けっきょくは経済なんだよ、愚か者 週刊プレイボーイ連載(627)

2024年は「選挙の年」として記憶されることになるかもしれません。

10月に行なわれた衆院選で自民・公明の連立政権が少数与党に転落し、「政治とカネ」問題に注目が集まりましたが、世界の大きな流れのなかに置くとまた別の景色が見えてきます。

4月の韓国総選挙では与党「国民の力」が大敗し、議席数は野党勢力の半分になってしまいました。国会運営に行き詰まった尹錫悦大統領は「非常戒厳」を宣布する大博打を打ったものの、野党の抵抗で24時間もたたないうちに撤回を余儀なくされる予想外の展開になりました。

これほど極端でなくても、それ以外の重要な選挙でも政権党は敗北するか、苦戦しています。

接戦が伝えられていた11月の米大統領選では、ドナルド・トランプが激戦州をすべて制しただけでなく、上院・下院で共和党が過半数を占める「トリプルレッド」となり、バイデン=ハリスの民主党は大きな打撃を受けました。

14年ちかく保守党政権が続いてきたイギリスでは、7月の総選挙で野党・労働党が単独過半数を獲得して政権交代を実現しました。

フランスでは欧州議会選挙での敗北を受けて、マクロン大統領が国民議会を解散し、オリンピック前に総選挙を行なう賭けに出ましたが、「不服従のフランス」などの左派政党と、右派政党の「国民連合」が票を伸ばし、マクロン大統領率いる中道連合の議席は改選前の3分の2まで減りました。その結果、バルニエ首相の少数内閣は予算案で行き詰まり、不信任決議で首相の交代を余儀なくされました。

さらにドイツでは、11月にシュルツ首相が財務省を解任したことで連立の枠組みが崩れ、少数与党のまま政権を維持することは難しく、来年3月の総選挙が予定されています。

6月に行なわれたインドの総選挙でも、圧勝が予想されていたナレンドラ・モディ首相のインド人民党(BJP)が大きく議席を減らし、かろうじて与党連立で過半数を維持しました。

それぞれ事情の異なる国で同じようなことが起きているのは、たんなる偶然ではなく、そこには共通する要因があります。

新型コロナ感染症のパンデミックとロシアのウクライナ侵攻を受けて各国で物価が上昇しましたが、賃金の上昇がそれに追いつかず、ひとびとの生活は苦しくなっています。ヨーロッパではこれに移民政策への不満が結びついて、“極右”政党への支持が広まりました。米大統領選でトランプ陣営が移民問題で過激な主張を繰り返したのは、欧州の政局から、それが票につながることを知っていたからでしょう。

シリアのアサド政権が崩壊するなど、世界ではいまも多くの重大事件が起きていますが、国民にとって重要なのは、自分の生活がゆたかになるかどうかなのです。

1992年の米大統領選では、冷戦の終結や湾岸戦争の勝利という歴史的な“偉業”を成し遂げたブッシュ(父)大統領に挑んだクリントン陣営は、“It’s the economy, stupid.(けっきょくは経済なんだよ、愚か者)”を掲げて大番狂わせを起こしました。そう考えれば、いま起きているのは「民主主義の危機」ではなく、その頃から民主政(デモクラシー)の本質はなにも変わっていないのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2024年12月23日発売号 禁・無断転載

「差別の科学」として忌み嫌われた現代の進化論が、 唯一残された希望へと変わった

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年11月5日公開の「「差別の科学」として忌み嫌われた「現代の進化論」が、 唯一残された「希望」へと変わった」です(一部改変)。

Aleksandr Artt/Shutterstock

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2016年から4年間のトランプ政権下で、リベラルな知識人のあいだに「このままではアメリカ社会は分裂し、崩壊と破滅が待っているだけだ」との悲観論が広がった。こうした絶望は、新型コロナで露呈された経済格差や人種問題、2020年の大統領選をめぐる混乱によってさらに深まっている。

