「現代のベートーベン」と呼ばれた全聾の人気作曲家が、すべての曲をゴーストライターにつくらせていたという驚愕の事実が日本じゅうに衝撃を与えました。
ネット上に掲載されていたプロフィールによれば、4歳から母親の厳格な英才教育でピアノを学び、5歳でソナチネを作曲し、小学校4年生でベートーベンを弾きこなす神童だったといいます。その後の人生も凄絶で、17歳で原因不明の聴覚障害を発症し、上京して作曲家を目指したが失職して路上生活者となり、ロック歌手としてデビューしたもののバンドは解散、道路清掃のアルバイトで生計を立てていたところ、33歳の時に映画音楽の仕事が舞い込んできます。この映画は「HIVに感染した少女が周囲の差別と偏見と戦いながら強く生きていく姿を綴った青春ドラマ」ということなので、聴覚障害の“自称”作曲家を起用することになったのでしょう。
ゴーストライターの証言によれば、この最初の作品から“偽装”が始まり、絶対音感を持つとされる本人がつくった曲は1曲もなく、ピアノは初歩的なものが弾けるだけで譜面すら書けないとのことです。打ち合わせではごくふつうに会話し、録音されたモチーフを聞いて曲づくりを指示したというのですから、全聾というのもウソなのでしょう。
もっとも有名な『交響曲1番』は「全盲の少女から霊感を得てつくられた」もので、自身が被爆二世だとして、平和への祈りをこめて「HIROSHIMA」と名づけられました。この“美談”をNHKが大きく取り上げて一躍有名になり、マスコミが祭り上げた結果、広島で行なわれた「G8サミット記念コンサート」で演奏され、広島市民賞を受賞します(事件によって取消し)。すべてが明らかになってから振り返れば、荒唐無稽な人生も、都合のよすぎる偶然も、典型的な虚言癖ということなのでしょう。
人並み以上の野心だけはある若者が社会の最底辺から抜け出し、スポットライトを浴びるために思いついたのは差別を利用することでした。彼にとって幸運(もしくは不運)だったのは、都合のいいゴーストライターと出会ったことでしょう。無名の現代音楽の作曲家がアルバイト感覚でつくった大衆受けするクラシックは、“障害”と“被爆者”という魔法の言葉によって「奇跡の大シンフォニー」へと変貌したのです。
5万円の懐石料理、50万円のブランドバッグ、500万円の高級時計というのは、原価からはあり得ない値段です。たんなる革製品にロゴがつくだけで値段が10倍になるのは、その背後にある物語(というか幻想)に付加価値があるからです。その物語は広く知られているので、ブランドを持つと周囲の評価が高まります。ひとびとがブランドを好むのは、お金で社会的な評判を買えるからです。
凡庸な楽曲を美談で飾り立てると名曲に変わるのもこれと同じです。消費社会では、モノではなく物語が消費されます。ほとんどのひとはクラシック音楽に興味があるわけではなく、手っ取り早く感動を手に入れたいのです。
「現代のベートーベン」は、“障害”や“被爆者”でマスコミを躍らせれば、音楽的な才能がなくても大きな成功を手に入れられることを実証しました。その意味で彼は、“自分マーケティング”の天才だったのです。
『週刊プレイボーイ』2014年2月10日発売号
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