『残酷な世界~』は、幸いなことに、多くの方に読んでいただけているようです(ありがとうございます)。
作品の評価はもちろん読者の自由なのですが、レビューを見ていると、「遺伝子決定論」という表現が目についてちょっと気になりました。たしかに「遺伝的なちがいが人生に大きな影響を与える」と書きましたが、これは遺伝子決定論ではありません。細かなことのようですが、大事な点なので、ちょっと説明しておきたいと思います。
それによって、本書が遺伝的な影響を強調しすぎているのではないかという勝間和代さんの疑問にもお答えできると思います。
遺伝と環境が(能力を含む)人格形成に与える影響については、大きく以下の3つの考え方があります。
- 人格は遺伝で決まり、環境は関係ない(遺伝子決定論)
- ひとは「空白の石版=ダブラ・ラーサ」として生まれてくるのであり、人格の形成に遺伝は関係なく、すべては社会的な環境で決まる(環境決定論)
- 遺伝子決定論や環境決定論は非現実的な極論で、遺伝と環境が相互に影響しあってひとは成長する。
日本だと、ほとんどのひとが3)の折衷案を選ぶと思いますが、アメリカには、政治的立場として遺伝な影響をいっさい認めないひとたち(スティーヴン・ピンカーのいう「ブランクスレート論者」)がたくさんいるようです。
ところで、遺伝と環境の折衷案は、ふつうは次のように説明されます。
「人格の形成に遺伝が影響するのは明らかだけれど、ひとは環境によっても変わるのだから、遺伝ですべてが説明できるわけではない」
この仮説に基づいて、人格(こころ)に対する遺伝の影響が7割(知能)とか5割(性格)とかいわれるわけです。
だが残念なことに、これだけでは、遺伝と環境がどのようなメカニズムで人格を形成していくのか、その仕組みを説明することはできません。この謎にきわめて説得力のある解答を提示したのが、在野の心理学者ジュディス・リッチ・ハリス(『子育ての大誤解』)です。
ハリスは、子どもは親の愛情や子育てとは無関係に、子ども集団のなかで人格を形成していくとして、次の5つのルールを発見しました。
- 子どもは、自分と似た子どもに引き寄せられる。
- 子どもは、自分が所属する集団に自己を同一化する。
- 子ども集団は、他の子ども集団と対立する(子ども)文化をつくる。
- 集団のなかの子どもは、仲間と異なる人格(キャラ)を演じることで、集団内で目立とうとする。
- 子ども集団は文化的に独立しており、大人の介入を徹底して排除する。
ここではいちいち説明しませんが、これらはすべて、個体が生き延び子孫を残すための最適戦略として、40億年の進化の過程のなかで洗練されてきたルールです。進化心理学では、私たちはこうしたルールを脳のOSにプレインストールされて生まれてくると考えます(ヒトだけでなくチンパンジーなどの霊長類も同じルールに従っていることが知られています)。
子どもは、ごく自然に似た者同士で群れをつくり、これまたごく自然に、群れにはリーダーを頂点とする序列が生まれます(この傾向はオスに顕著です)。それと同時に、群れのなかで目立たなければ、メスを獲得して子孫を残すことができません。この複雑なゲームに勝ち残るためために、ヒトもサルも、遺伝的に比較優位な分野に資源を集中する、という戦略を採用しています。
このことはデキスギくんとジャイアンの例を挙げて『残酷な世界~』で説明したので繰り返しませんが、ハリスの「集団社会化論」は、遺伝的なちがいが子ども集団のゲーム(力学)を通じて人格の形成に結びつくメカニズムを、膨大な証拠をあげて説明しています(ハリスの『子育ての大誤解』は、私がもっとも影響を受けた本のひとつです。興味のある方はぜひ原典を読んでください)。
ハリスによれば、子どもは、「得意なことをする」→「みんなから注目される」→「好きになる」というポジティブなフィードバックのなかで能力を伸ばし、人格(キャラ)を選びとっていきます。このフィードバックのメカニズムは、初期値にわずかなちがいがあれば発動しますから、遺伝の影響が8割でも5割でも3割でも、おそらくは1割でも、同様の過程で人格がつくられていきます。
私は研究者ではないので、具体的なデータをもとに遺伝と環境の比率を論証することはできませんが、将来、行動遺伝学の進歩によって遺伝の影響が定説よりも小さいことが明らかになったとしても、ここでの議論は変わりません。
ハリスの「集団社会論」がきわめて強い説得力を持つのは、親であれば誰でも、子どもの友だち選びに介入できない無力を嫌というほど思い知らされているからです。子どもは親の願望や命令とはいっさい無関係に、自分が(無意識に)引き寄せられた友だち集団に加わり、そのなかで(無意識に)自分のキャラを決めていきます(だから、自分がなぜこのような人間になったのかは永遠に謎のままです)。
しかしこのことは、子育ての努力になんの意味もないということではありません。ハリスがいうように、親は、自分の子どもをどこで育てるかを決めることで、子どもの人生にきわめて大きな影響力を行使するからです。
ハリスは、白人中流階級の住む地区に移り住んだ黒人の母子家庭の例を挙げています。黒人の子どもは、白人しかいない学校のなかで徹底していじめられ、無視されますが、それでも白人中流階級の文化(話し方や表情、行動規範)を身につけ、社会的に成功していきます。彼にはそれ以外、参照できる「子ども文化」がなかったからです。
もちろんこのことは、「孟母三遷」の故事をひくまでもなく、古くから知られていました。だからこそ、世の多くの親たちは「お受験」に夢中になるのでしょう。
PS 当然のことながら勝間さんは、「遺伝子決定論」と「遺伝のちがいによる影響」を正確に区別しています。為念。