そんななか、ニコラス・クリスタキスの『ブループリント 「よい未来」を築くための進化論と人類史』( 鬼澤忍、塩原通緒訳/News Picksパブリッシング)は、「私たち一人ひとりが自分の内部に「善き社会をつくりあげるための進化的青写真(ブループリント)を持っている」とのポジティブなメッセージを送る。原題は“BLUEPRINT : The Evolution Origins of a Good Society(青写真 善き社会の進化的起源)”。

クリスタキスは『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』(ジェイムズ・H・ファウラー との共著/鬼澤忍訳/講談社)などの著作で知られるネットワーク理論の第一人者で、新型コロナの感染拡大ではSNSでの積極的な発言が注目された医学者でもある。『ブループリント』は、進化社会学という新たな学問領域の格好の道案内にもなっている。

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第119回 「106万円の壁」解消への疑問(橘玲の世界は損得勘定)

「106万円の壁」の年収基準を撤廃すると、パートの主婦が将来、手厚い保障が受けられるとされている。私はこの説明がずっと疑問だった。なぜなら、厚生年金に加入すると、同時に会社の健康保険(組合健保や協会けんぽ)にも加入することになるからだ。そこでこの機会に、ちゃんと計算してみたい。

世帯主が会社員など厚生年金加入者の場合、扶養されている配偶者は3号被保険者になり、年金保険料を払わなくても、65歳以降、国民年金を受給できる。同じく世帯主が会社の健康保険に入っていると、扶養家族にも健康保険証が発行される。

扶養されている配偶者は女性が大多数だから、ここでは主婦Aさんを考えてみよう。Aさんは大手スーパーの地元の店でパート仕事をしていて、社会保険を払わなくてもいいように、年収106万円で就業調整している。これが「106万円の壁」だ。

この年収基準がなくなって、Aさんが厚生年金に加入することになったとしよう。保険料率は収入の18.3%で、これが労使で折半される。年収約112万円までは、保険料は一律で月額1万6104円なので、Aさんの給与から差し引かれるのはこの半額の月8052円(年9万6624円)になる。

話をシンプルにするために、Aさんは20歳で結婚して3号被保険者になり、40歳から59歳までの20年間、厚生年金に加入したとしよう。厚労省の公的年金シミュレーターによると、65歳からAさんが受け取る年金は年94万円だ。

それに対して、国民年金を満額納めた場合の受給額は年81万6000円(月額6万8000円)だから、厚生年金に加入したことで、たしかにAさんが受け取る年金は年12万4000円、月額1万円ほど“手厚く”なった。Aさんが40歳で納めた保険料(9万6624円)が25年後(65歳)に12万4000円に増えたのだから、運用利回りは年率1%だ。

しかし最初に述べたように、Aさんは会社の健康保険にも加入しなくてはならない。協会けんぽの保険料率は自治体によって若干異なるが、東京都では医療保険と40歳以降の介護保険の合計が11.58%で、年収106万円(4等級)のAさんが支払う保険料は月額1万190円、自己負担分は月5095円(年6万1140円)になる。

3号被保険者のままだと健康保険料を払わなくてもよかったのだから、Aさんはこれも手取りを減らすコストだと考えるだろう。そうなると、社会保険に加入したAさんは、合計で年15万7764円の保険料を支払い、それが25年後に12万4000円になって戻ってくることになる。これでは3万4000円ちかいマイナスになってしまう。

このように、会社負担分を無視して自己負担だけを考えても、社会保険に加入したAさんは“手厚い”保障が受けられるどころか、損してしまうのだ。

もちろん、年収の壁を気にせず働けばAさんの手取りは増えていく。その意味で就業調整が合理的とはいえないが、現在の制度では、多くの主婦は正しい判断で社会保険への加入を避けている。この事実は、ちゃんと認めるべきだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.119『日経ヴェリタス』2024年12月14日号掲載
禁・無断転載