「しょぼくれたアメリカ」への怒りがトランプ大統領を生み出した

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

米大統領選が近づいてきたので、トランプ時代のアメリカについて書いた記事をアップします。今回はトランプ当選後の2017年1月27日に公開した「「しょぼくれたアメリカ」への怒りが、 より過激なトランプ新大統領を生み出した」です(一部改変)。

Xackery Irving/Shutterstock

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団塊の世代はもとより、それよりひとまわり若い私の世代にとってもアメリカは「夢の国」だった。1976年にマガジンハウスの雑誌『POPEYE』が創刊されたときは高校生で、はじめて知った西海岸の文化やファッション、ライフスタイルに大きな衝撃を受けた。しかしそれよりもっと衝撃的だったのが、もはやタイトルも忘れてしまったが、深夜テレビで見たアメリカ映画だった。

ロサンゼルスに住む母子家庭の物語で、ストーリーもほとんど覚えていないが、母親も高校生の息子もそれぞれが恋人との関係に悩む、という設定だった。映画の最後で、男に捨てられた母親が妊娠を知り、泣きながらそのことを息子に打ち明ける。その当時、カリフォルニア州では中絶は違法だったが、母親に子どもを産む余裕はなかった。すると高校生の息子(彼は私と同い年だった)は母親を慰め励まし、車の助手席に乗せて、中絶が合法化されている隣のネバダ州ラスベガスまで運転していくのだ――。

当時の私には、そもそもなぜアメリカの高校生が当たり前のように車を運転しているのかがわからなかった。しかしより信じがたかったのは、母親が18歳の息子に自分の失恋や望まぬ妊娠を赤裸々に語り、息子がそんな母親に、対等な個人として手を差し伸べようとすることだった。そこには、私には想像もできない価値観で生きているひとたちがいた。

その後、80年代にはじめて北米を旅したが、そのゆたかさに圧倒され、なにもかもきらきらと輝いてみえた。これは私だけの感想ではなく、帰国便を待つ空港では若い日本人女性のグループが、「この自由な空気を知ったら、もう日本なんかで暮らせないよね」と大声で話しあっていた。

しかしそれから、私のアメリカに対する印象は徐々に変わっていった。昨年末にニューヨークの夜の街を歩いたのだが、街頭は暗く、建物は古く、道はあちこちが工事中だった。久しぶりにタイムズスクエアも訪れたが、六本木や銀座、あるいは香港やシンガポール、北京や上海と比べても、なにもかも古ぼけて見えた。ひとことでいえば、街がしょぼくれているのだ。

私はこれが、自分が年をとったせいだと思っていたのだが、トーマス・フリードマンとマイケル・マンデルバウムの『かつての超大国アメリカ どこで間違えたのかどうすれば復活できるのか』(伏見威蕃訳/ 日本経済新聞出版社)を読むとそうでもないらしい。当のアメリカ人が、自分たちの国はすっかりしょぼくれてしまったと思っているのだ。

老朽化するアメリカのインフラ

トーマス・フリードマンはニューヨーク・タイムズの名物コラムニストで、世界的なベストセラーとなった『フラット化する世界』『レクサスとオリーブの木』で知られる。マイケル・マンデルバウムはジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所大学院教授で、『フォーリン・アフェアーズ』やニューヨーク・タイムズなどに寄稿する国際問題の専門家だ。『かつての超大国アメリカ』は、そんな2人が世界金融危機後のアメリカに向けて(本の発売は2011年)、グローバル化する世界の中で政治や経済、社会をどのように変えていくべきかを提言したものだ。

この本は、中国の天津とワシントンD.C.の地下鉄から始まる。

世界経済フォーラムの年次総会(サマー・ダボス)に参加したフリードマンは、5年前には存在しなかった超モダンな北京南駅から高速鉄道に乗り、115キロをわずか29分で走り抜けて超モダンな天津駅に着く。会議が行なわれた天津梅津会議・展示センターは延床面積23万平方メートルの巨大施設だが、案内によれば2009年9月15日から2010年5月までの8カ月で完成した。

ひるがえって2人が仕事をするワシントンD.C.の地下鉄メトロレールのベセズダ駅は、短いエスカレーター2本が6カ月ちかく修理中のままになっている。1本が修理のため通行できないので、もう1本が上下両方向の階段代わりに使われ、ラッシュアワーのときは大混乱が起こる。

