トランプを支持する白人は「人種主義者」なのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

米大統領選が近づいてきたので、トランプ時代のアメリカについて書いた記事をアップします。今回は2017年9月14日公開の「欧米で台頭する「白人至上主義」は 「(マイノリティとなった)白人の文化を尊重せよ」という多文化主義」です(一部改変)。

Johnny Silvercloud/Shutterstock

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南北戦争で南軍の英雄だったロバート・リー将軍の銅像を市内の公園から撤去しようとする計画に白人の極右団体などが反発し、アメリカ南部のバージニア州シャーロッツビルに集結した際に、極右の若者が反対派に車で突っ込み死者1名と多数の負傷者が出た。この事件に対し、トランプ大統領が「一方の集団は悪かったが、もう一方の集団もとても暴力的だった」などと“喧嘩両成敗”的な発言をしたことで、「人種差別」とのはげしい非難にさらされることになった。

シャーロッツビルに集まったような「極右」の白人たちは、アメリカのエリートから「レイシスト」のレッテルを貼られて毛嫌いされている。だが『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、デイヴィッド・ブルックスは、彼らを「保守的な白人アイデンティティ主義者」と呼び、人種差別と共通する部分もあるが、両者は同じものではないと述べている。

米国公共宗教研究所の調査では、共和党員の約48%が米国のキリスト教徒が多くの差別を受けていると思い、約43%は白人が多く差別を受けていると考えているのだという。この調査を受けてブルックスはいう。

「人種差別というのは、ほかの人が自分より劣ると感じることだ。白人アイデンティティ主義は、自分が虐げられていると思うことなのだ」(朝日新聞2017年9月8日付朝刊「コラムニストの眼」)。

「白人アイデンティティ主義」は人種主義の一種ではあるものの、それを一概に「人種差別」と決めつけることはできない。彼らは、「自分が白人であるということ以外に、誇るもの(アイデンティティ)のないひとたち」なのだ。

「白人は差別されている」

朝日新聞2017年8月29日付朝刊の「再びうごめく白人至上主義 デモ衝突で犠牲者 米に深い傷」は、今年4月にアパラチア山脈の町、ケンタッキー州パイクビルで行なわれた白人至上主義団体の集会を金成隆一記者が取材し、シャーロッツビルの事件を受けて掲載したものだ。

*その後、金成隆一『記者、ラストベルトに住む   トランプ王国、冷めぬ熱狂』(朝日新聞出版)として単行本化

パイクビルは人口7000人ほどで、「住人の98%超が欧州白人」「子どもの3人に1人、高齢者の5人に1人が貧困層」「トランプ氏の得票が8割を超えた」という、典型的な「貧しい白人たち」の町だ。ここで白人至上主義の団体が集会を開くのは、現状に不満を抱える白人労働者を勧誘するためだ。

彼らは腰に銃やナイフを携行し、ライフル銃を担ぐ者もいる(アメリカは憲法で国民が武装する権利が認められている)。KKK(クー・クラックス・クラン)や、ナチスと似た「国家社会主義」「神の兵士」「戦うキリスト教徒」を名乗る団体もいる。その異様な姿は、まさに「白人至上主義」そのものだ。

ところが金成記者の質問に対して、団体幹部は自分たちの主張をこう説明する。

「米国で白人は優遇されてきたと言われるが、この一帯を車で走れば、違うとわかる。彼らの声は代弁されていない。エリートに見捨てられた白人だ」

「白人やユダヤ人のエリートに虐げられているのは(黒人やヒスパニックら)人種的な少数派と思い込む人が多いが、この産炭地では白人も被害を受けている。帝国主義時代の植民地のようだ」

ここからわかるのは、ブルックスが指摘するように、彼らが「白人は差別されている」と考えていることだ。

町での示威行動のあと、「白人至上主義」団体は山奥の私有地での集会に移動した。金成記者がこの集会を取材した場面はきわめて興味深いので、その部分を引用しよう。

会場は白人ばかり。記者は好奇の目にさらされたが、日本から来たと自己紹介すると彼らの態度が変わった。敬礼する者もいる。

KKKの名刺を差し出してきた若者が言った。「私は(戦前の)帝国主義時代の日本を尊敬している。みんなも同じだ。どの民族にも固有の文化があり、尊重されるべきだ。日本は模範だ」

