石破茂さんのこと(『80’s(エイティーズ)』番外編)

石破茂さんが首相に選出されたので、『80’s (エイティーズ)  ある80年代の物語』の番外編として、むかしの思い出を書いてみることにしました。

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ぼくが月刊誌の編集長をやることになったのは1994年で、その前年には自民党が政権の座から転落して細川連立政権が成立し、その後、自民党と社会党が(あり得ない)連立を組んで政権を奪還した。論壇誌では毎号、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が戦わされていて、ぼくは政治にはまったくの素人だったけれど、政治家のコラム連載がひとつくらいあってもいいんじゃないか、と思いついた。

編集部で「誰か、いいひといないかなあ」と聞くと、最近、インタビューした面白い政治家がいるという。それが石破さんなのだが、不勉強なぼくはどんなひとかまったく知らなかった。それでも、とりあえず会いにいくことにした。

石破さんは1986年の衆院選に自民党から出馬して29歳で初当選し、93年に宮澤内閣の不信任決議に賛成して公認を得られず、無所属で当選したのち、小沢一郎が率いる新生党に参加した。ぼくが会ったのは、そんなときだったと思う。

打ち合わせの場所として石破さんが指定してきたのは、議員事務所ではなく、国会議事堂の中にある国会図書館の分室・議員閲覧室だった。なぜそんなところにするのか不思議だったのだが、石破さんは時間があると、ここで資料を調べ、政策について考えているのだった。

そのときどんな話をしたのかもう覚えていないのだが、学校の先生のように、噛んで含めるような話し方をするひとだなあ、と思った。石破さんは、すぐ近くにこんな立派な施設があるのに、自分以外の議員はまったく利用していないと、政治家の不勉強を嘆いていた(これがその後、他の政治家から「上から目線」などと嫌われることになったのだろう)。

その場で連載を依頼すると、石破さんは快諾してくれた。石破さんが目指す政治についてはよくわからなかったが、正直にいうと、雑誌のリニューアルでものすごく忙しくて誰でもよかったのだ。

その翌年は年明けに神戸で大きな地震があり、3月には地下鉄サリン事件が起きて日本中が大騒ぎになった。ぼくがやっていた雑誌は、このカルト教団を擁護しているのではないかと、強い批判を浴びることになった(その経緯については『80’s(エイティーズ)』を読んでほしい)。

そんなときも石破さんは、なにもいわず、毎号、締め切り前にきちんと原稿を送ってくれた。

オウム事件でワイドショーに繰り返し取り上げられたことで、はじめてぼくの雑誌を知ったひともたくさんいた。ほとんどのひとは、テロ集団の肩をもつなんて、どんな反社会的な雑誌なのかと思って、書店で手に取っただろう。

でも実際に読んでみると、「思ったよりちゃんとしてるじゃないか」という反響がかなりあった(それほどヒドい言われようをしていたのだ)。とりわけ、日ごろから論壇誌を熱心に読んでいる硬派の読者が、石破さんのコラムについて触れていた。「保守派の政治家が連載をもっていて驚いた」というのだ。

その当時はネットがないので、読者は葉書や封書で感想を送ってきた。ある年配の読者は、「石破茂氏は、私がもっとも期待している若手の政治家です」と書いたうえで、「日本の未来を担う政治家に連載させるという慧眼に感服しました。貴誌はオウム事件で叩かれていますが、メディアの偏向に負けず、これからも頑張ってください」という長文の手紙を送ってきてくれた(この読者の期待には添えず、その後、しばらくして雑誌は休刊してしまった)。

石破さんはもちろん、こんな30年も前の些細なことをまったく覚えていないだろうが、ぼくは石破さんの連載が雑誌をバッシングから守る盾になってくれたことをずっと恩義に感じていた。それが、首相就任を機に、むかしのことを書いてみようと思った理由だ。