第13回 「租税回避地」ケイマンの素顔(橘玲の世界は損得勘定)

カリブ海に浮かぶ小さな島国ケイマン諸島は、オリンパス事件ですっかり有名になってしまった。オリンパスはケイマン諸島にある投資ファンドやコンサルティング会社に合わせて800億円以上も支払い、それを自社に還流させて巨額の損失を隠蔽していたのだ。

報道だけを見ているとケイマンはスパイ映画に出てくる“悪の巣窟”という感じだが、実際に行ってみると拍子抜けするだろう。小豆島ほどのグランドケイマンを中心に3つの島からなるこの英国領は、どこから見ても南国のリゾートそのものなのだ。

イギリスの統治時代、ケイマンはジャマイカの一部だったが、1962年のジャマイカ独立に際してイギリスの自治領として残ることを選び、カリブを代表するタックスヘイヴン(オフショア金融センター)となった。

サトウキビのプランテーションのためにアフリカから大量の奴隷が送り込まれたジャマイカと、富裕な白人層の避寒地として発展したケイマンでは、社会や文化がまるでちがう。美しい海以外になんの産業もないケイマンにとって、税金を減免して金融機関を誘致し、贈与税や相続税をなくして富裕層の移住を促すことはきわめて自然な選択だったのだ。

金融機関が集まっているのは人口2万人ほどの政庁所在地ジョージタウンだが、ここはカリブ海クルーズの豪華客船の停泊地でもあり、土産物屋や宝飾店が並ぶ商店街はいつもアメリカからの観光客で溢れている。弁護士事務所や会計事務所は繁華街の一角に小さな看板を出しているだけなので、ふつうのひとはほとんど気づかない。

タックスヘイヴンについての典型的な誤解は、オリンパスの払った800億円がこの島のどこかに隠されている、というものだ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』の時代ならともかく、いまではマネーは電子データとしてニューヨークやロンドンの金融機関のコンピュータに格納されている。タックスヘイヴンの役割は、このサーバーのなかにヴァーチャルな「国境線」を引き、他国の金融当局や税務当局からのアクセスを制限することなのだ。

観光・金融とならぶケイマンの産業は不動産業で、美しい白砂のビーチにはホテルやリゾートマンションが立ち並び、その先の別荘地区へとつづいている。だがよく観察すると、閉鎖されたホテルや「For Sale(売出中)」の看板を掲げた別荘も多い。とりわけ中心部から車で1時間以上かかる郊外の別荘地は、地域全体が「売出中」という惨状だ。

2006年に頂点を迎えたアメリカの不動産バブルは、遠くケイマンにまで及んでいた。フロリダやカリフォルニアの不動産が高騰した後、投資家たちは多額のローンを組んでケイマンにまで豪華な別荘を建てたのだ。

いまならカリブ海を見下ろす絶景の豪邸が格安で購入できる。ただし、日本から北米乗継ぎで20時間以上かかるのが玉に瑕だ。

後記:本稿掲載後にAIJ投資顧問のスキャンダルが報道されて、ケイマンはまた不名誉な脚光を浴びることになった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.13:『日経ヴェリタス』2012年2月19日号掲載
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グランドケイマンのジョージタウン
「オフショア金融センター」はこんな建物
街を歩けば「売出中」の看板ばかり