第116回 補助金で集客、申請に壁(橘玲の世界は損得勘定) 

仕事場の郵便ポストに見慣れない投げ込みチラシが入っていた。ラフな格好で笑顔を浮かべた20代の女性(本名と生年月日が書いてある)が、「ネット集客のお手伝いをします!」と書いてある。

こんな若い子がSNSの使い方を指導してくれるのかと思ったら、知り合いの美容師から「それ、補助金でしょ。ウチにもたくさん来ますよ」といわれた。

中小企業庁が実施する持続化補助金は、「小規模事業者が自社の経営を見直し、自らが持続的な経営に向けた経営計画を作成した上で行う販路開拓や生産性向上の取組を支援する」もので、「通常枠」の50万円に加え、要件を満たすと最大200万円が補助される。それに加えて「インボイス特例」として、適格請求書事業者への転換に50万円が上乗せされる。

制度の対象になるのは従業員5人以下(宿泊業・娯楽業・製造業などは20人以下)の事業者で、「販路開拓」「生産性向上」に必要となる経費の原則3分の2が補助される。

その「補助対象となる経費」のなかに、広報費(新サービスを紹介するチラシ作成・配布、看板の設置等)とウェブサイト関連費(ウェブサイトやECサイト等の開発、構築、更新、改修、運営に係る経費)が入っているので、これに目をつけた広告会社が、制度の対象となる個人経営の飲食店や美容院に積極的な営業をかけ、小さな会社が入っている集合ビルにチラシを投げ込んでいるようだ。

もちろん、申請をすれば簡単に補助金がおりるわけではなく、事業計画書や確定申告書などさまざまな書類を提出したうえで審査が行なわれる。交付が決まったら補助事業を実施し、そのうえで実績報告書を提出して確定検査が行なわれ、ようやく補助金が入金されることになる(さらに、1年後に事業効果報告書を提出しなければならない)。

これらの手続きは複雑で、独力でやるのは難しいので、広告会社が申請を手伝い、あわせてチラシの作成やホームページの作成を請け負って、支給された補助金の一部を利益にするというビジネスモデルのようだ。

こうした補助金制度は、不正請求が大きな問題になっている。その一方で、制度をつくった以上、使ってもらわなければ意味がない。そこで、間に入る「コンサル」の需要が生まれたのだろう。

知り合いの美容師はこの制度で店舗の改装を行なったのだが、改装前と後の写真や業者との契約書など、提出書類が多くてかなり大変だったという。宣伝用のチラシは大量に印刷し、現物を見せたうえで、ポスティング先のリストを提出しなければならなかった(実際にポスティングはせず、チラシは捨ててしまったという)。

「業者に乗せられて、簡単にお金が入ってきますよといわれてやってみたんですが、無茶苦茶面倒で、こんなことならふつうに商売しているほうがよかったです。もうやりません」というのが、補助金を交付された彼の感想だった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.116『日経ヴェリタス』2024年7月27日号掲載
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トランプ銃撃事件に見る「犬笛」と「偽旗作戦」 週刊プレイボーイ連載(611)

ドナルド・トランプがペンシルベニア州で選挙演説中に狙撃されました。

現場で射殺された容疑者は、短期大学を卒業後、地元の介護施設で働いていた20歳の若者で、自宅や車のなかから大量の爆発物が見つかりました。動機は今後の解明を待つとして、いまのところ過激な政治的主張をしていた形跡は見られず、精神的な問題を抱えていた可能性もありそうです。

驚いたのは、事件の直後からSNSなどに陰謀論が溢れたことです。容疑者が屋根に上るところがスマホで動画撮影されており、警察官に通報しても無視されたとの投稿が相次いだことが、さまざまな憶測を呼んだ理由でしょう。

陰謀論の典型が、「犬笛」と「偽旗作戦」です。

犬笛はイヌの訓練用ホイッスル(笛)で、イヌには聞こえても人間の耳では聞き取ることができない高周波を発することから、特定の集団にしか理解できない暗号のような表現を使ってメッセージを送ることを指すようになりました。

