ある日の夜、住宅街を歩いていると、後ろから若いカップルの言い争う声が聞こえてきました。といっても、男性が一方的に怒っているみたいです。
「オレは高校ではサッカーやってたけど、プロのピッチに立ったことはないよ」男性が、苛立った声をあげます。「だからといって、オレがサッカーを語っちゃいけないっていうのかよ」
「そんなことじゃなくて……」彼女が、困惑した様子でなにかいいかけます。
「オレはたしかに会社で働いたことはないよ」それをさえぎって、男性がさらにいいつのります。「でもそれが、テツの仕事のことをいっちゃいけない理由にはならないだろ」
このあたりで、ようやく話の筋が見えてきました。二人にはテツという共通の友人がいて、最近、どこかの会社に就職しました。そのことについて男性が、「あんなブラック企業なんかサイテーだ」と批判したところ、彼女から、「あなたはいちども働いたことがないじゃない」といわれてしまったのです。
男性はそれに逆上して、「プロの経験がなければプロサッカーを語れないのか?」と、彼女を責めはじめました。歩く早さが同じなのと、男性の声が大きかったのでこうしたやりとりがすべて聞こえてしまったのですが、彼女に対するこの非難はかなり理不尽です。
男性のロジックは、「倫理的な問題を一般的な問題にすりかえる」という典型的な詭弁です。
素人がプロのサッカー選手を批判することはもちろん自由です。「メッシって、やっぱりたいしたことないな」とか。
こうした気楽な批評が許されるのは、私たちとメッシのあいだになんの個人的な関係もないからです。メッシが私の言葉を聞いて不愉快になることもなければ、そもそも私の存在自体を知らない、ということを前提として、好き勝手なことをいう自由が成立します。
しかしこうした権利は、常に認められるわけではありません。少年サッカーの試合で、頑張ってる子どもを「下手くそ」と罵ることを「表現の自由」とはいわないでしょう。
カップルの諍いは、就職した友人を男性が批判したことがきっかけでした。それに対して彼女は、「フリーターしかしたことのないあなたに、そんなことをいう資格があるのか」と訊いたのです。
ここで問われているのは、「フリーターは正社員を批判できるか」という一般論ではなく、「どのような立場であなたは友人を批判するのか」という倫理的な態度です。男性は、彼女の道徳的な問いにちゃんとこたえることができなくて、個人的な問題を一般論にすりかえて怒り出したのでした。
こうした詭弁は、私たちのまわりでもとてもよく目につきます。それがどれほど無様であっても、私たちは、攻撃されると反射的に身を守ってしまうのです。
彼女には、恋人とケンカするつもりはなかったのでしょう。しまいには黙り込み、泣き出してしまいました。それでもプライドを傷つけられた男性は、いつまでも同じ非難を繰り返すばかりです。
さっさと許して仲直りすればいいのに、過ちを認めるのはやっぱり難しいのかなあ。
『週刊プレイボーイ』2011年8月8日発売号
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