。

いったい誰がなんのために、こんなとんでもないことをするのでしょうか? それは、「よりよい世の中」をつくるためです。

ここでまた説明が必要になります。

あなたが政治家で、ある日「暗殺市場」のリストに自分の名前が乗っていることに気づいたとします。懸賞金は1万円か2万円で、たんなる嫌がらせだと無視したのですが、その金額は毎日すこしずつ増えていきます。

けっしていい気分はしないでしょうが、闇ネットは国家権力の立ち入ることのできない「聖域」なので、警察に相談してもなにもしてくれません。だとしたら、あなたにできることはひとつしかありません。みんなが喜ぶような、よい政治をすることです。

こうして「暗殺市場」のある社会では、政治家は暗殺を避けるために、私利私欲を抑え、敵をつくらず、公平で民主的な政策を推し進めるようになるのです……。

シリコンバレーには「サイファーパンク」と呼ばれる変わり者がいて、テクノロジーを使って世界をより効率的に「設計」しようと、本気でこんなことばかり考えています。その理想は、他人への信頼がいっさいなくても(性悪説で)社会がうまく機能するアルゴリズムを見つけることです。

いまはたんなるブラックジョークにしか思えなくても、テクノロジーは驚異的な勢いで進歩していて、いずれ「暗殺市場」を超えるアイデアが出てくるでしょう。人類の運命を変えるXデイは、それほど遠くないかもしれません。

参考:ジェイミー・バートレット『闇(ダーク)ネットの住人たち―― デジタル裏世界の内幕』(CCCメディアハウス)

『週刊プレイボーイ』2019年2月4日発売号 禁・無断転載

第81回 ダウと日経平均、株価に陰謀?(橘玲の世界は損得勘定)

久しぶりに田舎に帰って同窓会に出たのだが、その二次会で、私が金融についての本を書いていることを知っている友人から質問を受けた。日経平均とダウ平均(ニューヨーク株価)で、なぜこれほど株価がちがうのか、というのだ。

日経平均が2万円、ダウ平均が2万ドルとして、1ドル=100円で円換算すると200万円になる。友人の疑問は、アメリカの株価がなぜ日本の100倍にもなるのか、というものだった。

「株式指数を円換算して比較しても意味はないよ」と答えたのだが、「でも日経平均は225社の、ダウ平均は30社の株価の平均でしょ」という。これはたしかにそのとおりだ。

「いまの株価を単純平均してるわけじゃないから」と説明しようとして、はたと困った。株式の分割や合併、銘柄の入れ替えによって指数は繰り返し調整されてきているが、どのような経緯で現在の株価になったのか知らないのだ。

そこで、「株価が高いか安いかは重要な問題ではないよ」と話を変えてみた。株式を10分割すれば株価は10分の1になるが、会社の価値は変わらない。株価1000円の会社より1万円の会社の方が規模が大きいということにはならないのだ。

だがこの作戦も、さしたる効果はないようだった。彼は日本とアメリカの会社を比較して、どちらの株価が高いかを問題にしているのではなく、なぜアメリカ市場の平均株価が日本市場の100倍なのか知りたがっているのだ。

そこで、アメリカと日本の株式市場の時価総額を持ち出して、「米国市場は世界の約半分、日本市場は1割を切っているけど、その差はせいぜい6倍くらいだよ」と答えた。しかしそうなると、株式市場の時価総額が6倍なのに「平均株価」がなぜ100倍なのか訊かれることになり、やはり答えに窮してしまう。

ことここに至って、降参するほかなくなった(うまく説明できるひといますか?)。そこで、なぜそんなことに疑問を持つのか逆に訊いてみた。

私は根本的に勘違いしていた。株価指数についてのテクニカルな質問だと思っていたのだが、彼がいいたかったのは、日本に比べてアメリカの株価が「100倍」も高いのは、なにかの「陰謀」にちがいないということだった。隠された秘密がなければ、こんな極端なことが起きるわけがないというのだ。

