エリック・バーカー『残酷すぎる成功法則』解説

出版をお手伝いしたエリック・バーカー『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』のために書いた解説を、出版社の許可を得て掲載します。

***********************************************************************

本書の著者エリック・バーカーは、大学を卒業してハリウッドで脚本の仕事をしたあと、2009年から個人ホームページの運営をはじめた。最初はインターネットの伝道師(グル)たちのインタビュー動画を載せていたが、やがて自分でブログを書くようになる。それがBarking up the wrong tree(間違った木に向かって吠える)で、いまや30万人の登録者をもち、ニューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナルなどでも紹介される人気ブロガーだ。

ブログは毎週1回の配信で、「悲劇から立ち直る方法」とか、「影響されやすさを止める方法」などのエントリーが並んでいる。これだけならよくあるまとめサイトと同じだが、バーカーのブログの特徴は、そのあとにかならず「4 Secrets From Research(リサーチからわかった4つの秘密)」のような追記がついていることだ。

バーカーは、ブログのすべての主張に、それがどのようなエビデンス(証拠)にもとづいているかのリンクを貼っている。このちょっとした工夫(コロンブスのタマゴ)によって、うさんくさいものの代表だった自己啓発に“科学”をもちこんだのだ――。

と書いてはいるものの、じつは飛鳥新社の矢島和郎さんがやってくるまで、こんなブログがあることをまったく知らなかった。

矢島さんと会ったのは昨年の夏で、翻訳権を取得したもののまだ一行も書かれていない本の「監訳」をやってくれないか、という話だった。わたしはプロの翻訳者ではないし、そもそも翻訳書(それも超訳)が1冊あるだけだから、通常はこうした依頼はお断りするのだが、ブログを読んでみるとものすごく面白い。それで、まだ影も形もないバーカーのはじめての著作の翻訳出版をお手伝いすることになった。

ようやく原稿が書きあがったのは今年2月で、アメリカでは5月に発売され、たちまちベストセラーリストに名を連ねた。アマゾンでは266のレビューのうち89パーセントが5つ星という圧倒的に高い評価を得ている(2017年9月現在)。その話題作を、ようやく日本の読者にもお届けできることになった。

本書はものすごくわかりやすく書かれているから、内容についての解説は不要だろう。そこでここでは、「成功法則をエビデンスベースで検証する」という試みの背景についてすこし書いてみたい。

ダーウィンが『種の起源』を発表したのは1859年だが、「現代の進化論」はそれから100年後、ワトソンとクリックがDNAの二重螺旋の謎を解いた1953年が画期になる。2人は生命の本質がデジタルなアルゴリズムだということを明らかにしたが、だとすれば、いったいだれがそのプログラムを書いたのか? それは「進化」だ。

次いで進化生物学者が、アリやハチなどの社会性昆虫がどのようなプログラムで行動しているかを数学的に記述できることを示すと、生き物に対する認識は根底から覆された。生命は自然の神秘ではなく、コンピュータによってシミュレートできるのだ。

生き物の行動をプログラムとして解読する試みは、その後も野心的な生物学者たちによって昆虫から鳥や魚、哺乳類へと拡張していった。そして1975年、エドワード・O・ウィルソンが大著『社会生物学』(新思索社)で、われわれが「人間性」と呼んでいるものも(アリやハチと同じように)進化と遺伝の枠組みのなかで理解できるはずだと書いた。これが社会生物学論争という「文化戦争」を勃発させたのだが、当初は「現代の優生学」のレッテルを貼られて徹底的にバッシングされた進化生物学者たちは、膨大な証拠(エビデンス)を提出することで形勢を逆転し、20世紀末に論争はほぼ決着した。これによって、ヒトの身体と同様に「こころ(脳)」も進化の産物として研究できるようになったのだ。

21世紀を迎えると、進化がヒトの脳をどのようにプログラムしたかを解明する作業が、進化心理学、社会心理学、行動経済学などさまざまな学問分野で同時並行的に行なわれるようになる。こうした研究を支えたのが脳科学の急速な進歩で、脳の活動を画像撮影することで、心理や意識を物理的な現象として理解することが可能になった。それと同時に、コンピュータの処理能力の高速化は、複雑な社会現象をビッグデータを使って統計解析できるようにした。これら一連の「知のパラダイム転換」によって、いまや経済学、社会学、心理学といった社会科学は自然科学に侵食され、融合しつつあるのだ――という話は、『「読まなくてもいい本」の読書案内』(筑摩書房)に書いた。

