国家権力は市場に介入できるか

法学と経済学は日本のアカデミズムではまったく別の学問として扱われているが、法律の目的を社会の厚生を最大化することだと考えれば、法(とりわけ民法や経済法)の根拠は経済合理性にあり、法律家はミクロ経済学やゲーム理論等の知見を活用して市場の効率化を目指すべきだ、ということになる。こうした観点から法学と経済学を統合する(というよりも、法学を経済学の一部に組み込む)のが法と経済学だ。

法と経済学は、国家(政府)の市場への介入は最小限にすべきだとしながらも、市場参加者は常に経済合理的に行動するわけではなく、市場も完全無欠の制度ではないという理由から、国家の市場への介入が正当化できる場合があることを認める。だがそれは、きわめて限定された状況だけだ。

ここでは、私自身の備忘録も兼ねて、福井秀夫(『ケースからはじめよう 法と経済学―法の隠れた機能を知る』)が日本経済新聞「経済教室」(2008年8月26日)に寄稿した「『安心・安全』と真の消費者利益-安易な介入強化許すな」から、法と経済学が考える国家(権力機構)の役割を挙げておこう。

福井によれば、市場の失敗を理由に国家が介入できるのは、下記の5つのケースのみである。

  1. ただ乗りが容易で、社会的には望ましいのに民間では供給されない公共財の供給(外交、防衛など)
  2. 取引当事者以外に利益または迷惑をもたらすため、最適な消費水準などが保たれない外部性の是正(公害対策、教育への助成など)
  3. 供給者と消費者との間で財・サービスなどの情報に格差があり、放置すると低品質なものが市場を席巻し、優良なものが駆逐される非対称性の是正(耐震偽装対策、資格制度など)
  4. 多数当事者が存在して交渉が成り立ちにくい、あるいは約束事の不履行などのために自発的交換などが行われにくいという取引費用の軽減(司法制度、再開発制度など)
  5. 独占・寡占による非効率の是正(独占禁止法、電力・通信等規制など)

「小さな政府」を唱える功利主義者は、これ以外の理由で国家が市場に介入することを原則として認めない(経済格差を是正するための所得の再分配に関しては意見が分かれる)。法と経済学の立場からは、民主党がマニュフェストに掲げる子ども手当て、高速道路無料化、農家戸別所得補償(最近ではこれを「3K支出」と呼ぶそうだ)などは、いずれも経済政策として正当化できない。それ以外でも、金利の上限規制や強すぎる解雇規制、借主を過剰に保護する借地借家法なども、国家による市場への誤った介入として批判されることになる。

さらに、市場の失敗があるからといって、その領域において国家の介入が無条件で認められるわけではない。市場と同様に政府も失敗し、近現代史をひもとくまでもなく、ときにその失敗は取り返しのつかない災厄を引き起こす。だとすれば国家の介入は、予想される政府の失敗が、市場の失敗よりも被害が少ないと論証できる場合にのみ認められることになるだろう。私見によれば、こうしたケースは(もしあったとしても)きわめてわずかだ。

上記の論文の最後で、福井は次のように書いている。

建前の美名に基づく安易な権力介入の強化は、少数者・新参者の権利や利益を侵害し、その一方で既得権を持つ特定利益集団とそれに連なる官僚機構の権力や利権を拡大させる。

「自由からの逃走」は全体主義への道である。