ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2016年7月公開の記事です(一部改変)

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イギリスのEU離脱が決まった6月24日はロンドンにいた。そこからEU本部のある「ヨーロッパの首都」ブリュッセルを経由し、フランスでヨーロッパサッカーの祭典EURO2016を観戦して先週帰国したのだが、正直、日本でのブレクジット(Brexit)の報道には違和感があった。
日本ではなぜか、EU(欧州連合)は無条件に「善」で、そこからの離脱を求めたイギリスのナショナリストは「悪」にされている。この善悪二元論はヨーロッパやアメリカの論調で、イギリスではEU残留派も、国民投票の結果が出たあとは民主的な決定を受け入れ、国益を損なわないかたちで有利な離脱を達成する現実的な方策を議論していた。
しかし日本に伝えられるのは、「スコットランドがEU残留を求めてイギリス(グレートブリテン)が解体する」とか、「(EU負担金がなくなれば財政難の国民保険サービスに出資できる、などの)離脱派の「公約撤回」に怒った残留派が国民投票のやり直しを求めてデモをしている」とかの、「EU離脱=大失敗」のステレオタイプばかりで、なぜEUがこれほどまで嫌われるのかはわからないままだ。
離脱派のプロパガンダに問題があることは間違いないとしても、「EU=善」の一方的な視点では、イギリス国民の半分は「主権回復」を煽り立てるポピュリストに騙された「馬鹿で間抜け」になってしまう。アメリカやヨーロッパのメディアといっしょになって「大英帝国の栄光にしがみつく時代錯誤のイギリス人」を嘲るのは気分がいいかもしれないが、それだけではいまヨーロッパで起きていることは理解できないだろう。
そこでここでは、ロジャー・ブートルの『欧州解体 ドイツ一極支配の恐怖』(町田敦夫訳/東洋経済新報社)に拠りながら、「離脱派の論理」を見てみたい。ちなみに著者のブートルは下院財務委員会の顧問を務めるなどイギリスを代表するエコノミストの一人で、いちはやく「EU離脱」の経済合理性を主張した離脱派の理論的支柱でもある。原題は“The Trouble With Europe(ヨーロッパというトラブル)”。邦訳の副題は「ドイツ一極支配の恐怖」となっているが、内容は「イギリスはなぜEUから離脱すべきか」の首尾一貫した主張で、いまならこちらのほうがタイムリーだろう。
ヨーロッパの「大国クラブ」からの拡大が混乱を生んだ
『欧州解体』でブートルは、政治的・制度的なEUの構造的問題(第1部)、共通通貨ユーロに象徴される経済問題(第2部)、EU変革の可能性(第3部)を論じている(原著は2014年発売なので、その後に大問題となった難民については主要なテーマとしては扱われていない)。そのうえでブートルは、イギリスはヨーロッパとともに繁栄すべきだが、EUこそが欧州の成功を阻む最大の障害になっているとして、次善の策として離脱を主張するのだ。
よく知られているように、EUは第二次世界大戦後の1952年にフランス、西ドイツ(当時)、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国によるECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)として発足した。当時は米ソ両超大国の冷戦下で、自由主義圏に属する西側ヨーロッパはソ連の核の恐怖にさらされていた。フランスの利害は、宿敵ドイツを抑え込むことから、米国を中心とする軍事同盟(NATO)に西ドイツを引き入れ、ソ連・東側諸国と対抗することへと変わったのだ。
だがフランスにはドイツに対する根強い警戒感があり、そのため独仏国境の歴史的な係争地で、重要資源である石炭を産出し、軍備に不可欠の鉄鋼を生産するアルザス・ロレーヌ地方を周辺諸国と共同管理し、戦後ドイツの軍国化を阻止しようとするECSCが構想された。
こうして生まれた欧州統合の歩みを、ブートルは次の5つの信念に支えられてきたという。
- 次の欧州の戦争を避けたいという願望
- 欧州は1つにまとまるのが自然だという考え方
- 経済的にも政治的にもサイズが物を言うという発想
- 欧州が1つになってアジアからの挑戦に対抗する必要があるという認識
- 欧州の統合はある意味で不可避であるとの思い