そうなると、「成功」や「幸福」など、これまで科学の領域とは考えられていなかった分野に続々とアカデミズムが進出するようになった。科学者(研究者)は真理を求めているが、それと同時に、研究費を獲得するには世間の注目が必要なのだ。こうした傾向はアメリカに顕著で、いまや全米の一流大学で「成功哲学」が大真面目に研究されている。

バーカーの慧眼は、こうした学問の潮流を逆手にとって、さまざまな文献を渉猟し、巷間に流布している成功法則にエビデンスがあるかどうかを調べたことだ。自己啓発本の大ベストセラーであるカーネギーの『人を動かす』やコヴィーの『7つの習慣』も、いまや科学のフレームワークで語ることができるようになったのだ。

こうした検証作業はたとえば、「強く願えば夢はかなう」かどうかを調べたニューヨーク大学心理学教授ガブリエル・エッティンゲンの実験によく現われている。それによると、ヒトの脳はフィクションと現実を見分けることが不得意で、夢の実現を強く願うと、脳はすでに望みのものを手に入れたと勘違いして、努力するかわりにリラックスしてしまう。

ダイエット後のほっそりした姿を思い描いた女性は、ネガティブなイメージを浮かべた女性に比べて体重の減り方が10キロ(!)もすくなかった。成績でAをもらうことをイメージしている学生は、勉強時間が減って成績が落ちた。自己啓発本の定番であるポジティブシンキングは、まさに「間違った木に向かって吠えている」のだ。

それに対して、願い(Wish)、成果(Outcome)、障害(Obstacle)、計画(Plan)をセットにした「WOOP」は夢を適切なシミュレーションにつなげ、活力を奪われることなく理想に向かっていくことができる。しかしこの「成功法則」にも限界があって、非現実的な夢にはまったく役に立たないのだ。

現在では、アメリカの自己啓発本はエビデンスベースで(根拠を示して)書くことが常識になっている。日本は例によって「グローバルスタンダード」から大きく遅れているが、早晩、この流れに飲み込まれることはまちがいない。

「主張にはエビデンス(証拠)がなければならない」という考え方は、1990年代に医療分野でまず普及した。アメリカの病院の臨床結果を分析すると、医者によって治療効果にかなりのばらつきがあり、「名医」がかならずしも正しい診断をしているわけではないことがわかったのだ。医療は日進月歩なのに、過去の経験だけをたのみにしていると、治る病気も悪化してしまうのだ。

このようにして、医療行為は医者が独断で行なうのではなく、なぜその治療法を選択したのか「根拠」を示さなければならなくなった。これがEBM(根拠に基づく医療evidence-based medicine)だ。

次いでこの流れは教育分野へと波及した。小学生に算数を教えるのに複数の手法があったとして、どれを採用するかを学校ないしは教師が勝手に決めるのは生徒の権利を侵害している。なぜなら、条件を揃えたうえでそれぞれの教授法を試してみれば、どれがもっとも優れているかを決めることができるからだ。だとすれば、すべての生徒が最良の教授法で算数を学べるようにすべきだろう。これをEBE(根拠に基づく教育evidence-based education)という。

さらに欧米では、この考え方は政治にも適用されている。政府がある政策を実施する場合、国民の税金を投入するのだから、それ以上の投資効果があることを納税者に示さなければならない。東京の外環道が100の投資に対し150のリターンがあるとするならば、納税者は道路の建設に同意するだろう。一方、地方の橋が100の投資に対し50のリターンしか期待できないなら、そこに税を投入することを(利害関係者以外)だれも認めないだろう。これがEBPM(根拠に基づく政策形成evidence-based policy making)」だ。

こうした「エビデンス・ベースド」はさまざまな分野で急速に広まっており、今後、その流れはますます大きな潮流になっていく。もちろん、「成功法則」も例外ではない。

とはいえ、ここで注意しなければならないのは、「根拠に基づく主張」がつねに正しいとはかぎらないことだ。

科学的にもっとも強力な証拠は、新薬の実験などで使われるRCT(ランダム化対照実験Randomized Controlled Trial)と二重盲検法の組み合わせだとされる。無作為に選んだ患者グループに新薬と偽薬(プラシーボ)を与え、どちらの薬なのか患者も医師もわからないようにしたうえで(二重盲検の条件で)効果を計測する。なぜこのような面倒なことをするかというと、偽薬でも治療効果が出る場合がしばしばあるからだ(プラシーボ効果)。認可された新薬には医療費として多額の税金が投入されるのだから、偽薬以上に高い治療効果があることが厳密に証明されなければならない。