世の中には、あらゆるところに「陰謀」を見つけるひとがいる。一時期は「TPP(環太平洋パートナーシップ)協定はアメリカの陰謀」と大合唱していた「知識人」たちがいたが、トランプは「TPPはアメリカにとってなにひとついいことがない」としてさっさと脱退してしまった。なぜこんなことになるかというと、実態が明らかでないなら、どんな陰謀論も(なんとなく)合理化できるからだ。

なるほど、こうして「陰謀論」が生まれるのかと驚いたが、彼が納得するような回答をするのは私の力量では無理だと思い知らされて、あいまいな笑いとともにその場を去るしかなかった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.81『日経ヴェリタス』2019年1月27日号掲載
禁・無断転載

厚労省が失態を繰り返すのは「素人」だから 週刊プレイボーイ連載(369)

雇用保険や労災保険の算出にも使われる「毎月勤労統計」の不適切調査で、厚生労働省がふたたび大きく揺れています。ただし報道を見るかぎりでは、事件の本質は半年ほど前に起きた裁量労働制についての調査データの不正とまったく同じです。

なぜこんな失態を何度も繰り返すのでしょうか? その理由はきわめて単純です。素人がやっているから。

日本の会社の際立った特徴はスペシャリスト(専門家)をつくらないことで、「ゼネラリストを養成する」という建前のもと、数年単位でまったく異なる部署に異動させていきます。

総務部から営業部への異動や、経理部から地方支店への転勤など、日本の会社で当たり前のように行なわれている人事を聞くと、海外のビジネスパーソンは腰が抜けるほど驚きます。世界標準の働き方では、学歴・資格で仕事の内容が(おおよそ)決まり、専門外の分野に移ることはないからです。

世界でも特異な日本的雇用慣行は役所も同じで、上司や部下が専門とはまったく関係のない部署から異動してくることは日常茶飯事です。――私の知人は、芸術文化振興の部署から自治体病院の事務局長に異動しました。厚労省の統計部門の詳細はわかりませんが、大学や大学院で統計学の専門教育を受けたスタッフはほとんどいなかったのではないでしょうか。

今回の不祥事は、統計の基礎すら知らない素人が集まっていると考えるとすっきり理解できます。

不正のきっかけは2004年に東京都から「全数調査が大変だから抽出に変更したい」と相談されたからのようですが、法律に違反するにもかかわらずあっさり認めてしまったのは、全数調査と抽出調査のちがいが理解できなかったからでしょう。

その後、一部の職員が不適切な調査に気づき、全数調査の結果に近づける補正を行なうのですが、こんなことを気軽にやるのは、統計を自分たちの都合で勝手にいじっていいと思っていたからです。

不正が明らかになっても過去の経緯が不明なのは、組織的に隠蔽しているというより、担当者が何人も代わって誰がなにをしたのかわからなくなっているのでしょう。

過去の統計資料を廃棄していたことも明るみに出ましたが、これも悪気があるのではなく、「どうでもいい」と思った担当者が独断で捨てていたと考えるのが自然です。

野党はこれから「統計不正」を追求するようですが、その際は、2004年以降、統計を担当した者の専門性(法学部の学士などがたくさんいるのでは)を調べてはどうでしょう。厚労省職員は相次ぐ不始末の原因に「多忙」をあげるようですが、なぜ長時間労働になるかというと、能力を超えたことをやらされているからです。

ではどうすればいいのか。問題の本質が専門性の欠如なのですから、解決策はかんたんです。

まず、統計を扱う部門をすべての省庁から切り離し、イギリスの国家統計局のような議会直属の独立機関に統合して、職員は統計の専門家を外部から採用します。そのうえでデータを公開し、世界じゅうの専門家が利用・検証できるようにすれば、今回のようなくだらない出来事は根絶できるでしょう。

ただし、このような改革を進めるとほとんどの官僚は仕事がなくなってしまいそうですが。

参考:「働き方国会」が紛糾する”恥ずかしい”理由 

『週刊プレイボーイ』2019年1月28日発売号 禁・無断転載