この信念は、冷戦下においてイギリス国民にも共有されていた。だからこそイギリスは、国内の激論を経て1973年にEC(欧州諸共同体)に加入することになる。だがその後、冷戦の終焉とEU加盟国の東側への拡大のなかでEUは急速に変質し、政治的な統一体として機能することが困難になったとブートルはいう。
1957年のEECの原加盟国(ルクセンブルクを除く)の1人あたりGDPを比較すると、もっとも豊かなオランダの約1万3000ドルと、もっとも貧しいイタリアの約9000ドルの差は3割ほどしかない。だが2004年に東方への大規模な拡大が行なわれると、もっともゆたかなデンマーク(約3万7000ドル)ともっとも貧しいポーランド(約1万3000ドル)の1人あたりGDPの差は3倍にも広がった。その後、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア、クロアチアなど“欧州最貧国”の加盟にともなってこの差はさらに大きくなっている(2015年の1人あたりGDPで見ると、世界でもっともゆたかなルクセンブルクの10万2000ドルに対し、EU加盟を目指すアルバニアは約4000ドルで25分の1)。
EUの予算はドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど大国からの拠出金に依存しており、これでは「自分たちの血税が貧しい国の福祉に流用されている」との不満が高まるのは当然だ。EUはこの再分配をさまざまなロジックで正当化し、あるいは実態が見えにくくなるよう隠蔽しているが、これほどの不均衡を抱えたままでは行き詰まるのは時間の問題だったのだ。
EUは奇怪で理解困難な政治体
国民国家が税を徴収し、ゆたかな国民から貧しい国民に富を再分配することが許容されるのは、政府が「主権者」である国民(市民)の民主的な選挙によって選ばれると同時に、国家がお互いに助け合うべきひとつの共同体と意識されているからだ。この共同体意識は、近代においては「民族」を単位に醸成されてきた。
ところがEUはきわめて特異な政治体で、国民国家のようなリベラルデモクラシーによる権力の正統性をつくることができない。EUの組織はきわめてわかりにくいが、建前では、欧州議会、欧州理事会、欧州委員会の三者に権力が分有されている。
フランスのストラスブールとベルギーのブリュッセルの2カ所に議事堂を持つ欧州議会はイギリスの下院(日本の衆議院)に相当する立法府だが、「欧州市民」というアイデンティティがないため欧州議会選挙の投票率は選挙のたびに低迷し、「二流の総選挙」と揶揄されていた。さらにはイギリス独立党のファラージュ党首やフランス国民戦線(NF)のルペン党首などを有力議員とするEU懐疑派が10%以上の議席を保有しており、立法活動以前にEU解体が議論(というか罵倒)される有様で、まともに機能しているとはとうていいいがたい。
一方、各国首脳からなる欧州理事会は、位置づけとしてはイギリスの上院(日本では戦前の貴族院)に相当し、事実上EUの最高意思決定機関になっているが、EU拡大にともなって理事国が増え、機能不全を起こしているのは欧州議会と同じだ。ギリシア危機や難民問題で露呈したように、現実は各国の利害が真っ向からぶつかりあう国際政治(リアルポリティックス)そのもので、「民主的」な議論などどこにもなく、ドイツ、フランスなどの大国と関係諸国の談合の場になっている。
欧州議会、欧州理事会が立法府として機能しない以上、EUの膨大な立法措置は「規制」「指令」などのかたちで欧州委員会から発せられる。欧州委員会は建前上は行政府に相当するが、そのトップである欧州委員会委員長(当時はルクセンブルク前首相のジャン=クロード・ユンケル)は「ヨーロッパ市民」の選挙によって選ばれたわけではなく、民主的正統性に重大な問題を抱えている。
さらにはEUには欧州理事会の常任議長(「EU大統領」と通称され、当時はポーランドのドナルド・トゥスク首相)、輪番制で任期6カ月の欧州理事会議長(16年7月からフィンランド元首相のマッティ・ヴァンハネン)、欧州議会議長(当時はドイツのマルティン・シュルツ)がおり、いずれも英語ではプレジデントPresidentと呼称されることから、イギリス人からはヒドラのような奇怪な組織にしか見えない(欧州委員会委員長とEU大統領はG7のメンバー)。そのうえドイツのメルケル首相がEUの実質的な支配者(独裁者)とされるのだから、このような得体の知れない異様な政治体に支配されるのは真っ平だと考える者が増えるのも当然だろう。