二重盲検法が必要なのは、プラシーボ効果が患者の期待に強く影響されるからだ。「病は気から」というように、これで病気が治ると(無意識に)思い込むと免疫機能が活性化する。患者の無意識は医者の微妙な表情まで読み取るので、薬を処方するときに医者が本物か偽物かを知っていると、どれほど上手に演技してもそれを見破ってしまうのだ。

社会心理学や行動経済学でもランダム化対照実験は頻繁に行なわれるが、二重盲検の条件を満たすのはかなり難しい。しかしさらに問題なのは、被験者に顕著な偏りがあり、ランダムになっていないことだ。

大学で心理実験を行なう場合、予算の関係で、被験者を学生から募るのがふつうだ。その結果、実験のサンプルは一部の有名大学の(それも心理学を専攻した)学生に集中する。ところが近年になって、こうした学生は一般のアメリカ人と大きく異なる価値観をもっていることが指摘されるようになった。

彼らエリートの若者たちは、「欧米の(Western)」「啓蒙され(Educated)」「産業化された(Industrialized)」「裕福で(Rich)」「民主的な(Democratic)」文化のもとで暮らす特殊な階層で、その頭文字をとって「WEIRD(奇妙な)」と呼ばれる。さまざまな研究で示された「アメリカ人(西洋人)の心理や行動の特徴」は、ふつうのひとたちからかけ離れた「WEIRD」なものかもしれないのだ。

ランダム化対照実験が行なえない場合は、ビッグデータを使った統計解析で因果関係を推測する。その第一人者がアメリカの経済学者スティーヴン・レヴィットで、世界的なベストセラーとなった『ヤバい経済学』(東洋経済新報社)では詳細なデータ解析によって、1990年代になってアメリカの犯罪件数が劇的に下がりはじめた理由が「中絶の合法化」だと主張した。中絶を合法化した年が州によって異なっており、1970年代に中絶率が高かった州は1990年代の犯罪率がより大幅に減少していたというのだ。

ここまでは完璧なエビデンスに思えるが、その後、犯罪学者などによって、同じ統計解析の手法を使ってまったく異なる説明がなされるようになる。それは、「胎児の血中の鉛レベル」だ。

胎児期および出生後に鉛レベルが高かった子どもは脳の前頭前皮質に損傷を被るリスクがあり、20代前半になると犯罪や暴力を起こしやすくなる。アメリカでは、環境中の鉛レベルは1950年代から70年代にかけて上昇し、70年代後半から80年代前半の規制強化によって大きく改善した。その鉛レベルの推移と、23年後の犯罪発生率とのあいだにはきわめて強い相関関係があるのだ(エイドリアン・レイン『暴力の解剖学』紀伊國屋書店)。

もちろんこれだけでレヴィットの「中絶の合法化」説がまちがっているということはできないし、鉛の環境規制との相乗効果があったのかもしれない。ここでいいたいのは、ビッグデータをコンピュータで統計解析すれば(あるいはAIに深層学習させれば)自動的に正しいこたえが出てくるわけではない、ということだ。

本書は学術書ではなく、エンタテインメントとして書かれているから、テーマごとに導入のエピソードが置かれている。これは“いわずもがな”かもしれないが、これらの魅力的なお話は個人的な体験や特殊なケースでエビデンスにはならない。それを「科学」へと落とし込んでいくところが著者の手腕なのだが、なかには日本人のわたしたちからみて、「なぜこのエピソード?」と不思議に思うものもある。たとえば第3章の「やり遂げる力(グリット)」のところで、プリンストン大学を中退して少林寺拳法を学びに中国に渡る若者が登場するが、彼のようなグリットをもちたいと思う読者はあまりいないのではないだろうか。

これはバーカーが、過去の膨大なブログのなかから読者に評判のよかったエピソードを選んでいるからで、この奇矯な若者の“冒険”は、アメリカ人の読者にはうけるのだ(たぶん)。そのような視点で、日本人とアメリカ人の「成功」観を比較してみるのも面白いだろう。

本書は企画の段階からかかわり、わたしの意向で原書の抄訳ではなく、参考文献リストも含めたかんぜんなかたちで出版してもらうことになった。邦訳文献は別にまとめたので、関連書籍を読んでみたい方には役に立つだろう。ただし、著者の同意を得たうえで、話の展開をわかりやすくするために、日本人にはあまり馴染みのないエピソードのいくつかを割愛したことをお断りしていく。翻訳にかんしては、監訳者としてわたしに責任があるのは当然だが、翻訳家・竹中てる実さんの素晴らしい仕事にほとんど手を加える余地がなかったことを記しておきたい。

2017年9月 橘 玲