「素晴らしきベーカムの未来」は、『生活保護の経済分析』(阿部彩・國枝繁樹・鈴木亘・林正義)のなかの、主に國枝繁樹氏の3本の論考、「公的扶助の経済理論Ⅰ:公的扶助と労働供給」(第2章)、「公的扶助の経済理論Ⅱ:公的扶助と公的年金」(第3章)および阿部彩・鈴木亘・林正義氏との共同執筆「就労支援と生活保護」(第6章)を参考にしています。
共著者を代表して林正義氏が「はしがき」で書いているように、『生活保護の経済分析』は、「貧困問題に対処する公的扶助制度の設計は経済学における最も重要な課題の一つであり、特に欧米では、公共経済学や労働経済学と呼ばれる分野において、数多くの重要な研究が蓄積されてきている」にもかかわらず、「日本の近代経済学では公的扶助(生活保護)研究が正面から取り組まれてきたとは言い難く、むしろ、関心さえも十分に持たれることはなかった」との問題意識のもとに、研究者だけでなく一般の読者にも、生活保護や社会保障制度についての欧米の最先端の研究成果をわかりやすく紹介するものです。
こうした企画意図に鑑みれば、私がその論考を紹介するのも、あながち的外れとはいえないでしょう。ただし私の要約はかなり主観的なものなので、できれば原著に直接あたることをお勧めします(社会保障制度に関心があるひとにとっては、とても刺激的な本だと思います)。
ここでは國枝氏の論考から、負の所得税やベーシックインカムが欧米の経済学者によってどのように検証されてきたのかをまとめておきます。今後の議論の参考にしてください。
(1)日本国憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」とは、「所得」の保障ではなく、「効用水準」の保証である。
効用水準を「幸福度」として10段階で評価し、日本人の平均を5、国家が保証する最低限の幸福度を3とする。このとき、幼い子どもをかかえて明日の食費にも窮する母子家庭の幸福度を1とすると、最低限の所得を生活保護で給付することによって、その幸福度を3に引き上げることができる。
ところが、同じように失業中で収入がないものの、親にパラサイトしてネットゲームなどで時間をつぶしている若者もいる。彼の幸福度を3とすると、母子家庭と同様に生活保護を給付した場合、その幸福度は5まで上がってしまうかもしれない。
このとき、働きながら子どもを育て、苦しいなかで納税している勤労者の幸福度を4とするならば、最低所得の保障によって、受給者のなかに納税者の幸福度を上回る者が出てきてしまう。これでは「働かずに生活保護をもらった方が得だ」という強いインセンティブを与えることになり、制度はいずれ破綻してしまうだろう。
それを避けるには、給付にともなって就労義務を課し、幸福度を3にまで引き下げなくてはならない。このような理由から、給付と就労義務はあくまでもセットであり、「働かない者に最低所得を保障する」というような制度はそもそも検討の対象外だ。
日本国憲法の理念はあくまでも効用(幸福度)の最低保証であって、所得を最低保障するものではない。
*上記は私の主観的な要約で、國枝氏の説明とは異なります。
(2)働くと給付が減額される生活保護制度が「貧困の罠」だとしても、負の所得税ですべての問題が解決するわけではない。
日本の生活保護制度では、勤労控除があったとしても、月額4万円から12万円の勤労収入に対する実効税率が83~93%ときわめて高くなり、受給者は働くよりも保護費をもらいつづけることが得だと考えてしまう。
これに対する解決策として、フリードマンが1962年に「負の所得税(マイナスの税率を持つ線形所得税)」を提唱したことはよく知られている。また1995年にはアトキンソンが、線形所得税とベーシックインカム構想を結びつけた「ベーシックインカム/フラットタックス構想」を提唱した。
だがその後の理論研究において、負の所得税は働いていない者が就労する「フェーズイン段階」ではプラスのインセンティブがあるものの、すでに働いている「フェーズアウト段階」の低所得者(ワーキングプア)に対しては労働を抑制するマイナスのインセンティブがあることが指摘された。
たとえば年収300万円の者が、負の所得税の導入で、年収250万円でも50万円の還付金が受け取れることを知ったとすると、彼(彼女)は経済合理的な判断から、より多く働いて収入を増やすよりも、労働時間を減らして還付金をもらうことを選ぶだろう。
負の所得税による労働供給の減少効果は、すでにアメリカの一部地域で社会実験が行なわれている。それによると、負の所得税の導入によって、労働時間は5~25%程度減少し、雇用率も1~10%程度減少している。
負の所得税(ベーシックインカム)はフェーズイン段階ではプラスのインセンティブによって労働供給を増やすが、フェーズアウト段階では就労意欲を減退させるため、両者を合算すると、全体として労働供給は減少してしまうのだ。
