黄山は中国・安徽省にある名山で、伝説の王、黄帝がここで不老不死の霊薬を飲み、仙人になったという。切り立った岩山が雲に浮かぶ様はまさに仙境で、古来、多くの文人が水墨画や漢詩でその姿を称えた。中国ではもっとも有名な山で、世界遺産にも登録されている。
4月末にその黄山に登ったのだが、驚いたのは断崖絶壁が連なる岩山に長大な階段がうがたれていることだった。黄山登山とは、この階段をひたすら昇り降りすることなのだ。
観光用のロープウェイもあるが、せっかくなので徒歩で挑戦してみた。歩数計では目的地にたどり着くまで8000階段ほど昇ったことになる――とうぶん階段は見たくない、という行程だ。
平日だというのに、景勝ポイントはどこも中国人観光客でいっぱいだった。夏のシーズンには、ロープウェイが数時間待ちになるという。
あちこち歩きまわっているうちに日が傾いてきた。下山するときにわかったのだが、じつは距離が長くなると、階段は昇るより降りる方がずっとつらい。踊り場のない真っ直ぐな石段をえんえんと降りるのはスクワットを続けるようなもので、たちまち腿が張って膝が笑い出すのだ。
幸い私は大丈夫だったが、なかには膝を曲げるだけで激痛が走るひともいるらしい。そうなると、まずは手すりにつかまってカニ歩きし、次は後ろ向きで降りようとし、最後は四つんばいになって後ずさりする。
1時間ほど下ったあたりから、修羅場は始まった。仲間から置いていかれたのか、携帯片手にぼろぼろと涙をこぼしながら歩く女の子や、地面に仰向けになって手足をばたばたさせて泣き叫ぶ若い女性など、ふだんは目にしない光景にも出会った。
日が落ちてしまえば街灯などないから、真っ暗闇で足元すら見えなくなる。動けなくなったらどうするのかと思ったら、あちこちに担ぎ屋がいて声をかけてくる。前後2人でかごを担ぎ、麓まで駆け下りるのだ。
だがその料金は、けっして安くない。ロープウェイの全行程を担いでもらうと5000元(約10万円)、途中からでも1000元(約2万円)はするという。値引きはいっさいなく、イヤなら山中に取り残されるだけだ。こうして、背に腹は変えられないひとたちが次々と担がれていく。
それを見て「ずいぶんビジネスライクだなあ」と思ったら、じつは黄山は株式会社化されていて、上海市場に上場していた。銘柄名は「黄山旅行開発」で筆頭株主は黄山市黄山風景区管理委員会。2014年の売上高は15億元(約300億円)、純利益2億元(約40億円)で、地方都市としては一大産業だ。
黄山内のロープウェイや宿泊施設は会社の経営で、売店の売り子から担ぎ屋までみんな「社員」なのだという。だから値引きにはいっさい応じないのだ。
黄山は入場するだけで250元(約5000円)。ロープウェイ、ホテル代、飲食代に“救出”費まで、観光客から効率的にお金を回収する仕組みが徹底されている。中国の“特色ある資本主義”だと、観光地もこうなるのだ。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.50:『日経ヴェリタス』2015年5月24日号掲載
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