1500億円を上回るとされる東芝の不正会計事件は、日本の名門企業でどのような「経営」が行なわれていたのかを白日の下にさらしました。
第三者委員会の報告書によれば、中間決算直前の社内会議で、「残り3日で120億円の利益を出せ」と社長がパソコン事業部に迫ったといいます。テレビなど映像事業部に対しては、「チャレンジ」と称する収益改善目標の必達を要求し、社長月例会議で「できないなら辞めてしまえ」と部門長を罵倒しています。さらに米子会社ウエスチングハウスが手がけた発電所建設では、追加コストの発生を約500億円から85億円に理由もなく減額するよう社長自ら指示していました。
報告書では東芝の上場を維持するために「不適切会計」とされていますが、これは粉飾以外のなにものでもありません。なぜこんなぶざまなことになってしまったのでしょう。
80年代末のバブル最盛期には、「日本はもう坂の上に雲はなくなった」といわれました。明治維新以来、近代日本はずっと欧米という「坂の上の雲」を追いかけてきたのですが、世界第2位の経済大国になったことで目標を失った、というのです。
ところが90年代に入ってシリコンバレーでICT(情報通信技術)革命が起こると、重厚長大の日本の電機メーカーは新しい時代にまったく適応できなくなりました。いまやマイクロソフト、アップル、グーグルなどグローバル企業の背中ははるかに遠く、かといって韓国・台湾・中国のメーカーのように下請けに徹することもできず、業績は凋落の一途を辿っています。
この20年、日本企業から世界に通用するイノベーションはなにひとつ生まれていません。シリコンバレーには世界じゅうから多様な文化的背景を持った野心と知性にあふれた若者が集まってきますが、日本企業の上層部は日本人・男性・中高年・国内大学出身というきわめて同質な集団で占められています。そんな彼らがどれほど知恵を絞ったところで、画期的なアイデアなど出てくるはずはないのです。
旧日本軍は米軍との圧倒的な戦力差を見せつけられたとき、現実を受け入れるのではなく「神風」を頼り、特攻や玉砕などの非人間的な戦法を兵士に強要しました。東芝の経営陣は、これまでの事業戦略が通用しなくなったとわかったときに、合理的なマネジメントで大胆な改革を行なうのではなく、部下への恫喝と粉飾によって収益を糊塗しようと画策しました。報告書には「上司に逆らえぬ企業風土」「トップが現場を追い込んだ」などと記されていますが、これは鉄拳制裁の暴力で兵士を死地へと追いやった旧日本軍とどこがちがうのでしょうか。
安倍首相が出す予定の「戦後70年談話」について、歴史学者など専門家が検討する会議が開かれましたが、その座長となったのは長らく東芝の社長・会長を務め、現在は日本郵政の社長に就任している人物です。
日本の組織は、敗戦を経ても旧日本軍となにひとつ変わっていませんでした。非合理的な精神主義の日本型組織で成功し、異様な企業風土をつくった人物が「歴史の反省」を語るということが、見事なブラックジョークになっているのです。
『週刊プレイボーイ』2015年8月10日発売号
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