新刊『ダブルマリッジThe Double Marriage』で、戸籍に2人の妻と、母親の異なる2人の子どもが記載された憲一は、事情を知る部下の植木に相談します。植木は会社の顧問弁護士に、外国人とのあいだで生まれた子どもの日本国籍取得について聞きにいきます。その報告を憲一が居酒屋で受ける場面を、第3章「バタフライ」からアップします。
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「あっ、そうそう」手の甲で唇の脂をぬぐうと、植木はカバンから書類を取り出した。「うちのマニラ支局に、外国人の派遣事業について調べたいから関連する資料を送ってくれって頼んでおいたんですよ。そのなかに入っていたんですけど」
渡されたのは英字新聞に掲載された広告だった。居酒屋の薄暗い照明では細かな文字は読めないが、見出しには「JFCなら日本への帰化手続きが簡単にできます」と書いてある。
「私もはじめて知ったんですが、JFCというのは「新日系フィリピン人」のことで、Japanese Filipino Childrenの略だそうです」
「新日系人?」
「ええ。第二次世界大戦の終戦でフィリピンに住んでいた日本人のほとんどが本土に引き揚げましたが、彼らと現地の女性のあいだに生まれてフィリピンに置き去りにされた子どもたちが日系フィリピン人、一九八〇年代以降、フィリピン女性が興行ビザで日本にやってくるようになって、彼女たちと日本人男性のあいだに生まれ、フィリピンで育てられた子どもたちが新日系フィリピン人なんだそうです」
“じゃぱゆきさん”と呼ばれたのは主に興行ビザで日本に入国したフィリピン人女性で、ピークの二〇〇四年には年間八万人を超えた。その後、法務省が興行ビザの発給を厳格化して来日数は激減するが、いまも全国各地の繁華街には多くのフィリピンパブがある。
「一九八〇年に生まれたとして、二〇〇〇年で二十歳でしょ。その頃から、新日系人の国籍の扱いが社会問題になるんです」
植木はインターネットからプリントアウトした新聞記事を見せた。
ひとつは二〇〇八年六月四日の最高裁判決で、結婚していない日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子ども一〇人が、国に日本国籍の確認を求めた。最高裁は一〇人全員に日本国籍を認めるとともに、生まれたあとに父親が認知しても、両親が結婚していないと日本国籍を与えない国籍法を憲法第一四条の「法の下の平等」に反すると判断した。
もうひとつの二〇一五年三月の最高裁判決では、日本人と外国人が結婚し、その子どもが日本国外で生まれた場合、子どもの出生から三カ月以内に在外日本大使館または日本の市町村役場に出生届を提出しないと日本国籍を喪失するという国籍法第一二条の規定を合憲と判断した。
「どういうことかよくわからないんだが」憲一は眉根を寄せた。
「ええ、私にもちんぷんかんぷんですよ。結婚してなくても日本国籍が取れるのに、結婚してたら国籍を喪失するだなんて。それで今日の午後、御成門法律事務所で別件の打ち合わせのついでに顧問弁護士の木村先生に聞いてみたんです。そしたら外資系企業の外国人社員のビザを専門にしている先生を紹介していただいて、いろいろ教えてもらったんです」
植木はそういうと、カバンからノートとペンを取り出した。
「それによると、日本人の父親と外国人の母親のあいだで子どもが生まれた場合、子どもの国籍は大きく四つのケースが考えられるんだそうです」
ケース1は、両親が結婚して日本国内で子どもが生まれ、その後、離婚などによって母親が子どもを連れて帰国したような場合。これは出生届を出した時点で子どもは日本国籍を取得し、戸籍にも記載されるのだから、外国で暮らすようになっても日本人であることに変わりはない。
ケース2は未婚のまま海外で子どもが生まれ、出生後に父親が子どもを認知した場合。以前の国籍法では、婚外子でも出生前に父親が認知していれば日本国籍が認められるものの、出生後の認知は父母が結婚していなければ有効でないとされていた。それが憲法に違反するとされたのが二〇〇八年の最高裁判決で、これによって国籍法が改正され、現在は、父親の認知によって婚外子も日本国籍を取得できるようになった。
