映画『シン・ゴジラ』が観客動員500万人を超える大ヒットを記録している。話題を集める理由はいろいろあるだろうが、いちばんの要因は、ようやくリアリティのあるゴジラ映画の条件が整ったことだろう。
ゴジラ第1作の公開は1954年で、終戦から10年も経っていなかった。東京湾にゴジラが上陸すると空襲警報が鳴り響き、ひとびとは防空頭巾をかぶって逃げ惑うが、当時、映画館に押し寄せた観客の誰もが、まさにこれと同じ体験をしていた。広島・長崎への原爆投下の傷痕も生々しく、遠洋マグロ漁船第五福竜丸がビキニ環礁の水爆実験で「死の灰」を浴び、乗組員が死亡したことは社会に大きな衝撃を与えた。放射能を撒き散らしながら東京を襲う巨大な怪獣は、ものすごいリアリティを持っていたのだ。
その後、経済成長のなかで戦争の記憶が薄れるにつれてこうした現実感もなくなり、子ども向け怪獣映画へと変わっていく。何度か「ゴジラ復活」が試みられたものの、新宿の超高層ビルを見上げるのでは、第1作の迫力には遠く及ばなかった。
だが東日本大震災と福島原発事故によって、ゴジラの「リアル」は復活する。観客は津波によって壊滅した街や、原子炉建屋の爆発で飛散する放射能、メルトダウンした原発に命懸けの放水を行なう消防隊員らの記憶と重ね合わせながら、この映画を観ているのだ。
こうしてゴジラは、「危機管理映画」として見事によみがえった。政府や官庁は平時を前提に動いているため、大地震や原発事故、ゴジラ襲来といった「有事」にうまく対応することができない。映画化にあたっては3.11当時の民主党政権幹部にも徹底した取材を行なったようだが、組織の論理にがんじがらめになりながら、最悪の事態を防ごうと苦闘する様子は真に迫っている。
(以下、ネタバレ注意)映画の最後に、ゴジラはポンプ車から血液凝固剤を注入され、体内の核反応が阻害されて活動を停止する。その場所は、爆薬を搭載した山手線、京浜東北線がゴジラに突っ込んでいく「無人在来線爆弾」からすると、新橋から有楽町あたりになるだろうか。
ところで、東京の中心で活動停止したシン・ゴジラとはなんなのか。再稼動が決まった原発の比喩だと思うひとも多そうだが、これではあまり面白くない。
倒れたゴジラの巨体は、丸の内、霞ヶ関、あるいは日本橋本石町をも覆っているかもしれない。国連(第二次大戦の「連合国」)はゴジラもろとも東京を消滅させる熱核攻撃を「一時停止」したが、ゴジラが目覚めれば「カウントダウン」も再開される。
だとすれば、こたえは明らかだろう。
2010年代に登場したゴジラとは、戦後日本がひたすら膨張させ、日銀の非伝統的な金融政策によって制御不能になりつつある1000兆円を超える巨額の借金のことなのだ。滅亡へのカウントダウンがいつ始まってもおかしくないと思えば、この映画がよりリアルになってくるにちがいない。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.62:『日経ヴェリタス』2016年10月9日号掲載
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