安倍政権の進める働き方改革では、残業時間を減らして生産性を高めることが強調されている。しかしその前に、「なぜ日本の(男女の)サラリーマンは残業時間が長いのに、先進国でいちばん生産性が低いのか」をちゃんと考える必要がある。
世界の労働者のエンゲージメント(会社や仕事に対するかかわり方)の度合いを調べると、日本のサラリーマンは最低レベルだ。それもひとつの調査ではなく、OECDを含む10の機関でほぼ同じ結果が出ている。
これを手短に要約すると、「日本のサラリーマンはものすごく長い時間働いているものの、生産性がものすごく低く、世界でいちばん会社を憎んでいる」ということになる。なぜこんなヒドいことになるのだろうか。
家庭に目を転じてみると、日本では若い女性の3割が「将来は専業主婦になりたい」と思っているという。しかし不思議なことに、家庭生活に満足している女性の割合を国際比較すると、共働きが当たり前のアメリカやイギリスでは7割が「満足」と答えるのに、日本の女性は4割ちょっとしかない。専業主婦になりたくて、実際に専業主婦になったにもかかわらず、彼女たちの幸福度はものすごく低い。
じつは、この問題はコインの裏表だ。専業主婦の家庭には、家事育児を妻に丸投げして会社に滅私奉公する夫がいる。
男が外で働き女が家で子育てをするモデルは、アメリカに憧れて戦後の高度成長期に定着したものだ。しかし不思議なことに、「輸入」から50年もたっていないこのライフスタイルが「日本の伝統」といわれている。これは専業主婦モデルが、日本社会の根幹にある「身分制」に見事にフィットしたからだろう。
日本では、男は会社という「イエ」に、女は家庭という「イエ」に所属する。女性が出産を機に会社から排除されるのは、会社と家庭というふたつのイエに同時に属することができないからだ。子育てが一段落してもパートなどの仕事にしかつけないことが、女性管理職がきわめて少ない理由になっている。
ジェンダーギャップだけでなく、「正規」と「非正規」、「親会社」と「子会社」、「本社採用」と「現地採用」などあらゆるところに「身分」が顔を出す。日本は先進国のふりをしているが、その実態は江戸時代の身分制社会に近い。日本人同士が出会うと、まず相手の所属=身分を確認しようとするが、こんな「風習」は欧米ではもはや存在しない。
近代の理想は、自由な個人が自らの可能性を社会の中で最大化できることだ。こうした価値観は日本人も共有しているが、実際には男は会社、女は家庭というイエに押し込められて身動きがとれなくなってしまう。理想と現実のこのとてつもない落差が、日本人の幸福度を大きく引き下げているのだろう。
だとしたら、残業時間を減らしたところで収入が減るだけでなにも変わらない。「保守」の安倍首相だからこそ、日本社会の桎梏(しっこく)である「身分制」を打破し、国民が自由に生きられる社会を実現してほしい。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.73『日経ヴェリタス』2017年12月31日号掲載
禁・無断転載