「財務省解体デモ」という奇妙な現象が起きています。報道によればSNSを通じた呼びかけで集まった1000人を超すひとたちが霞が関の庁舎前に集まり、「罪務省解体!」「天下りやめろ!」などの手製のプラカードを掲げ、「消費税をぶっこわーす!」「明日からやめろ、コラっ!」などと叫んだとされます。
この運動の背景に、アメリカで起きている行政機関の解体・リストラがあることは間違いありません。トランプはUSAID(アメリカ国際開発庁)につづいて教育省を解体する大統領令に署名しました。
米共和党がこのような政策を推進するのは、アメリカが「州(State)」の連合体で、教育は連邦政府ではなく、それぞれの州政府の自治に任せるべきだと考えているからです。大統領令の効果は限定的で、議会の承認を得て実現する可能性は低いとされますが、仮に教育省が解体されても公教育は州によって提供されることになります。
それに対して、国の予算をつくったり、国債の発行・管理をする財務省の役割は、他の行政機関が肩代わりすることはできません。財務省を解体すれば、第二財務省ができるだけなのです。
もうひとつの背景は、一部のインフルエンサーなどが財務省を「緊縮財政の元凶」として批判してきたことでしょう。しかし不思議なのは、日本の政府債務残高がGDP比で240%と、先進諸国で最悪なことです。「緊縮財政」をしているのに国と地方を合わせた「借金」が1200兆円も積み上がるというのは、なにかの超常現象か、そうでなければ、日本は「バブル崩壊後これまで緊縮財政だったためしがない」のです。
こうした「放漫財政」批判に対しては、「主権通貨をもつ国は(インフレになるまで)無制限に財政を拡張できる」と反論されます。これは「いくら放漫財政をしても問題ない」という主張ですが、そうなると財務省が「緊縮財政」をしているという話と矛盾してしまいます。「放漫財政なのに緊縮財政」とは、いったいどういうことなのでしょうか。
とはいえ、財務省解体デモの参加者は、こうした理屈にはさしたる関心はないようです。コロナ禍とロシアのウクライナ侵攻を機に日本は長いデフレから「脱却」しましたが、期待されたような「日本経済の大復活」が起こらないばかりか、物価の上昇が賃金の上昇率を上回り、日本人はどんどんビンボーになってしまいました。最近はコメや生鮮食料品が値上がりして、それが家計を直撃しています。
「一生懸命働いているのに、どんどん貧しくなるのはなにかがおかしい」と思うのは当然です。そんなときにSNSを見ると、「国民の生活が苦しいのは、財務省の緊縮財政のせいだ」と説明する動画が次々と出てきます。こうして「答え」を見つけたひとたちが財務省前に集まっているのだと考えれば、この現象が理解できるでしょう。
ここで重要なのは、「財務省解体」論に根拠がないとしても、ひとびとの怒りや不満は本物だということです。昨年の衆院選では与党が過半数割れに追い込まれましたが、今年7月の参院選では、その怒りが日本の政治をさらに大きく変えていくことになりそうです。
参考:土居丈朗「日本は「緊縮財政」だったためしがない」日経ヴェリタス2025年3月30日
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