たんなる“設備改善”になぜこんな時間がかかるのか調べたところ、ワシントン首都圏交通局のコメントが見つかった。そこには次のように書かれていた。

「修理には約6カ月かかる予定で、予定どおり進んでいる。作業員はエスカレーター1本の修理に10週間ないし12週間かかる」

インフラが老朽化して手に負えなくなっているのはワシントンD.C.だけではない。2009年、米国土木学会(ASCE)が“アメリカのインフラ成績表”を発表したが、「C」を平均として、「固形ゴミ処理が最高点でCプラスだった。つぎに高いのが橋梁でC。つづいて、線路と公園及び娯楽施設の2項目がCマイナス。航空、ダム、有害廃棄物、内陸部水路、堤防、道路、学校、公共輸送機関、下水など、その他のインフラは全種DもしくはDマイナスだった」。

さらに問題なのは、インフラが老朽化すればするほど補修費がかさみ、政府や自治体が修繕に及び腰になることだ。ASCEの推計では、アメリカのインフラ補修費は2005年に1兆6000億ドルだったが、それが2009年には2兆2000億ドルになった。わずか4年で40%近くもコストが上昇するのなら、いまはいくらになっているか考えるだけで恐ろしい。――だからアメリカの政治家は考えることをやめたのだろう。

世界でもっとも早く近代化に成功したアメリカは、もっとも早くインフラの老朽化に直面した。アメリカの都市がどんどんしょぼくれていくのは、私の偏見というわけではなさそうだ。

アメリカの高校生の四分の一が読み書きができない

アメリカは世界でもっとも優れた大学教育を提供しており、ハーバード、MIT、スタンフォードなどの有名大学には世界じゅうから優秀な若者が集まってくる。彼らはその後、ウォール街の金融機関やシリコンバレーのIT企業に就職し、アメリカを金融、テクノロジー、イノベーションの中心地に押し上げた。

だがその一方で、当のアメリカ人の教育水準は惨憺たるレベルにあると、フリードマンとマンデルバウムは嘆く。『かつての超大国アメリカ』には、驚くべき数字が列挙される。

ワシントンD.C.を本拠とする学生支援組織エデュケーション・トラストが行なった調査によれば、アメリカ陸軍に入隊を希望する高卒者の23%が入隊テストに必要な最低点がとれない。その問題は、「2+x=4のとき、xの値は?」というような初歩的なものだ。

ブルッキングス研究所の教育問題専門家によれば、2009年、高校の最上級生の26%が、全国統一テスト(NAEP)で基本リーディング・レベル以下の成績だった。これはかんたんにいうと、読み書きができないということだ。

外交問題評議会(CFR)におけるスピーチでアーン・ダンカン教育長官は、「わずか一世代前には、アメリカは世界一大卒者の割合が多かった。現在では、成人期初期の若者が大学を終える割合で、韓国を含む8カ国がアメリカをしのいでいる」と述べたあとで、こうつけ加えた。

「それと同じくらい問題なのは、アメリカの高校生の4分の1――25パーセント――が、中退するか所定の年数で卒業できていないことだ。じつに毎年100万人近くの学生が、学校をやめて世間に出ている。これは経済的に持続不可能だし、道義的に受け入れられない」

「(退役将官のグループによれば)17歳から24歳のアメリカの若者の75パーセントに、高校を卒業していない、前科がある、あるいは体に故障があるなど、軍隊に入隊するのに不適格な理由がある」

こうした状況は、OECDが行なう学習到達度調査(PISA)を見ても明らかだ。PISAは先進工業国数十カ国の15歳の生徒が未来の仕事に備えてどう学習しているかを、「リーディング」「数学」「科学」で3年ごとに調査しているが、アメリカの成績は、リーディングではアイスランドとポーランドと同点で全体の中程度、数学では国際平均以下でアイルランドやポルトガルとほぼ同じ、科学は全体の中程度で東アジア諸国やフィンランドに大きく遅れをとった。これを受けて教育省はアメリカの公教育の現状に危機感を表明したが、メディアでは束の間、報道されすぐに消えた。

公教育の崩壊は、当然、成人の知識レベルにも反映されることになる。

デトロイトの地域労働力基金が2011年5月に発表した調査で、デトロイト住民の成人の47%、約20万人に、日常生活に必要とされる読み書き能力がないことが判明した。これはデトロイト市の大人の半数ちかくが、取扱説明書や、パッケージや機械のラベルを読むことができず。就職の申込書を書くことができない、ということだ。――それにもかかわらず、彼らのうちの10万人が高校の卒業証書を持っているか、GED(高卒資格)を得ている。