白人の優越を信じているのかと質問すると、口々に否定した。「日本人にIQテストで勝てないのは自明だ」。一人が冗談っぽく答えると、隣の男性がまじめな顔で続けた。「私の本業は自動車の修理工だが、日本車の方が米国車より優秀だ。白人の方が優れているというつもりはない。ただ、それぞれの民族が固有の土地を持つべきだと言っているだけだ。

「白人の優越」を否定し、「日本は模範だ」「日本車の方が米国車より優秀だ」という彼らは、はたして「白人至上主義」なのだろうか。

このやりとりでわかるのは、そもそも彼らは自分たちが「人種差別」をしているとは思っていないことだ。そんな彼らに「レイシスト」のレッテルを貼って批判しても、話がかみ合わないのは当たり前なのだ。

「(マイノリティとなった)白人の文化を尊重せよ」

KKKの若者は日本人の記者に「日本は模範だ」といったが、同じように、日本のような国を目指している「極右」の政治家がいる。フランスの国民戦線(FN)党首マリーヌ・ルペンだ。

風刺雑誌『シャルリー・エブド』襲撃事件のあと、朝日新聞のインタビューに応じたマリーヌは、「(両親が外国人でもフランスで生まれた子どもは国籍を付与される)出生地主義の国籍法を改定し、二重国籍を廃止すべきだ」としたうえで、「めざすは(どちらも実現している)日本のような制度」と明言してる。EU加入とユーロ導入で通貨主権を失ったことを嘆き、「日本はすばらしい。フランスが失った通貨政策も維持している。日本は愛国経済に基づいたモデルを示しています」とも述べている。さらに、国民戦線の新世代を代表する政治家(仏北部エナンボモン副市長)は、「今は安倍晋三氏の自民党に近い政策の党だ」と自分たちを紹介している(2015年1月27日付朝刊「マリーヌ・ルペン「国民戦線」党首インタビュー」/インタビュアー国末憲人)。

大西洋をはさんで同じようなイデオロギーが台頭しているのは偶然ではない。それは、「右翼の多文化主義(マルチカリチュラリズム)への反転」ともいうべき奇妙な事態だ。

マリーヌの父親であるジャン=マリー・ルペンが党首だった1980年代に、国民戦線は白人至上主義を離脱し、多文化主義に転換したとされる。

フランスのオールドリベラル(共和主義者)は、宗教は私的なもので、公的な場では人種や宗教に関係なくだれもが「フランス人」として振る舞わなければならないとして、ムスリムの女子生徒が学校でヴェールを着用すること法で禁じている。それに対してイスラーム主義団体は、自分たちの文化や伝統・宗教を尊重することを求めて「同化政策」を批判している。

参考:「フランス、ドイツ、イギリスの「ヴェール問題」(前編)」

意外なことに、国民戦線はイスラーム急進派の主張に賛同し、ムスリム女性がヴェールをかぶる権利を認めるし、イスラーム法(シャリーア)も尊重する。すべてのひとが、自分にもっともふさわしい「文化」のもとで暮らす権利をもっているとするからだ。それを世俗的で無味乾燥な社会に変えようとするエリートたちの「グローバル資本主義」こそが、彼らの共通の敵なのだ。

2017年のフランスの大統領選では、ルペンと同じく、左翼党のジャン=リュック・メランションがEUからの離脱を唱えて、第1回投票で20%近い票を集めた。米大統領選でのトランプとバーニー・サンダースの関係も同じで、「極右」と「極左」は反グローバリズム、反エリート主義で通底しているのだ。

ではどこかちがうかというと、左派の多文化主義者はフランス社会のなかで、すべてのひとが自分たちの文化・民族・宗教をアイデンティティとして生きる権利をもっていると主張するのに対して、右派の多文化主義者は、文化や伝統・宗教の異なる集団が共生することは困難なので、「フランス人はフランスで、ムスリム移民はイスラーム国家で」それぞれの幸福を追求すればいい、と主張することだ。

