第30回 クレームが増える理由(橘玲の世界は損得勘定)

 

私はほとんどクレームをつけたことがないのだが、先日、鉄道会社との些細な紛争を体験した。事情は次のようなものだ。

新宿から成田空港に向かおうとしたとき、強風のため特急電車が運休になった。調べると西新宿から空港までのバスが出ているが、改札の有人窓口にはすでにひとだかりができている。列に並ぶ余裕はなく、やむなく自動改札から出場し、ぎりぎりで空港バスに飛び乗ってなんとか間に合った。

帰国後、駅の窓口に行くと、特急料金は払い戻せるが、乗車料金は切符がないから返金できないという(切符の購入は領収書で確認できる)。

もちろん私は、一般常識として、払い戻しには途中下車のスタンプを捺した切符が必要なことは承知している。しかし当時の状況では、混雑する有人改札の列の最後尾に並んでいては飛行機に乗り遅れてしまう。こうした事態は列車の運休によって引き起こされたのだから、自動改札を使ったことを顧客の責任にするのは理不尽だ。

けっきょく駅の窓口では埒があかず、「お客さま相談センター」と話をしたのだが、そこでも「原券がなければ無理」の一点張りでまったくとりあってもらえなかった。

最近はどの業界でも、消費者からのクレームの多発が問題になっている。これは“クレーマー”のせいだとされているが、私はマニュアル化された会社の苦情対応にも問題があるのではないかと思った。

以下、議論が噛み合わなかった理由を列挙してみる。

①権限のない人間が問題を解決しようとする

駅の窓口では、そもそも原券のない払い戻しをする権限がない。それにもかかわらず助役は、現場で問題を解決しようと、こちらが聞くまで相談センターの存在を教えなかった。

②いい加減なウソをつく

駅の窓口では「切符はすでに処分してしまった」と説明されたが、相談センターの担当者は「(新宿駅で投入した)切符を探したが見つからなかった」と言い訳した。

③責任の所在を曖昧にする

「返金しないのは私に責任があるということなのか」と訊くと「そうではない」という。「だったら鉄道会社の責任ではないか」というと「そうでもない」という。

④決定の理由を説明しない

「なぜ原券がないと返金できないのか」と訊くと、「原券がないからです」とこたえる。約款の条項など法的根拠はぜったいに教えない。

⑤規則と前例を譲らない

例外はいっさい認めない、という強固な意志だけははっきりしている。

⑥謝り倒して泣き寝入りを待つ

「運休で迷惑をかけたことは申し訳ないが返金はできない」とひたすら謝る。損害額が少ないので、そのうち諦めるだろうとの魂胆が見え透いている。

鉄道会社は半独占で、不愉快な思いをしても消費者には他の選択肢がない。むなしい交渉の後で、これならクレームが増えるのも当たり前だと思った。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.30:『日経ヴェリタス』2013年5月19日号掲載
禁・無断転

PS:紙幅の関係で概略しか説明できなかったのですが、①新宿-成田空港の乗車券を購入したこと(券売機の領収書で切符の番号まで確認できる)、②列車が運休したこと、③それによって新宿駅で退場し空港バスに乗車したこと(空港バスの領収書で乗車時間まで確認できる)の3点は鉄道会社も事実だと認めていて、私が新宿-成田空港間を乗車していないことと、有人改札を利用できない状況だったことにも同意しているにもかかわらず、「いかなる事情であれ切符がなければ払い戻さない」という話になるわけです。