7月はじめの休日に、街で奇妙なデモ隊と遭遇しました。手づくりのプラカードを掲げた若者たちが、サウンドマシンを積み込んだ軽トラックを先頭に、ラップに合わせて「原発いらない」「子どもを守れ」と歌い踊っています。アニメ風のコスプレ姿もあれば、裸に放射能標識を描いた男性もいます。
物珍しさでしばらく眺めていると、そこに学生服姿の高校生が通りかかりました。
「きれいごとばっか叫んでるんじゃねえよ」
高校生のひとりが、デモ隊を見て顔をしかめます。
「原発があったから、これまで気楽に暮らしてこれたんだろ」
このように、エネルギー政策をめぐって、国民の間には多様な意見があります。それを、多数決のデモクラシーによってひとつにまとめていくことができるのでしょうか。
ここで、「投票のパラドックス」を説明したいと思います。といっても、これはぜんぜん難しい話ではありません。
ジャンケンでは、グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝ちます。このような三すくみ状況では、どれがもっとも強いかを決めることができません。
ここに、発電について異なる意見を持つ3人の有権者がいます。1人は「安全重視」派で、できるだけ安全な発電方法を採用すべきだと考えます。もう1人は「コスト重視」派で、電力がなければ日本の産業は成り立たないのだから、発電コストは安い方がいいと主張します。最後の1人は「環境重視」派で、地球の未来を考えれば二酸化炭素の排出量を減らすのが人類の責務だと力説します。
そこで、発電方法として火力発電、原子力発電、太陽光発電(再生可能エネルギー)の3つがあるとしましょう。
「安全重視」派は、危険な原子力よりも安全な火力発電を迷わず選択します。太陽光と火力なら、安全性は同程度ですから、温暖化ガスを排出しない太陽光を好むでしょう。
「コスト重視」派は、太陽光は発電コストが高すぎて非現実的だから、当面は原発を稼動させるしかないと考えます。しかしその原発も、廃炉費用を含めた総コストは火力と変わりませんから、より安全な火力を選択します。
「環境重視」派は、大量の温暖化ガスを排出する火力はできるだけ減らすべきだとして、太陽光を支持します。しかし、それだけで必要な電力を賄えないのは明らかですから、二酸化炭素を出さない原子力で地球温暖化を防ぐほかないと思っています。
この3つの立場は、正しいか正しくないかは別として、首尾一貫しています。ところがこの論理的な3人が多数決で決着をつけようとすると、下図のような奇妙なことになってしまいます。
「選挙」の結果は、火力よりも太陽光を好むひとが2人、原子力よりも火力を好むひとが2人ですから、理屈のうえでは、太陽光は原子力よりも好まれなければなりません。しかし実際には、太陽光より原子力を支持するひとが2人いることになってしまうのです。
以前の回で、参加者が無知でも投票の結果が合理的になる不思議な仕組みについて書きました。しかしここでは、すべての有権者が合理的であっても、選挙結果はなぜか不合理になってしまうのです。
『週刊プレイボーイ』2011年7月25日発売号
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