フランスの右派知識人は「人種主義」を捨て、いまやそれぞれの文化のちがいを尊重するよう求めている。ただし彼らの認識では、北アフリカからの移民の流入と同化政策によって“マイノリティ”として危機にさらされているのはフランス人(白人)であり、だからこそフランス的な共同体を守らなければならない。なぜならフランス人は、そこでしか幸福になれないのだから(中野裕二『フランス国家とマイノリティ』国際書院)。

すぐにわかるように、フランスの右派知識人の主張は、アメリカのトランプ支持者とまったく同じだ。「白人至上主義」というのは、「(マイノリティとなった)白人の文化を尊重せよ」という多文化主義のことなのだ。

絶望死するホワイト・ワーキング・クラス

2002年にジャン=マリー・ルペンが大統領選の決選投票に残ったことにフランスのリベラルな知識人は驚愕し、はじめて「極右」の思想と真剣に向き合うことなった。それから15年遅れて、いまではアメリカのリベラルな知識人が、「なぜ自分たちの国の大統領がドナルド・トランプなのか?」を自問している。

トランプを支持する白人労働者階級は、アメリカでは、「White Trash(ホワイトトラッシュ/白人のゴミ)」として蔑まれている。だが彼らに「人種差別」「性差別」のレッテルを貼るだけでは、問題はなにひとつ解決しないと考えるリベラルが現われた。いま必要なのは、彼らを馬鹿にしたり、茶化したりすることではなく、理解することなのだ。

カリフォルニア大学法科大学院で労働法を講じるジョーン・C・ウィリアムズの『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』( 山田美明、 井上大剛 訳/集英社)は、そうした試みのひとつだ。

ウィリアムズはこの本のなかで、「ワーキング・クラスとは、どんな人々なのか?」「なぜ、ワーキング・クラスは大学に行こうとしないのか?」「ワーキング・クラスは人種差別主義者なのか?」から、「なぜ、民主党は共和党に比べて、ワーキング・クラスの扱いが下手なのか?」まで、さまざまな疑問に誠実にこたえようとしている。

すでに繰り返し指摘されているように、アメリカでは「階級」間の経済格差の拡大が顕著で、ホワイト・ワーキング・クラスの生活は苦しくなっている。彼らの家計所得は、第二次大戦後の30年間で2倍になったが、それ以降はほとんど増えていない。1970年には、貧困率10%の地区に暮らす白人の子どもは全体の25%に過ぎなかったが、2000年には40%に達した。

だがもっとも象徴的なのは、ホワイト・ワーキング・クラスの死亡率が増加していることだ。アメリカでも世界でも平均寿命が延びつづけているというのに、彼らの平均寿命は短くなっているのだ。

プリンストン大学のアン・ケースとアンガス・ディートンは、白人の低学歴層で平均寿命が短くなっている主な原因はドラッグ、アルコール、自殺だとして、これを「絶望死」と名づけた。

参考:「絶望死するアメリカの低学歴白人労働者たち」

2人によれば、25~29歳の白人の死亡率は2000年以降、年率約2%のペースで上昇しているが、他の先進国では、この年代の死亡率はほぼ同じペースで低下している。50~54歳ではこの傾向がさらに顕著で、米国における「絶望死」は年5%のペースで増加しているという。

誰が「絶望死」しているのかも、データから明らかだ。アメリカでは、高卒以下のひとびとの死亡率は、あらゆる年代で全国平均の少なくとも2倍以上のペースで上昇しているのだ。

アメリカの裕福な白人は、貧困層、有色人種、性的少数者(マイノリティ)に同情する一方で、ホワイト・ワーキング・クラスを馬鹿にし、無視してきた。だが気づいてみれば、彼らこそがアメリカ社会でもっとも不幸で、もっとも苦しんでいるひとびとになっていたのだ。