今回の事件では、「トランプ氏を標的にする時が来た」というバイデンの発言が犬笛だとされました。右派の陰謀論者はSNSで、この秘密の暗号を使って、現職大統領がトランプの暗殺を命じたのだと書き立てました。

偽旗というのは、白旗や敵の旗を掲げて相手を油断させ、だまし討ちすることをいいます。左派の陰謀論者は、事件そのものが偽旗作戦で、バイデンや民主党に罪をなすりつけ、支持率を上げるためにトランプ陣営が仕組んだのだとさかんに論じました。

陰謀論と闘うのが難しいのは、その主張をいちがいに否定できないからです。

狙撃犯の狙いは正確で、トランプがわずかに顔を傾けなければ致命傷になっていました。熱烈な支持者は、これをトランプが神から守られている証拠だとしますが、たんなる偶然なのか、超越的なちからがはたらいたかを科学的に証明することはできません。

2018年頃から広まったQアノンの陰謀論は、リベラルのエリートたちが運営する小児性愛者たちの秘密組織=ディープステイトによって世界は支配されていて、トランプはそれと闘っているとします。トランプと側近たちは、SNSの謎めいた投稿や演説・インタビューのあいまいな発言(犬笛)によって、そのことを支持者に伝えようとしているというのです。

それに対して、「トランプの耳から流れた血は演劇などに使われる赤いジェルだ」などのリベラル側の陰謀論は、民主党のカラーであるブルーから「ブルーアノン」と名づけられました。

Qアノンもブルーアノンも、どんな荒唐無稽な主張でも100パーセント否定することは困難だという「悪魔の証明」を味方にしています。

政治の世界が陰謀にまみれている以上、ディープステイトの存在をうかがわせるようなことは頻繁に起きています。自作自演説にしても、「警護の不手際は意図的なものとしか考えられない」といわれたら、説得力のある反論は難しいでしょう。

ユリウス・カエサルは、「ひとは見たいものしか見ない」と述べたといいます。わたしたちは、2000年以上前の古代ローマ人と同じことを、いまだにやっているようです。

『週刊プレイボーイ』2024年7月29日発売号 禁・無断転載

移民大国フランスの福祉と絶望

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年7月21日公開の「パリ同時多発テロから7カ月。 テロ現場の今と移民大国フランスの現状」に、『マネーポスト』2015年春号に寄稿した「過激派テロ組織ISISの戦士を生み出したフランスの「国内問題」」の一部を加えました。

zmotions/shutterstock

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フランス革命を祝う2016年7月14日、ニースの海岸で花火見物をしていた群集に大型トラックが突っ込み、2キロ近く暴走して84人が死亡、200人以上が負傷する大惨事が起きた。

犯人はチュニジア生まれでフランスの居住権を持つ31歳の男性で、ISのビデオを収集していたとされるが、近隣の住人の話では酒を飲み、豚肉のハムを食べ、女性と遊ぶことを好んだともいう。

これまでイスラームとは無縁の放蕩生活をしていた人物(大半が20代後半から30代半ばまでの男性)が、失業や離婚など人生の危機をきっかけに急速にイスラーム原理主義に傾倒し、テロリストに変貌するケースは、昨年11月のパリ同時多発テロ事件や今年3月のブリュッセル連続テロ事件の犯人にも見られた。これがカルトの持つ「魔力」だが、それによって犯罪予備軍の特定がきわめて難しくなっている。

社会の差別によるものか、本人に責任があるのかは別として、フランスには人生に絶望した移民の若者がたくさんいる。彼らのごく一部がある日突然「怪物」に変わるのだとしたら、市民社会はその現実をどのように受け入れればいいのだろうか。――これがヨーロッパ社会に突きつけられた重い問いだ。 続きを読む →