第82回 不合理なアパート商法なお(橘玲の世界は損得勘定)

かれこれ20年ちかく前になるが、本紙のコラムで「生命保険の仕組みは宝くじとまったく同じ」と書いたことがある。保険料=賭け金を払い、不幸な出来事が起きると保険金=当せん金を受け取る「不幸の宝くじ」を、保険会社は「愛情」の美名の下に販売しているという、ちょっとした皮肉だ。

この記事には、保険販売員の方から数件の抗議をいただいた。自分たちはお客様の幸福を願って保険を売っているのに、それを「不幸の宝くじ」とはなにごとか、というお叱りだった。

その当時はワンルームマンション投資が流行っていて、「賃料保証で利回り10%」などとさかんに宣伝していた。しかし考えてみると、そんな物件がほんとうにあるなら、不動産会社は銀行からお金を借りて自分で投資するはずだ。それなのになぜ、赤の他人に「うまい話」を教えるのか。それは営利企業が世を忍ぶ仮の姿で、その実態は「慈愛にあふれたボランティア団体」だからだ――とも書いた。

皮肉としてはこっちの方がはるかにキツいと思うのだが、奇妙なことに、不動産業界からは1件の抗議もなかった。

私はその理由を、不動産業に携わるひとたちは懐が深く寛大だからだと思っていたのだが、スルガ銀行やレオパレスなど「アパート商法」の不祥事が続発するに及んで考えを改めた。

いつまでも続くゼロ金利の世の中で、賃料保証で確実に儲かる投資機会があるなら、金融機関は個人にお金を貸したりせず、だぶついた資金を子会社に融資してアパート経営をやらせるだろう。「不動産の有効活用」がほんとうにできるなら、不動産会社は土地を買い取って自分でアパートを建てればいい。

私はこの20年間、「賃料保証の不動産投資は経済合理的に成り立たない」と繰り返し述べてきたが、あいつぐ事件を見ると、その間もネギを背負ったカモが続々とやってきたようだ。だがここでいいたいのは、「(私の)言論になんの影響力もない」ということではない(たぶんそうだろうが)。不動産業者にとっては、影響力があった方がうれしいのかもしれない。

多額の借金を背負ってアパートを建てるよう顧客を説得するには手間も時間もかかる。そんな営業マンにとって最大の悲劇は、さんざん説明させられたあげく、「そんなうまい話ならなんで自分でやらないの?」と訊かれることだろう。このひと言でそれまでの努力は水の泡になり、またゼロからのやり直しだ。

こんな徒労を避けるには、経済合理的な顧客が最初から来ないようにしておくのがいちばんだ。そのように考えると、不動産業者が私の皮肉にまったく腹を立てなかった理由がわかる。

「アパート商法は不合理」という話に「なるほど」と納得したひとは、不動産会社の敷居をまごごうとは思わないだろう。そうなれば、すべての営業資源を「うまい話」を信じる見込み顧客だけに集中することができる。

不動産業界のこころの広いひとたちはこのことを知っていて、私の無礼な文章を喜んで読んでいたのだ、たぶん。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.82『日経ヴェリタス』2019年3月24日号掲載
禁・無断転載

統計の基本を知らない「専門家」が虐待を解決できる? 週刊プレイボーイ連載(377)

このコラムで「あらゆる犯罪統計で幼児への虐待は義父と連れ子のあいだで起こりやすく、両親ともに実親だった場合に比べ、虐待数で10倍程度、幼い子どもが殺される危険性は数百倍とされている」と書いたところ、一部で「非科学的」「似非科学」との批判がありました。

その根拠は厚生労働省所管の社会保障審議会専門委員会による報告(「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」第13次報告)で、「主たる加害者」の項目には「平成 27 年度に把握した心中以外の虐待死事例では、「実母」が 26 人(50.0%)と最も多く、次いで「実父」が 12人(23.1%)であった」と書かれています。主たる加害者が実父なら、「継子のリスクがはるかに大きい」ということはできません。

私が参照したのは北米のデータで、進化心理学ではこれを、「長い進化の過程において、ヒトが血のつながらない子どもよりも血縁のある子どもを選り好みするようになったからだ」と説明します。これはきわめて強力なエビデンス(証拠)で、1980年代に提示されたときは(当然のことながら)物議をかもしましたが、現在に至るまで反証されていません。

