菅首相が退陣を決意し、1週間後にはこの国に新しい首相が誕生する。これを機に、「民主党政権とはなんだったのか」を考えてみたい。
といっても、私は政治学の専門家ではないから、ここでは政治学者・飯尾潤の『日本の統治構造』を導きの糸としたい。同書は、この国がどのような権力関係よって統治されているのかを、政治家や官僚への膨大な聞き取り調査(フィールドワーク)に基づいて検証した労作で、今後も長く日本の政治を語る際の基本文献になるだろう。
飯尾は、日本の統治構造の特徴を「官僚内閣制」「省庁代表制」「政府・与党二元体制」の3つのキーワードにまとめる。これら3つの要素は互いに相補的な関係(ナッシュ均衡)にあり、安定的な(なかなか変わらない)日本の「政治」をかたちづくっている。
そもそも議院内閣制とは、 民主的な選挙で選ばれた議員(国民代表)が議会を構成し、その議会に権力を集中する仕組みだ。大統領制では大統領と議会に権力を分散するのに対し、議院内閣制では、議会主権による権力の集中が行なわれる。
連邦債務上限問題をめぐる米議会の混乱を見ても明らかなように、アメリカの大統領は議会を統制する権限をほとんど持っていない。日本に政治リーダーシップがないからといって、大統領制に変えても問題はなにも解決しない。
議院内閣制では、議会内で多数を占めた政権党(政党連合)が内閣総理大臣を選出し、総理大臣は各省庁の国務大臣を指名して政府を組織する。このような権力フロー(統治構造)からすれば、政府と政権党は一体であり、議会内での対立は政権党と野党の間で起こるはずである。
ところが実際には、日本の政治には本来の議院内閣制ではあり得ない奇妙なことが頻発する。
ひとつは、各省庁の大臣に実質的な拒否権が与えられていることだ。自民党時代の閣議は全員一致が原則で、大臣が反対するものは閣議決定に回されなかった。大臣は担当する省庁の代理人(エージェント)として、省庁の利害を代表することを求められていた。
このため閣議決定には事前の根回しが不可欠で、前日に各省庁の事務次官が集まる事務次官会議が開かれ、そこで反対のなかった案件だけが翌日の閣議の議題とされることになった。
大臣が各省庁の代理人となり、その合議体として内閣が構成されるのが官僚内閣制だ。
官僚内閣制では、政府における最終的意思決定の主体が不明確化し、必要な決定ができなくなり、 政権が浮遊してしまう。これが日本中枢の崩壊だが、それは議院内閣制の問題ではなく、日本的な統治構造の必然的な帰結なのだ。