『週刊朝日』はいったい何を謝罪したのか?

前回のエントリーをアップした後、『週刊朝日』編集部と著者である佐野眞一氏のコメントが公表された。私の意見にはなんの変更もないが、『週刊朝日』編集部の正式な見解が次号に掲載されるというから、その前に論旨をもういちどまとめておきたい。

・『週刊朝日』に掲載された佐野眞一氏の「ハシシタ 奴の本性」は、「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」の秘密を知るために、「橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげ」るノンフィクションだ。その目的が、出自や血脈(ルーツ)を暴くことで橋下市長を政治的に葬り去ることであるのは、連載の第1回で明快に述べられている。すなわち、佐野氏はこの記事が引き起こすであろう社会的な混乱を含め、すべてを熟知したうえで執筆している。

・『週刊朝日』編集部は、佐野氏のこうした執筆意図に完全に同意したうえで連載を開始した。それは、「ハシシタ 奴の本性」というタイトル(これは佐野氏が提案したのかもしれないが、タイトルの決定権は編集部にある)や、橋下市長の顔写真を前面に出し「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」とのキャッチコピーをつけた表紙、および新聞各紙への大きな宣伝広告を見れば明らかだ。

・この記事に対して橋下市長は、「血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える」と延べ、佐野氏の記事がナチスの優生思想そのものだとして、『週刊朝日』を発行する朝日新聞出版と親会社である朝日新聞社を批判した。その結果、『週刊朝日』編集部は謝罪と連載の中止を発表した。

・ところで、佐野眞一氏は連載の開始にあたって、「オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。そして、いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない」と書いているように、こうした事態を最初から予想していた。佐野氏にとって橋下市長のTwitterによる攻撃は、「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」から当然のことで、自分の記事が正しかった証明でしかない。もちろん、佐野氏には記事を訂正するつもりもなければ、橋下市長に対して謝罪するつもりも微塵もないだろう。

・佐野氏は、「記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』側に任せています」「記事中で同和地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」とコメントしているが、連載を継続するか中止するかは出版社の一方的な判断で、書き手が関与する余地はないのだから、本人の意思にかかわらず『週刊朝日』側に任せるしかない。遺憾の意を表した部分については後でもういちど述べるが、これが橋下市長への謝罪でないのは明らかだ。

・佐野氏の立場になってみれば、自分が「正しいこと」を書いたにもかかわらず出版社の一存で連載が中止されてしまったのだから、残された道は、別の媒体で連載を継続するか、単行本のかたちで作品を完結させて世に問うほかはない。逆にいえば、それができなければ筆を折るしかない――それくらいの覚悟で連載を始めたはずだ。

・このように、橋下市長と佐野氏の立場は真っ向から対立し妥協の余地はないものの、それぞれ一貫している。だが、『週刊朝日』編集部はどうだろうか。

・そこで、『週刊朝日』編集長のコメント

「記事中で、同和地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。私どもは差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受け止めています。弊誌の次号で「おわび」を掲載いたします。」

と、朝日新聞出版のコメント

「第1回の連載記事中で同和地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至りました。橋下徹・大阪市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努めます。本連載の中止で、読者の皆様にもご迷惑をおかけすることをおわびします。」

を検証する。

・ここで、「同和地区を特定するような表現」や「同和地区などに関する不適切な記述」とあるのは、橋下市長の実父が被差別部落の出身であるとして、その地区の名称を文中で明示したことだ。コメントはまるで無自覚にこのような記載をしたかのようだが、同和地区を名指しすることが部落差別のタブーに触れるのは常識(というか常識以前の話)で、そんなことは絶対にあり得ない

・週刊誌の記事はデスクや編集長など編集部内の複数の人間が読み、社内の校閲を通している。そのうえ今回のような訴訟が予想される記事では、顧問弁護士のリーガルチェックも受けているはずだ(それをやっていなければ驚きだ)。文中で同和地区を名指ししたことは、著者と編集部の明確な意図のもとに行なわれたことだ

前回のエントリーで述べたように、これまでの差別問題というのは、著者や編集部の無自覚な差別意識を批判され、それを謝罪するというものだった。一方、佐野氏の記事ではすべてが自覚的に行なわれている。ところが『週刊朝日』編集部は、この問題を従来と同じ「うっかりミス」に矮小化しようとしている。

・同和地区を名指しすることはタブーだが、(その当否は別として)表現者は自らの意思でタブーを越えていくことができる。佐野氏は当然、部落差別のタブーを熟知しており、それを承知のうえであえて同和地区を名指しした。『週刊朝日』編集部は、社内の校閲や弁護士から懸念を伝えられていたものの、佐野氏の意向に同意して、それが部落差別のタブーを侵すことを了解したうえで記事を掲載した。それ以外に、同和地区の地名が週刊誌の誌面に載るなどということはあり得ない

・佐野氏は、同和地区の名称を名指ししたことを、配慮を欠く部分があって「遺憾」と述べたが、橋下市長に対してはいっさい謝罪していない。ところが『週刊朝日』編集部は、「同和地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました」と、佐野氏が認めたもの以外にも複数の差別表現があったことを認め、「橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします」と橋下市長に謝罪している。先に述べたように、そもそもこの記事の目的は橋下市長の出自を暴いて政治的に葬ることにあったのだから、「不快な思いをさせ」たことを橋下市長に謝罪するのは明らかに佐野氏の「遺憾」の範囲を超えている。

・『週刊朝日』編集部は次号でおわびを掲載するというが、それと同時に、「複数の不適切な記述」とはどの部分のことなのか、その理由とともに読者に説明する重大な責任を負っている。

・橋下市長は今回の記事を、「ナチスの優生思想と同じ」と批判している。『週刊朝日』編集部が謝罪と連載の中止を決めたことで「これでノーサイドにしてやる」となったが、橋下市長の理解では、これは『週刊朝日』編集部が、佐野氏の記事を「ナチスの優生思想」だと認めたということだ(だから「ノーサイド」なのだ)。

・『週刊朝日』編集部が謝罪だけで反論しないのなら、橋下市長が批判するように、『週刊朝日』はナチスの優生思想を掲載したことになる。これはいうまでもなく、雑誌の存続にかかわるきわめて重大な問題だ。

・今回の事件では、言論・出版・表現の自由に対する『週刊朝日』編集部の立場が根底から問われている。『週刊朝日』編集部は、記事中にある不適切な表現とその理由を明らかにしたうえで、橋下市長のそれ以外の批判には毅然として反論すべきだ。もっとも、「記事を掲載したのは面白そうだからで、人権はただのお飾り、表現の自由はたんなる方便」ということなら、私にはこれ以上いうべきことはない。

追記:エントリーをアップした後、今回問題となっている同和地区の地名は、すでに別の雑誌に掲載されているとの指摘をいただきました。

上原善広「孤独なポピュリストの原点―「最も危険な政治家」橋下徹研究」(『新潮45』2011年11月号)によると、2008年1月、大阪府知事選に出馬した橋下氏が、街頭で自らこの地名を挙げて演説していたといいます。

同和地区の地名がすでに周知の事実となっているのなら、これを理由に連載を中止する理由はますますわからなくなります。