専門委員会の報告書が述べるように、実父が「主たる加害者」であればこの主張は真っ向から否定されます。「日本人だけが特別で、世界とはまったく別の進化を遂げてきた」ということになりますが、はたしてそんなことがあるのでしょうか。

ここで、1000人からなる集団Aと、10人からなる集団Bを考えてみましょう。統計調査によると、集団Aでは虐待死が10件起こり、集団Bでは1件でした。これは10倍ものちがいですから、「主たる加害者」は集団Aとなります。

さて、これのどこがおかしいかわかるでしょうか。

統計学の初歩の初歩ですが、集団の大きさが異なる場合、それぞれを同じ大きさにしてから比較しなければなりません。これが「標準化」で、1000人あたりで見るならば、集団Bの虐待死は100件になって、集団A(10件)よりはるかに多いことがわかります(「虐待死の割合は集団Aが1%、集団Bは10%」といっても同じです)。

具体的なデータを見ると、「心中以外の虐待死」の3歳以上では、実父による加害が6件に対して、「実母の交際相手」を含む血縁関係のない男性による加害は(疑義事例も入れて)計7件で、実数でも逆転しています。日本では実子と継子の割合は公表されていないようですが、血のつながらない男性と暮らす子どもより、実父と暮らす子どもの人数の方がはるかに多いことは明らかです。この2つの集団を標準化して比較すれば、日本においても、「虐待は義父と連れ子のあいだで起こりやすい」のはまちがいありません。

不思議なのは「専門」委員会が、小学校高学年でも知っていそうな統計の基本を無視して虐待の「主たる加害者」を特定していることです。

ゴミを入れればゴミしか出てこないのは当たり前です。データの分析が間違っているのに、どうやって虐待という深刻な問題を解決できるというのでしょうか。

厚労省の「統計不正」が批判されていますが、「専門家」ですらこのありさまでは問題ははるかに深刻です。一省庁をバッシングすれば済むような話ではなく、この国における「専門」の意味から問い直す必要がありそうです。

参考:子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第13次報告)

『週刊プレイボーイ』2019年3月25日発売号 禁・無断転載

リベラル化する世界の分断(「生物地理学会市民シンポジウム」講演要旨)

4月13日(土)に予定されている「生物地理学会市民シンポジウム」の講演要旨をアップします。キャンセルが出て残席が若干あるそうなので、ご興味のある方は下記までお問い合わせください。

日時:2019年4月13日(土)13:00~(12:30開場)

場所:東京大学伊藤国際学術研究センター 伊藤謝恩ホール

参加希望の方は、生物地理学会長の森中さん宛てにメールを送ってください。

森中定治 delias@kjd.biglobe.ne.jp

参加費は1000円(資料代 別途500円)、講演後の懇親会にも参加する場合は会費3500円です。

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私たちをとりまく世界は排外主義によって右傾化し、格差の拡大で社会が分断され、ひとびとは互いに憎み合うようになっている……とされているが、これは事実(ファクト)なのだろうか。

1988 ~ 2008 年の 20 年間では、たしかにアメリカでは上位 1% の富裕層の実質所得が大幅に伸びる一方で、中間層の所得はほとんど増えておらず、「1%」と「99%」で格差が拡大している。だが視点をグローバルに拡張すると、中国やインドなど多くの人口を抱える新興国が経済成長を実現し、膨大な数の中間層が誕生した。

その結果、グローバルなジニ係数は 1988 年の 72.2 から 2008 年の 70.5、さらに 2011 年には約 67 まで低下している(完全平等社会なら0、所得を1人が独占する完全不平等社会なら100)。各国間の不平等のギャップが最高点に達したのは 1970 年頃で、1 人あたり GDP ではアメリカ人は中国人の 20 倍もゆたかだったが、2010 年にはこの比率は 4 倍未満に縮まって 1870 年の水準と同じになった。産業革命以降でははじめて、グローバルな不平等は拡大を停止したのだ。

世界が全体としてゆたかになると同時に、ひとびとの価値観はリベラル化していった。

1994 年に南アフリカでアパルトヘイトが廃止されたことで、人種隔離政策を採用する国はなくなった。キリスト教では同性愛は神への冒瀆とされていたが、2001 年 4 月のオランダを皮切りに同性婚を法制化する国が増え、ルクセンブルク首相(ゲイ)やアイスランド首相(レズビアン)など LGBT であることをカミングアウトする政治指導者が珍しくなくなった。厳格なカトリック国だったアイルランドでは憲法に中絶禁止が明記されていたが、2018 年 5 月の国民投票で中絶の合法化が決まった。

