こうして「民主主義」は進化していく 週刊プレイボーイ連載(609) 

小池百合子氏が三選を決めた7月の東京都知事選は、56人が立候補するという“お祭り”状態になりました。ポスターを貼る権利を販売するという奇策によって特定の政党から24人が立候補していますが、それを除いても32人もの候補者がそれぞれの思想信条や政策を訴えて選挙に臨みました。

都知事選の供託金は300万円で、有効得票数の1割に達しないと没収されますが、全国的に話題になる選挙ではそれを上回る宣伝効果があると考えるため、この程度の金額では歯止めにはなりません。

そうかといって、供託金を引き上げると、真面目に政治家を目指すひとが立候補できなくなってしまいます。そもそも日本の供託金は世界的にもきわめて高く、フランスでは20年以上前に憲法違反として供託金が廃止されています。

それでは、「泡沫候補」たちが300万円を失ってまで訴えたいことはなんなのでしょうか。候補者名簿をざっと見ると、「ポーカー党(日本でポーカーを流行らせる)」や「ゴルフ党(ゴルフをもっと身近に楽しめるようにする)」のようにわかりやすいものもあれば、「ラブ&ピース党」「覇王党」「忠臣蔵義士新党」のように、その政治的主張がいまひとつ理解しづらいものもあります。

「泡沫」とはいえない候補者のなかには、日本を誇りのもてる国にするという保守派(あるいは排外主義者)もいれば、テクノロジーによって社会を変えることを目指すベンチャー起業家、反ワクチン派で精神医学を否定する医師など、さまざまな政治的主張があります。

デモクラシー(民主政)とは、多様な意見をもつひとたちが自由闊達に議論し、“集合知”によってよりよい解決策を見いだしていくことですから、本来であれば、立候補者が多いのは喜ばしいことのはずです。

今回の選挙では、候補者とはまったく関係のないポスターが大量に貼られるということが起きましたが、これも「選挙掲示板には意味がない」という政治的主張をするためのパフォーマンスだそうです。

リベラルを自称するメディアはこの事態を「民主主義の危機」と報じましたが、話は逆で、デモクラシー(市民による統治)が大衆化すれば必然的に起きることで、いわば「民主主義の進化」でしょう。

4月に行なわれた東京15区の衆議院補選では、他候補の選挙演説を妨害し、その様子を動画で撮影してYouTubeに投稿、再生回数を増やすとともに寄付を受け取る政治団体が現われ、公職選挙法違反容疑で幹部らが逮捕されました(この党の代表は勾留中に都知事選に立候補しました)。

この事件で興味深かったのは、これまでSNSを使って支持を広げてきたインフルエンサーが炎上のターゲットにされたことです。この行為が「妨害」なのか、それとも「議論」を求めているのかは主観の問題なので、容易に答えを出すことができません。

ただひとつわかっているのは、裁判によって違法の基準が示されれば、「違法でない」範囲で同じことが繰り返されることです。こうして「民主主義」の大衆化・液状化が進み、やがて「リベラル」が目指した理想の社会が実現するのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2024年7月8日発売号 禁・無断転載

フランスが植民地問題を謝罪しない理由(前編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年3月16日公開の「日本とはまったくちがう歴史認識 フランスでは植民地支配は肯定的に評価する!?」です(一部改変)。

rudall30/Shutterstock
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2015年1月にパリの風刺雑誌シャルリー・エブドの編集部を襲撃したのはアルジェリア系フランス人の兄弟だった。だがフランスの人類学者エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(堀茂樹訳/文春新書)のなかで「移民」や「イスラム」について論じるものの、実行犯の出自についてはいっさい言及していない。

参考:「エマニュル・トッドの家族人類学はどこまで正しいのか?」

もちろんこれには理由がある。ある社会のなかでマイノリティが差別されているとして、マイノリティの一人が起こした犯罪について過度に出自を強調すれば、多数派による暴力的な行動を誘発しかねない。歴史を振り返れば、アメリカの黒人差別やヨーロッパのユダヤ人差別はもちろん、日本においても在日朝鮮韓国人や被差別部落出身者を対象にこうした事態が繰り返し起きてきた。だからこそメディアは、テロリストの出身国など具体的な属性に言及せずに「移民」問題を論じることになるのだろう。

