正月明けに、天気が良かったので七福神めぐりをすることにした。いまや全国的に流行っているようだが、近隣の寺や神社に祀られている七福神をバスや徒歩で回って、専用の色紙に朱印を捺してもらうという趣向だ。いうなれば、ポケモンラリーの神様版である。
色紙の代金は2000円で、バス1日フリー参加券とちょっとしたお土産もついている。興味深いのは、「自分で色紙を用意した場合は御朱印代として各寺300円」という但し書きがあることだ。七福神すべてに押印すると2100円かかるから、専用色紙を買ったほうが得するようになっている。いまでは七福神めぐりも、市場原理に基づいて、コストとベネフィットが均衡するようにできているようだ。
けっきょく、バスは使わずに3時間ほどかけてすべての寺を歩いて回ったのだが、そのうちひとつの疑問が芽生えた。なんで同じような神様ばかりなのだろう?
私は宗教に疎いので、七福神というのは7つの幸福を叶えることだと思っていた。ところが寺社の説明書きを読むと、恵比寿、大黒天、布袋、弁財天は商売繁盛や財福を、福禄寿と寿老人は長寿を司り、毘沙門天だけが知恵の神様だ。
弁財天は琵琶を持つ女性の神様で、もとは音楽と芸能を得意とするヒンドゥー教の女神サラスヴァティーのことだ。そこで「弁才天」の字が当てられたのだが、それがいつのまにか才能が財福に置き換わって「弁財天」になり、霊水でお金を洗うと金持ちになれるという民間信仰と結びついて、銭洗い弁財天になったのだという。
大黒天もその出自はヒンドゥーの神様で、破壊の神シヴァの化身として「大いなる暗黒」を意味するマハーカーラ神のことだ。ところが「大黒」の音が「大国主命」と同じことから、両者が合体して、死と破壊をもたらす神が福々しいお金持ちの神様に変身してしまった。
毘沙門天は仏教の守護神・四天王の一人多聞天のことで、「よく聞く」ことから知恵を司るとされるが、その前身はヒンドゥーのクベーラ神で、地下に眠る財宝の守護神だ。
福禄寿と寿老人は中国の道教の神で、ともに「幸福(子宝に恵まれる)」「封禄(金持ちになる)」「長寿(健康で長生きする)」の3つの願い(三星)を体現している。
布袋は中国の伝説の仏僧で、太鼓腹で大きな袋を背負った姿で描かれたことから、福の神として信仰されることになった。
恵比寿は七福神のなかで唯一日本の神様で、もとは海神として豊漁を祈願された。それが転じて商売繁盛の神となり、広く信仰されるようになった。
こうやって七福神の由来を眺めると、古来ひとびとが何を求めてきたのかがよくわかる。
私たちがなによりも望むのはゆたかに暮らすことと、健康で長生きすること。それにささやかな知恵と、歌舞音曲があればいい。
むかしも今も、幸福の意味はなにひとつ変わっていないのだ。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.25:『日経ヴェリタス』2013年1月20日号掲載
禁・無断転載