民主党政権とはなんだったのか(2)

いまやなつかしい鳩山政権のマニュフェストを読み返すと、その冒頭に「5原則5策」の政権構想が掲げられている。「内閣官僚制」「省庁代表制」「政府・与党二元体制」という日本の統治構造の変革を民主党が目指していたことがよくわかるので、すこし長くなるが引用しておこう。

  • 【5原則】
  • 原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。
  • 原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。
  • 原則3 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。
  • 原則4 タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。
  • 原則5 中央集権から、地域主権へ。

  • 【5策】
  • 第1策 政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。
  • 第2策 各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。
  • 第3策 官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。
  • 第4策 事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の評価に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行動規範を定める。
  • 第5策 天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担を見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。

「内閣官僚制」とは、内閣総理大臣の指示に従って国務大臣が省庁を統治するのではなく、各大臣が省庁の代表としてふるまうことだった。そこで民主党は、事務次官会議による事前の根回しを廃止し、そのかわりに政治家を大量に省庁に送り込んで、政治主導の意思決定を行えるようにした(幹部職員の人事も政治家が決めるとした)。

それと同時に、事務次官会議に代わる総合調整の機能として「国家戦略局」を創設し、予算の骨格の策定まで行なうとマニュフェストには記した。

「省庁代表制」では、中央政府は地方政府や業界団体を手足のように使って、社会諸集団の利害を代弁し、政策の立案から遂行までを行なってきた(同時に利害関係者は、政治家や業界団体を介して官僚の意思決定に影響力を及ぼした)。

そこで民主党は、地方政府に大幅に権限を移譲するとともに、「ひもつき補助金」を廃止して自由に使える「一括交付金」にすることで、地方政府を財政的にも自立させ、中央政府との役割分担を明確にしようとした。それと同時に、天下りや渡りなどを全面的に禁止し、官僚と民間との癒着を絶つことを目指した。

「政府・与党二元体制」では、政権党が「与党」として政府から距離を置くことで、族議員など党(派閥)の有力者による非公式の行政への介入が常態化していた。民主党のマニュフェストでは、政府と与党を一元化し、意思決定を内閣に集中することを明確にうたった。

ところで、こうした「改革」は民主党の独創というわけではない。自民党政権でも日本の統治構造の欠陥は認識されており、改革への努力は始まっていたと飯尾は指摘する。

橋本内閣では、行政改革会議を中心に内閣機能強化と省庁再編が実施された。各省庁に副大臣と政務官を配置することにしたのは小渕内閣で、小泉内閣では経済財政諮問会議で基本政策を決め、首相主導の内閣がトップダウンで政策を実施する「大統領的」手法がとられた。

それと同時に、官僚の世界でも変化はすこしずつ起きはじめていた。

まず、政権中枢に近い内閣府の官僚に権限が移行することで事務次官を頂点とするキャリアパスが揺らいできた。さらには地方自治体が独自性を主張することで、明治以来の中央官庁の威信も低下した。

自民党から民主党への政権交代は、こうした政治改革の流れをさらに加速させるはずのものであった。

政治改革の目的は、議院内閣制の下で内閣に権力を集中させることだ。しかしこれは、一歩間違えば独裁へとつながりかねないから、権力を統制する仕組みが不可欠となる。それが、政権交代だ。

自民党時代は派閥抗争によって擬似的な政権交代が行なわれてきたが、民主党はマニュフェストという「国民との契約」を掲げて選挙をたたかい、政権交代できることを示した。

政権党の内閣に権力を集中させても、その結果に満足できなければ、次の衆院選で政権交代させればいい。権力統制の仕組みとしては、こちらの方がずっとすっきりしている。民主党は、政権交代という選択肢を有権者に提供したことで、強大な権力を行使する正統性を得たのだ。

2009年の民主党は、(すくなくともマニュフェストのうえでは)日本の統治構造の問題点を明確に意識し、その変革を目指していた。「ばらまき4K」は政権交代のための方便であり、税と社会保障の一体改革は新しい政治体制でこそ実現可能になる。だとすれば政治=行政改革こそが、民主党政権の本質だったのだ--たぶん。