ケース3は、父母が正式に結婚していて外国で子どもが生まれ、その国の国籍との二重国籍になった場合。出生日から三カ月以内に現地の日本大使館などに届け出ることで「国籍の留保」が認められ、二十二歳までにどちらかの国籍を選択すればいい。
ケース4は、ケース3と同じく外国で子どもが生まれたものの、出生後三カ月以内に日本大使館や役所に国籍留保の届け出を行なわなかった場合。これが二〇一五年の最高裁で争われたケースで、出生にさかのぼって日本国籍を喪失するとの国籍法の規定が合憲とされた。
「親が届を出し忘れただけで日本人にはなれないってこと?」憲一は植木の描いた図を指でなぞった。
「そういうことみたいです」植木はこたえた。「国籍留保の手続き自体が衆知されていたわけではないし、出生届を出さなかったのは親の責任で子どもには関係ないわけですから、それだけで日本国籍を失うというのは理不尽だというのはたしかです。国籍法の改正で、両親が結婚していなくても、父親が認知すれば日本国籍を取得できるようになったわけですから、結婚していることで認知ができず、親が望んでも子どもは日本人になれないというのでは、婚外子のほうがよかった、ということになってしまいます」
植木はいったん言葉を切ると、ノートをめくった。
「ただ救済措置も法律には定められていて、出生届を出していなくても、国内に住所があって子どもが二十歳未満なら法務大臣への申請で日本国籍を再取得できます。二十歳以上なら帰化が必要になりますが、これは国籍を留保して日本国籍を選択しなかった場合も同じですから、法の下の平等には反しないと見なされたんでしょうね」
「国籍法がやっかいだというのはわかったけど、俺の場合はどうなるんだ?」植木の長講釈が終わるのを待ちかねたように、憲一が聞いた。
「わたしも最初はどうつながるのか理解できなかったんですが、要するにこういうことです」植木は音を立ててウーロンハイを啜ると、憲一を見た。「部長のケースは、日本で婚姻届を出していないのですから、日本の法律上は未婚のまま外国で生まれた子どもになります。そうするとケース2で、日本国籍の取得には父親の認知が必要になります。しかしフィリピンでは婚姻の事実があるのですから、それを戸籍に記載できれば救済措置の対象となって、子どもが二十歳未満で母親といっしょに日本に来れば日本国籍を取れますし、二十歳以上でも日系人として優先的に日本国籍が与えられる。それでフィリピンでは、業者がJFCを探し出してビジネスしてるんですよ」
「ビジネス?」
「いまは規制が厳しくなって、フィリピン人が日本の労働ビザを取得するのが難しくなったでしょ。でも幼い子どもに日本国籍を取得させれば保護者である母親には居住資格が与えられますし、二十歳以上で本人が日本国籍を持てば日本国内で自由に働くことができる。彼らにとってこんなウマい話はないですよ。それで業者が広告まで出してJFCを集めて、日本国籍を取得する代行ビジネスをやってるんです。だから……」ここで植木は声を潜めた。「その女弁護士も、部長がマリアと直接、話をするしかないっていってるんでしょ。代行業者を突き止めれば、二人の居所がわかるんじゃないですか」
「でもどうやって?」憲一もつられて小声でいった。
「戸籍を修正するには、まず部長の戸籍謄本が必要でしょ。いまはいろいろうるさくなって、第三者の戸籍の閲覧は弁護士や司法書士、行政書士などの士業しか事実上できません。部長の戸籍を誰が閲覧したのかを調べれば、フィリピンの代行業者の日本側のカウンターパートがわかるはずです」
「だったら明日、市役所の戸籍係に電話するよ」
「それじゃダメですよ」植木はいった。「個人情報だからって、教えてもらえません」
「個人情報? 誰の?」
「部長の戸籍を閲覧した人間の、ですよ」
「そんなバカな話があるのか。自分の戸籍を誰が調べたのかを知る権利くらい、あって当然だろう」
「そんなバカな国なんですよねえ、日本は」植木はわざとらしくため息をついた。「私もそう思って聞いてみたんですが、やってみるのは勝手だけど時間のムダだって」
「じゃあどうすればいいんだ?」
「弁護士からの照会があれば対応するんじゃないかって」
「弁護士?」
「ええ。私のほうで探すこともできますが、そのイヤな女にやらせたっていいんじゃないですか」そういうと植木は、ウーロンハイを飲み干した。
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