こうした不信感に輪をかけたのが、実質的な「EU政府」である欧州委員会のエリート官僚たちが次々と押しつけてくる瑣末な規則や指令だ。話題になったものとしては、レストランのテーブルに置かれるオリーブオイルを、あとからオイルを足したり中身を差し替えたりできない「EUスタンダード」のラベルの瓶に限るとか、美容院では女性美容師はハイヒールを履いてはいけないとか、スーパーで販売するキュウリが曲がっていてはいけないなどがあり、いずれもイギリスのタブロイド紙で叩かれたあげく撤回されたが、これらが面白おかしく報じられたことがEU離脱派を勢いづけたことは間違いない。
どうでもいい規則が量産されるのは、欧州委員会が巨大な官僚組織だからだ。日本の官僚と同じで、彼らの発想の根本にあるのは市場の規制によって自分たちの権限を強化することだ。アメリカ大統領選を見てもわかるように(エリートによる)官僚支配は世界的に嫌われているが、EUでは政治家と議会による統制が効かないため、欧州委員会の官僚主義がとめどもなく肥大化していく。これが早晩、「小さな政府と自由な市場」を国是とするイギリスの利害とぶつかることは避けられなかったのだ。
経済危機に経済を縮小させて耐えるしかない仕組み
民主的な正統性の欠如と同時に、EUの抱える深刻な問題が経済政策であることは間違いない。その象徴が共通通貨ユーロだが、通貨のみを統一して各国の財政政策がばらばらのままという制度的欠陥についてはすでに多くが語られているので、ここであらためて論じることはしない。
EUの経済政策の構造的な問題はユーロ導入を決めた1992年のマースリヒト条約にまで遡る。この時期は冷戦の終焉とベルリンの壁崩壊を受けてドイツ統一を認めるかどうかが重大な政治課題となったのだが、あくまでもドイツを東西に分断させたままにしようとするイギリスのサッチャー首相に対し、フランスのミッテラン大統領は、強力な通貨マルクを手放すのと引き換えにドイツ国民の悲願である統一を認めることを西ドイツのコール首相とのあいだで合意した。このときドイツの財務・金融当局の最大の懸念は、共通通貨の導入によってドイツの税金が他国の財政再建に流用されることだった。
それを防ぐために、EU加盟国には財政赤字を対GDP比3%以内、政府債務を対GDP比60%以内に抑えるなど厳しい規制を科すとともに、財政はそれぞれの加盟国の責任として国境を越えた資金の投入が禁じられた。この財政規律はドイツがマルクをEUに引き渡す大前提なので、ドイツ国民のあいだでは“神聖不可侵”と考えられている。EUは加盟国が深刻な経済危機に陥っても、財政政策によって対応することができないのだ。
前代未聞のグローバル金融市場の混乱を引き起こしたユーロ危機やギリシア危機ではそのような建前をいっているわけにはいかなくなったが、だからといってドイツに財政出動を認めさせることもできず、すべての重荷は欧州中央銀行(ECB)の金融政策が負うことになった。こうしてECBは、四半世紀に及ぶデフレに苦しむ日本にさきがけて「マイナス金利」という禁断の果実に手を出すことを余儀なくされたのだ。
日銀のリフレ政策が思ったように機能しないことでも明らかなように金融政策には限界があり、かといって財政政策が封じられているとなると、通貨を大幅に切り下げて競争力を回復するしかない。だが共通通貨ではその手段も使えず、あとは経済規模を縮小させて財政赤字を減らすしか方途は残っていない。自業自得とはいえ、これがどれほどの困難を国民に負わせるかはギリシア危機が示したとおりだ。
こうしたユーロの惨状は、共通通貨を拒否してポンドを保持したイギリスから見れば、自らの正しさの証明にほかならない。さらには難民問題では、EU域内の自由な移動を定めたシェンゲン協定に加わらず、島国の利を活かして出入国管理をつづけたことの正しさが証明された。
EUは民主的な正統性がないばかりか、通貨・経済政策と難民問題で致命的な大失敗をした。そのような組織に対する「懐疑」が広まった理由は、ナショナリズムやポピュリズム、帝国主義時代への郷愁などを持ち出さなくても、経済合理性と政治的な常識だけでじゅうぶん説明できるのだ。
註:日本は長いデフレから脱却、物価が上昇しているが、「リフレ論」が主張したような「日本経済の大復活」は起こらなかった。それと同様にBrextでも、悲観派が予測したイギリス経済の崩壊も、楽観派が主張した「イギリスの復活」もともに起こらず、ゆるやかな経済の停滞が続いた結果、2025年1月31日に公表されたイギリスの世論調査では、ブレグジットについて「誤りだった」と回答した国民は55%に上った。「正しかった」は30%で、この5年間で最低。2016年に離脱に投票したひとたちも32%が「失敗」と回答した。
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