だがウィリアムズは、ホワイト・ワーキング・クラスの苦境を強調して、彼らを「弱者」として扱うのは逆効果だという。

ウィリアムズのリベラルな同僚は、「私たちには彼らを助ける道徳的・倫理的義務がある」と述べた。だがこれは、トランプ支持者を激怒させるだけだろう。

「貧しくかわいそうなひとたち」への同情

トランプを支持するホワイト・ワーキング・クラスをひと言でいうならば、「アメリカの伝統に根づいた“善きひとびと”」だとウィリアムズはいう。

彼らは敬虔なキリスト教徒で、教会のつながりを大切にする。子どもに高等教育を受けさせないかもしれないが(彼らはそもそも「エリート」を信用しない)、職業人として自立し、自分と家族の生活を支えるよう強く促す。

彼らの人生の目標は、大富豪になることでもなければ、仕事で「自己実現」することでもない。ホワイト・ワーキング・クラスにとっての幸福とは、円満な家庭を築くことだ。

学歴もなければ特別な技能や才能ももたない彼らは「アメリカンドリーム」から排除されているが、そのこと自体を不満に思っているわけではない。幸福な家庭生活を通じてアメリカの伝統に結びつくことで、「道徳的成功」を主張できるのだから。

ホワイト・ワーキング・クラスの怒りがスーパーリッチではなく、有色人種の貧困層に向かうのは、彼らが「アメリカの伝統」をないがしろにし、家庭を顧みずに税金でのうのうと暮らしている、と思っているからだ。

たとえば、一日じゅう家にいる貧困層の既婚の母親は、中間層の既婚の母親の2倍以上いる(貧困層は60%、中間層は23%)。フルタイムで働くワーキング・クラスの母親は60%近くいるが、貧困層の母親は42%しかいない。託児所に子供を預けている世帯のうち、貧困層は30%の世帯が助成を受けているが、ワーキング・クラスはほとんどの世帯が助成を受けていない(3%程度)。

これはすべて事実だが、詳細を調べると事情はすこし異なる。

貧困層に対する育児助成は散発的で、涙が出るほど少ない(1時間につき2ドルという場合もある)。貧困層の母親が家にいるのは、最低賃金があまりに低いために働くとかえって損をするからだ。さらに、貧困層の男性がフルタイムの仕事をなかなか見つけられないのは、パートタイムにすれば雇用主が医療保険を支払わずにすむからなのだ。

問題はアメリカの社会保障制度が破綻し、機能不全を起こしていることにあるが、ホワイト・ワーキング・クラスは「システム」に責任を負わせることをたんなる言い訳として嫌う。たとえどのような逆境でも、努力によって切り開くことができるはずだ。それをやろうとしないのは、「怠惰」以外のなにものでもないのだ。

そのためアメリカでは、失業者給付や障害者給付は「これまでの(危険な)労働の対価」と見なされるが、生活保護のような所得制限のある給付を受ける者は「怠け者」の烙印を押され、バッシングの標的にされる。これは日本のネット上で頻繁に炎上する「ナマポ(生活保護)」バッシングと同じ構図だ。

だが皮肉にも、彼ら誇り高きホワイト・ワーキング・クラスは、いまや仕事を失い、貧困層に落ちつつある。

そのときヒラリー(民主党の伝統的リベラル)は、「困っているならお金をあげましょう」と提案し、トランプは「アメリカに製造業を復活させ、君たちの誇りを取り戻す」と約束した。実現可能性がどうであれ、ホワイト・ワーキング・クラスがどちらに投票するかは自明だろう。

そんな彼らに対して、エリートの白人リベラルはどのような態度をとるべきだろうか。

ウィリアムズの指摘で重要なのは、「恵まれた白人は、恵まれない白人に人種差別の責任を転嫁することで、人種差別から距離を置こうとしている」というものだ。白人のリベラルが同じ白人に「レイシスト」のレッテルを貼ってバッシングするのは、自らの「内なる人種差別」を免責するお手軽な方法なのだ。

ウィリアムズの提案は、そうした不愉快な事実から目を背けることなく、またホワイト・ワーキング・クラスを「貧しくかわいそうなひとたち」と同情するのでもなく、ともに理解できるように自分たち(白人エリート)が変わるべきだ、というものだ。

これはリベラルとして、とても良心的な立場だと思う。もっとも、その誠実さが受け入れられるかどうかはかなりこころもとないが。

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