今から5~6年前のことだけれど、上海から列車で3時間ほどの田舎町で、僕は呆然と駅の電光掲示板を眺めていた。外はびしゃびしゃと雨が降っていた。夜の11時を回って駅舎の照明は落とされていたが、待合室にはまだ人がごった返していた。上海行きの列車が大幅に遅れ、駅員も帰ってしまい、「到点(到着時間)不定」の案内がむなしく明滅するばかりだ。
能天気な僕も、さすがにちょっとマズいと思いはじめた。翌日の午前便で日本に帰ることになっていた。半日旅行のつもりだったから、現金はほとんど持っていない。
とりあえず学生風の若者をつかまえて身振り手振りで事情を説明すると、しばらく頭をひねっていたが、真っ暗な路上に屯する男たちを指差した。白タクと交渉しろ、ということらしい。
ほかに方途もないので、革ジャンにリーゼントという暴走族風の若者に声をかけた。筆談で行き先を告げると、「無問題」と親指を立てる。
ボディが擦れるほどシャコタンにした改造車で最初に連れていかれたのは、街中の小さな銀行だった。薄汚れた壁にATMマシンが野ざらしになっている。照明すらないが稼動はしているらしく、おそるおそるカードを挿入し暗証番号を押すと、100元札が吐き出されてきた。
運賃が回収できるとわかって、暴走族の白タクは高速を時速150キロでぶっ飛ばした。上海まで2時間、料金は400元(約5,000円)だった。
こんな話を思い出したのは、日本を訪れた外国人旅行者が同じ状況に陥ったらどうなるだろうと考えたからだ。きっと彼は、深夜の銀行の前でカードを握り締め、途方に暮れているはずだ。
ゆうちょ銀行やセブン銀行などを除き、日本のATMは国際回線に接続していないので、海外のATMカードやクレジットカードは使えない。中国の片田舎の銀行でもATMは24時間で、世界じゅうのカードに対応しているというのに。
もちろん日本人はみんなどこかの銀行に口座を持っているから、海外カードのことなんか気にしない。でもこれは、外国人にとっては大問題だ。カードで現金が下ろせない国なんて、日本くらいしかないのだから。
なんでこんなことになるかというと、日本の銀行が独自仕様にこだわって、顧客を囲い込もうとするからだ。その結果、顧客以外の利用者(とりわけガイジン)がサービスから排除されることになる。特殊機能ばかり発達させた日本の携帯は「ガラパゴス化」と揶揄されるけど、金融サービスだって立派なガラパゴスだ。
僕たちがふだん当たり前だと思って受け入れていても、世界基準(グローバルスタンダード)で見れば不思議なことがたくさんある。そんな「不思議の国」の金融機関を、この連載では探検してみたい。
橘玲の「不思議の国」探検 Vol.1:『日経ヴェリタス』2009年10月11日号掲載
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●本稿に関して、新生銀行の広報の方から下記のような情報提供をいただきました。
当行では、2001年9月より、インターナショナルキャッシュサービスを開始しております。 これにより、当行の 総合口座パワーフレックスのキャッシュカードは、そのまま、海外のPLUSおよびCirru sの加盟のATMで、 現地通貨の引き出しが可能となっています。これに関して、特別の申請や、専用カードの発行な どの手続は 一切必要なく、口座のキャッシュカードがそのまま海外で使用できます。
また、2004年9月より、海外発行のキャッシュカードの利用が可能なATMの設置を行ってお り、現在、 当行のATMでは、PLUSおよびCirrusに加盟のキャッシュカードのご利用が可能となってお ります。