だがフランスにおける一連のテロを見れば、そこに一貫した傾向があることは否定しがたい。

シャルリー・エブド襲撃事件に呼応してパリ郊外のユダヤ食品店に立てこもり、客や従業員4人が死亡した事件では、犯人は西アフリカのマリ系フランス人だった。世界を震撼させた2015年11月のパリ同時多発テロ事件では、首謀者はIS(イスラム国)メンバーのモロッコ系ベルギー人で、バタクラン劇場を襲撃したのはアルジェリア系ベルギー人やフランス人、スタッド・ド・フランス(国立競技場)付近の自爆犯はシリアから難民にまぎれて渡航したとされる。ここに挙げた国名――アルジェリア、マリ、モロッコ、シリアはすべてフランスの旧植民地だ。

だが“差別への配慮”によって、彼らはすべて「移民」「ムスリム」という一般名詞に還元されてしまう。それによって隠されるものとはなにか。それは、フランスの移民問題が「植民地問題」でもあるという事実だ。 続きを読む →

猟奇殺人の原因は「子育て」が悪いから? 週刊プレイボーイ連載(608) 

2023年7月、札幌ススキノのラブホテルで頭部が切断された死体が発見され、当時29歳の娘が主犯、父母が共犯として逮捕されました。父親は地元では評判のいい精神科医で、被害者が女装を趣味とする異性愛者の男性だったこともあり、大きな注目を集めました。

この事件で死体遺棄・損壊の幇助を問われた母親の公判が行なわれ、「この世の地獄」というほかない、にわかには信じがたい家庭内の状況が明らかになりました。

週刊誌の報道によれば、一人娘は幼少期はふつうの子どもでしたが、小学校2年生の頃から徐々に不登校ぎみになり、5年生のときに服装を茶化されて同級生にカッターナイフを突きつける事件を起こしています。中学はほとんど登校できず、転校したフリースクールにも通えず、18歳で完全な引きこもり状態になります。

その頃、娘は自分は「死んだ」と宣言し、「ルルー」や「シンシア」などと名乗り、両親が実名を呼ぶことを許さなくなります。さらには、父を「ドライバーさん」、母を「奴隷」と見なすようになったといいます。

ここで思い浮かぶのは、カプグラ症候群という奇妙な病気です。患者は両親など親しい者が瓜二つの偽物と入れ替わったと思い込み、どのような説得も効果がありません。その原因としては、頭部外傷などの器質的な障害により、共感にかかわる脳の部位が機能不全になったことが考えられます。患者は親を見ても、子どもの頃からずっと抱いてきたあたたかな気持ちがまったく感じられないため、本物の親ではない=偽物にちがいないと信じてしまうのです。

この事件でも、主犯の娘がなんらかの理由で共感能力を欠落させてしまったと考えると、その異様な言動が(なんとなく)理解できます。なんの情愛も感じられない両親は、娘にとってはたんなる他人で、それにもかかわらず自分の面倒をみているのですから、論理的には「召使」「奴隷」だと考えるしかないのです。

さらには、他者に対する共感がまったくないと、人間が奇妙な機械(ロボット)のように思えて、分解したくなるかもしれません。事件の翌日、娘は母親に「おじさんの頭を持って帰って来た」と悪びれることなく報告し、「見て」と命じます。その頭部は、眼球や舌などを摘出し、皮膚をはぎとっていたとされます。

2014年、長崎県の公立高校に通う女子生徒が、同級生の女子を自宅マンションに誘って殺害し、遺体の頭と左手首を切断した事件が起きました。父親は地元では高名な弁護士で、母親が病死したあと、一人で娘を育てていましたが、就寝中に娘から金属バットで殴られ、頭蓋骨陥没の重症を負います。その後、娘をマンションで一人暮らしさせ、そこが事件の舞台になりました。

この2つの事件は、その猟奇性も、家庭の状況もよく似ています。長崎の事件では、ワイドショーに出演した“識者”は「子育てが悪い」と大合唱し、事件の2か月後、父親は首を吊って自殺しました。ススキノの猟奇殺人でも、同じように「精神科医の父親の育て方が悪い」というのでしょうか?

参考「ススキノ首狩り娘と精神科医父のSMプレイ」『週刊文春』2024年6月20日号

追記:母親の第2回公判が7月1日に行なわれ、弁護側証人として出廷した精神科医の父親は、「両親が娘を甘やかして好き勝手させていたという主張について」問われ、「妄想が出るまでは、それなりにしつけをしてきたつもり。本人の精神状態から追い詰められると、取り返しのつかないことになるので言えなかった」と述べています。

『週刊プレイボーイ』2024年7月1日発売号 禁・無断転載