兵庫県知事選は劇場型”推し活” 週刊プレイボーイ連載(625)

兵庫県知事のパワハラ騒動にさしたる興味はなかったのですが、それでもSNSで何回か「ワイドショーの報道がひどすぎるので、ぜひ取り上げてください」と依頼されたことがあります。なんのことかと思ってURLをクリックすると、知事が「ゆかたまつり」でボランティアに罵声を浴びせたという報道について、現場の担当者が「(知事はボランティアが待機していた公民館に行っておらず)怒鳴ったという事実はありません」とSNSに投稿していました。

「ワインのおねだり」についても、何件か拡散の依頼をもらいました。県の会議で「生産者が頑張ってワイン作っている、応援してください」と県議から頼まれた知事が、「ぜひ応援したいですね、機会があれば飲んでみたいですね」と社交辞令を述べたときの音声が流出し、ワイドショーが前後の文脈を切り取って、知事が生産者に「おねだり」したとさかんに報じたというのです。

私はワイドショーを見ないので、「こんなのはちょっと調べれば事実関係がわかるのだから、すぐに訂正されるだろう」と思っていました。ところがどうやら、テレビ局は自社の報道を検証・訂正するのではなく、「パワハラで自殺者を出した知事が辞任しないのはけしからん」と、自分たちを“善”、知事を“悪”として、正義の鉄槌を振り下ろすことに狂奔していたようです。

県議会の不信任決議で失職した知事が再出馬を表明すると、この「善悪二元論」のストーリーは選挙によって決着がつけられることになりました。知事の辞任を求めたメディアは、落選して当然という報道を繰り広げました。

ところがこのあたりから、風向きが変わりはじめます。全会一致で辞職させられた前知事が、たった一人で街頭演説する姿を見て、「改革を断行しようと孤軍奮闘し、既得権を守ろうとする県議会に寄ってたかって引きずり下ろされた」という、別のストーリーを語るひとたちが現われたのです。

この「対抗言説」に信憑性を与えたのが、「ゆかたまつり」や「ワインのおねだり」のような「ファクト」のかけらです。「ファックトチェック」が大好きなメディアは、こうしたファクトを検証するのではなく、県の職員の4割が知事のパワハラを見聞きしたことがあるという伝聞のアンケート結果を繰り返すだけでした。

事実と伝聞を並べれば、事実の方が説得力があるのは当然です。選挙期間中も、前知事を応援するひとたちは、さまざまな事実(とされるもの)をSNSなどで拡散し、「メディアの報道はすべてデマ」と主張しました。

こうして前知事は、「罠にはめられ、すべてを失った政治家」という別のキャラへと変身しました。興味深いのは、前知事自身がSNSでなにが起きているのかをよく理解できておらず、その“無垢”な姿がより同情を誘ったことです。

前知事の選挙事務所前では、当選が決まると、見ず知らずの支援者たちが互いに抱き合い、涙を流して喜び合ったそうです。兵庫県知事選は、「どん底に落ちたヒーローを自分たちのちからでもういちど輝かせる」という、劇場型の“推し活”だったのです。

『週刊プレイボーイ』2024年12月2日発売号 禁・無断転載

インフルエンサーは 「思想的リーダー」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年4月12日公開の「今、アメリカで起きている 「思想的リーダー」の台頭と言論市場の変容とは?」です(一部改変)。

alphaspirit.it/Shutterstock

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今回は、ダニエル・W・ドレズナーの『思想的リーダーが世論を動かす 誰でもなれる言論のつくり手 』 (佐々木俊尚監修、井上大剛・藤島みさ子訳/パンローリング)を紹介したい。原著のタイトルは“The Ideas Industry”(「思想産業」あるいは「言論産業」)で、「ペシミスト、党派主義者、超富裕層は言論の自由市場をどのように変容させているのか?」の副題がついている。

著者のドレズナーは1968年生まれの49歳。タフツ大学国際政治学教授で、ワシントンポストの常連寄稿者でもある。政治的立場は「保守」だが反トランプで、2017年10月に共和党員を脱退している。

そんなドレズナーがアメリカの言論市場を内側から観察・批評した本書は、私たちにとっても興味深い。なぜならほぼ同じ事態が日本でも起きているからだ。 続きを読む →

「103万円の壁」撤廃は現役世代への大規模減税 週刊プレイボーイ連載(624)

衆院選で国民民主党が「手取りを増やす」を掲げて議席を4倍にし、キャスティングボードを握ったことで、にわかに「103万円の壁」に注目が集まりました。それに加えて「106万円の壁」と「130万円の壁」が登場し、なにがなんだかわからないひとも多いでしょう。

じつはこれは所得税と社会保障費のちがいなのですが、ここですべて説明することはできないので、まずは税金について考えてみましょう。

「103万円」というのは、基礎控除の48万円に給与所得控除の55万円を加えた額で、それ以下であれば税金を徴収しないという基準です。55万円の給与所得控除はサラリーマンの仕事に必要な経費の最低限(年収162万5000円以下)で、自営業者が収入を得るために使ったさまざまな経費に相当します。

こうした経費を除いたあとの48万円の純利益(基礎控除)を「生活のための最低限の収入」と考えれば、そもそも月額4万円で生きていけるひとなどいませんから、現在の基礎控除の水準はあまりに低すぎます。その意味で、基礎控除を75万円増やして123万円とし、(サラリーマンの場合は)給与所得控除と合わせて178万円を課税最低限とする政策には合理性があります。――これに反対するなら、月4万円で暮らせることを証明すべきでしょう。

基礎控除が75万円増えると、低所得者だけでなく、収入のあるすべての国民に恩恵があります。所得税率は5%(所得194万9000円未満)から45%(所得4000万円以上)の累進課税ですから、この税率に75万円を掛けて、税率5%なら約4万円、税率40%で75万円の50%、37万5000円になります。

*基礎控除は所得2500万円超で適用されなくなるので、基礎控除引き上げの恩恵を受ける最高税率は40%。

これが「基礎控除を引き上げると所得が多い者ほど得をする」という批判の根拠ですが、所得別でもっとも人数が多いのは税率10%(所得329万9000円以下)か税率20%(所得694万9000円以下)ですから、このひとたちは無条件で年に7万5000円(税率10%)あるいは15万円(税率20%)手取りが増えることになります。

基礎控除の引き上げは、パートや学生など低所得者のためのものでも、年間所得2500万円以上(所得税率40%)のお金持ちのためのものでもなく、もっとも大きな利益を得る集団は中所得の現役世代なのです。

*ここでは国税(所得税)のみを対象に計算したが、基礎控除の引き上げが地方税にも適用されると、住民税率は10%なので、所得税・住民税の合計が20%なら手取りが15万円、30%なら22万5000円手取りが増えることになる。

話がややこしくなるのは、保険料の支払いを免除されていた第3号被保険者(主にパートの主婦)の場合、一定の所得を超えると社会保険や国民年金・国民健康保険への加入義務が生じるので、基礎控除を引き上げたとしても、頑張って働くと手取りが逆に減ってしまうことです。

これが「問題は103万円の壁ではなく、106万円、130万円の壁だ」説で、それが間違っているわけではありませんが、ここで重要なのは、「すでに社会保険に加入している大多数のサラリーマンにとっては、基礎控除の引き上げは手取りが増えるメリットしかない」ことです。

このように整理すれば、わけのわからない補助金でお金をばら撒くよりも、減税でお金を返してもらった方が好ましいと思うひとは多いのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2024年11月25日発売号 禁・無断転載