この10年くらいのあいだに脳科学は急速に進歩して、私たちの脳が化学物質によって大きな影響を受けていることが明らかになりました。
脳の仕組みというのは、簡単にいえば入力と出力のあるデジタルマシンで、ニューロンとニューロンの間を化学物質を使って情報伝達しています。そのため、脳内化学物質によく似た薬物を摂取すると、ニューロンが活性化して特有の精神作用が生じます。
これを利用したのがドラッグで、覚醒剤として知られるアンフェタミンは脳内でノルアドレナリンやドーパミンを放出させ、強い快感を引き起こします。逆にアヘンからつくられるヘロインやモルヒネは、興奮の伝達を遮断することで痛みをやわらげ、多幸感を生み出すことが知られています。LSDやエクスタシーのように、脳内の知覚刺激反応を増強させて、恍惚感をともなう神秘体験を起こす薬物も開発されました。
いまでは、脳を直接刺激して精神を操作する方法も見つかっています。
たとえば、脳に強い磁気を当てて側頭葉を活性化させれば幻覚を見るし、左前頭葉ならナチュラルハイになります。さらに、その磁気を大脳の快楽中枢である中隔に向けると、「1000回のオーガズムが同時に襲ってくる」ほどの喜悦を感じるといいます。
サルにボタンを押して中隔を刺激する方法を教えると、ひたすらスイッチを押しつづけ、食べることも眠ることもできなくなり、だいたい2週間で餓死か衰弱死してしまいます。これはまさに「究極のドラッグ」です。
こうした強烈な薬物ではなく、化学物質の摂取によって気分を変えるのがスマートドラッグです。
うつ病の治療薬として知られているのがプロザックで、これはセロトニンという脳内物質のレベルを上げる効果を持っています。
アメリカの脳科学者がベルベットモンキーの集団を調査したところ、ボスザル(アルファオス)は他のオスより2倍もセロトニンのレベルが高いことがわかりました。さらには、ボスの地位を失ったオスはセロトニンのレベルが低下し、うずくまって身体を揺らし、エサを食べなくなって、どこから見ても抑うつ状態の人間と同じようになってしまいました。
次に彼らは、群れからボスザルを隔離し、適当に選んだサルに抗うつ剤を処方してみました。すると驚いたことに、常にそのサルがボスになったのです。
人間の集団でも、うつ傾向の強いひとがリーダーに向かないのは明らかです。それとは逆に、ひとの上に立つような意欲的な人物は、脳内のセロトニンレベルが高い軽躁状態にあるのかもしれません。
ひと(とりわけ男性)は、地位が上がるとセロトニンが分泌されて、ますますテンションが上がります。地位を失うとセロトニンもなくなって、うつ病になってしまいます。失脚した政治家が自殺したり、すぐに病死したりするのを見ると、地位とセロトニンの仮説はけっこう説得力があります。
では、プロザックなどの抗うつ剤を飲むと、人工的な躁状態になって出世できるようになるのでしょうか?
残念ながらそのような研究はまだありませんが、もちろん試してみるのは自由です。
参考文献:V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
ランドルフ・ネシー、ジョージ・ウィリアムズ『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』
『週刊プレイボーイ』2011年9月5日発売号
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