それ以外でも子どもへの体罰や狩猟・動物実験など、半世紀前は当然のこととして誰も気に留めなかったことが強く嫌悪され、きびしい批判にさらされている。この巨大なリベラル化の潮流を、進化心理学者のスティーヴン・ピンカーは「権利革命」と名づけた。

私たちを取り巻く世界では、インターネットなどテクノロジーの急速な発達と、新興国を中心とする経済発展を背景に、「知識社会化・グローバル化・リベラル化」が三位一体となって進行する巨大な潮流が起きている。だが残念なことに、すべてのひとがこの大きな変化に適応できるわけではない。「反知性主義・排外主義・右傾化」は、時代から脱落しつつあるひとびとのバックラッシュなのだ。

テクノロジーの性能が指数関数的に向上した結果、AI(人工知能)、ブロックチェーン(ビットコイン)、ゲノム編集(CRISPR-Cas9)など、さまざまな領域でこれまでの常識を覆すブレイクスルーが起き、不妊から高齢者の認知症にいたるまで、あるいはがんなど難病の遺伝子治療など、ひとびとの苦しみの多くが 10 年単位の期間で解決すると期待されている。世界は「全体として」ゆたかになり、ひとびとは「全体として」幸福になっているのだ。

だとしたら、どこにも問題はないのだろうか。もちろんそんなことはない。
アフリカを中心に、ゆたかさから取り残され、1 日 2 ドル未満で暮らさざるを得ない最貧困層がいまだに 20 億人以上もいる。このひとたちはじゅうぶんな栄養を摂ることがでず、劣悪な衛生状態で感染症が蔓延し、病気になってもまともな医療を受けられず、平均寿命は 50 歳をすこし超えた程度でしかない。

最貧国で苦しむひとびとに比べ、先進国に生まれた私たちはものすごく恵まれている。だがそれでも、アメリカではラストベルト(錆びついた地域)に吹きだまる白人のブルーワーカーたちがドラッグ・アルコール・自殺で「絶望死」している。そんな彼らの怒りがトランプという異形の大統領を生み出した原動力であり、ヨーロッパでは排外主義的な極右政党のゆたかな土壌になっている。

それに比べれば日本は政治的に安定しているものの、大卒(正社員)と非大卒(非正規)のあいだで社会が分断され、巨大な貧困層が生まれつつあることが社会学者によって報告されている。

私たちの世界が抱える問題はグローバルな格差と先進国内での格差の二重の拡大で、その背景にはますます高度化する知識社会がある。端的にいうならば、仕事に必要とされる「知能」のハードルが上がった結果、貧困層へと脱落するひとたちが増えているのだ。

とはいえ、貧困を解決するためにお金をばら撒くことは、おうおうにして事態をさらに悪化させる。開発経済学のスターだったジェフリー・サックスは、「いちどの大規模な援助によって貧困は終焉する」という「ビッグプッシュ」を唱えたが、アフリカの貧しい地域にある 10 の村(ミレニアム・ヴィレッジ)で 2006 年から行なわれた実験はすべて無残な失敗に終わった。

人道援助や慈善活動の「業界」は「善意さえあればすべて解決できる」というドグマに支配され、経済学の費用対効果や科学のランダム化対照実験を持ち込むことを徹底して拒絶してきた。こうして莫大な資金がドブに捨てられたあげく、ようやく「あるプロジェクトに資金を投じるのなら、それによってどのような効果があるかを実証的に評価しなければならない」という当たり前のことが(一部で)受け入れられるようになってきた。

高度化する知識社会が引き起こす問題は、知識を否定することではなく、テクノロジーによってしか解決できない。より自由で公正な社会をつくっていこうとすれば、無意識の偏見を無効化できるような社会を設計したり、行動経済学や脳科学の知見を活用してひとびとを合理的な選択に誘導(ナッジ)していくことが必要になるだろう。

私たちが次世代に贈るものがあるとしたら、よりより世界・よりよい未来をすこしずつでも実現していくために、感情に振り回されることなく、証拠(エビデンス)に基づいて政策を評価し実行していく社会のフレーム(枠組み)をつくっていくことではないだろうか。

もちろんこれだけで、中流から脱落していくすべてのひとたちを救えるわけではない。貧困層が社会を維持していくのが困難なほど拡大すれば、世界は否応なく新たなパラダイムに移行していくだろうが、その姿はいまだ見えない。