日本では、負の所得税(ベーシックインカム)によって労働供給が増えることが当然の前提として語られているが、欧米の理論ではこうした効果は疑問視されている。
(3)低所得者の労働インセンティブは、負の所得税やベーシックインカムでなくても、勤労所得税額控除で改善可能だ。
公的扶助制度は、低所得者に対して補助金を給付する勤労所得税額控除が主流になってきている。
アメリカの勤労所得税額控除(EITC)では、失業者が働きはじめるフェーズイン段階では給付を多くして、その後は所得に応じて徐々に給付率を下げることで、フェーズアウト段階のディスインセンティブを弱めるよう工夫されている。
イギリスが1999年に導入しその後給付対象が拡大された就労税額控除(WTC)では、フェーズイン段階で週16時間の最低労働時間を定める一方、働きはじめた後の給付率が高くなるようになっている。
それ以外にも、オランダ、フランス、ベルギー、フィンランドなどの欧州諸国が同様の勤労所得控除制度を導入し、最近では韓国も導入を決定している。
「貧困の罠」を改善するのに負の所得税やベーシックインカムのような大規模な社会保障制度の組み換えは必要なく、所得に応じて給付率を変えることによって、フェーズイン段階のインセンティブをより大きくし、フェーズアウト段階のディインセンティブを小さくするような工夫が各国で行なわれている。
日本の生活保護制度も、こうした成果を取り入れて、給付付き税額控除でインセンティブを改善することが望ましい。
(4)低所得者層に対する一律の現金給付は望ましくない。
フリードマンは、高齢者、母子家庭、障害者、失業者などのカテゴリー別の公的扶助を批判し、負の所得税のようなより包括的な福祉制度が望ましいとしたが、その後アカロフが、情報の非対象性のもとでは、カテゴリー別の公的扶助政策がより効率的であることを指摘した。
現在では、負の所得税やベーシックインカムのような現金の一律給付よりも、執行当局が貧困層のカテゴリーを認定し、その集団に対して特別な税率表を与えることで、効率的な福祉制度を構築できると考えられている。
日本の社会保障制度でも、一般的な生活保護に加えて、高齢者への公的年金、失業者への失業保険、障害者や母子家庭への特別手当などの対策が講じられているが、こうしたカテゴリー別の特別措置は経済学的に正当化できる。
(5)現物給付よりも現金給付が優れているとはかぎらない。
フリードマンは、フードスタンプなどの現物給付よりも、受給者が自由に使える現金給付の方が優れていると主張したが、人間の非合理性や情報の非対象性を考慮すると、現物給付の方が望ましいという議論が有力になっている。
たとえば、食料品の購入にしか使えないフードスタンプは現金給付に比べて受給者の効用を引き下げるが、その一方で、不正受給によってギャンブルやアルコールに耽溺しようとする者のインセンティブを失わせる。
これによって不正受給を未然に防ぎ、限られた財源を援助の必要な困窮者に振り分けることができる。
(6)勤労者への所得税額控除が望ましいとしても、不正受給の問題は避けられない。
アメリカのEITCは、ケースワーカーとの面談等の受給者の負担をなくし、還付を受ける者のスティグマを軽減し、漏給を減らすために、税務申告書類に基づいて税務当局が還付事務を行なっている。生活保護制度のような受給者の認定を廃止した結果、本来援助の必要なひとに支給が行なわれない「漏給」は減ったものの、不正受給率がきわめて高いと指摘されている。
日本の生活保護の不正受給率が0.3%程度なのに、EITCの不正受給率は20%を超えると推定されている。
(7)公的年金による最低所得保障は一種のベーシックインカムだが、大規模なモラルハザードを引き起こす。
消費税などを財源として、一定の年齢以上の国民に定額の公的年金を一律に給付する最低所得制度が提唱されている。これは、高齢者のみを対象とした一種のベーシックインカムと考えられる。
しかしこの場合、必要となる財源が巨額になるとともに、深刻なモラルハザードが起こると考えられる。将来の定額給付が保証されていれば、現役世代のなかには、保険料納付や私的貯蓄といった自助努力を放棄する層が出てくるだろう。
現在でも、「生活保護をあてにして年金保険料を払わない」というモラルハザードが指摘されている。最近の実証研究では、「将来定年などで仕事をやめたあとに、生活が苦しくなったらどうしますか」との質問に対し、「生活保護を受ける」という回答は全体では13%だが、年金の非納者では3割弱にのぼった。その後の検証で、現在の年金非納付のうち、2割弱が将来生活保護に頼ることをあてにしたモラルハザードの可能性があると指摘されている。
こうした実証研究に基づけば、高齢者のみを対象としたベーシックインカムですら、大規模なモラルハザードが起こることは避けられない。
上記は同書で扱われている議論のごく一部の要約ですが、この本を読むと、「すべてのひとが満足するような理想の社会保障制度は存在しない」ということがよくわかります。