トランプは「アメリカに雇用を取り戻す」と公約したが、彼がそれを実現してデトロイトにふたたび自動車工場が戻っても、企業は仕事に必要な読み書き能力を持つ労働者を雇うことができないのだ。

こうして、かつて光り輝いていたアメリカは、人材面でもしょぼくれてしまったのだ。

「偉大な国」からの没落

『かつての超大国アメリカ』を書いたフリードマンとマンデルバウムはリベラルなコスモポリタンで、政治的にはトランプの対極にいる。同書ではアメリカ再生の条件として、優秀な移民に広く門戸を開くことを掲げており、トランプが「アメリカ・ファースト」の名のもとに進めようとする国境の壁や移民排斥などの「新政策」はぜったいに認めないだろう。

しかしそれでも、両者には明白な共通点がある。それは、しょぼくれてしまったアメリカへの怒りだ。

フリードマンとマンデルバウムは、劣悪な公教育や機能しない政治など、アメリカ社会が抱えるさまざまな深刻な問題を指摘しながらも、「それでもアメリカをもういちど偉大な国にすることは可能だ」と繰り返し述べる。これが彼らの本のテーマなのだが、それはトランプの標語“MAGA(Make America Great Again)”と瓜二つだ。

ところで、「偉大さ(Great)」とはいったいなんだろうか?

アメリカの歴史には、3つの大きな成功体験がある。独立戦争、第二次世界大戦、冷戦の終焉だ。この“偉業”によってアメリカは神に選ばれた「偉大な国家」となった、というのが彼らの歴史観だ。

このなかで、ファシズムに勝利した第二次世界大戦(1945年)と、共産主義を打ち破った冷戦の終焉(1990年)は現代史に属する。この2つの勝利に貢献したのが「偉大な世代」で、大統領としては、第二次世界大戦に招集されたロナルド・レーガンとジョージH.W.ブッシュ(父ブッシュ)がこれに属し、その後のビル・クリントンやジョージW.ブッシュ、ドナルド・トランプは戦後生まれのベビーブーマーだ。

“MAGA”の背景には、冷戦終焉によってアメリカは唯一の超大国としての地位を不動のものにしたにもかかわらず、20年たって振り返ってみると、もはや世界の国々はアメリカを「偉大な国」と見なしていない、という落胆がある。だとしたら、アメリカはどこかで道を間違えたにちがいない。

冷戦の終焉と前後して「偉大な世代」は引退したのだから、間違えたのはベビーブーマーのリーダーたちだ。だが、いったいどこで?

この問いに対して、リベラルなコスモポリタンである2人の著者は、「アメリカがグローバル化に適応できなくなったときからだ」とこたえる。それに対する処方箋は、教育への投資によってアメリカ人労働者の知識とスキルを向上させ、優秀な移民を呼び込むことでイノベーションを起こし、増税と歳出削減の抜本的な改革によって財政赤字から脱却し、事実を直視して「地球温暖化」という人類の危機に立ち向かうことだ。

だが、いったいどうしたらこんなことが可能になるのか。それは「ショック療法」だと彼らはいう。

来るべき大統領選で、民主党からも共和党からも距離を置き、まっとうな政策を説く第三の候補が現われ、当選できないまでも一定の票を獲得すれば、新大統領は4年後の再選を見越して第三の候補の政策を取り入れようとするはずだ、というのが著者たちの見立てだった。なぜなら、第三の候補と同じことをすれば、次の選挙では労せず彼/彼女が獲得した票を上積みできるのだから。

そして現実に、政治経験も行政経験もまったくない「第三の候補」が現われた。大方の予想に反し、「アメリカをふたたび偉大にする」と叫んだ彼は大統領に当選したが、その政策は企業を恫喝して国内に工場をつくらせ、移民を追い出して「アメリカ人」に仕事をあてがい、財政支出の大幅拡大によって景気を回復させ、化石燃料による地球温暖化を否認する――同じ「しょぼくれたアメリカ」への怒りから出発したにもかかわらず、処方箋はまったく逆だったのだ。

アメリカはどこに向かっているのか

アメリカではなぜ、共和党と民主党の二大政党がはげしく憎みあうようになったのか。その理由は『かつての超大国アメリカ』できわめて明快に分析されている。

最大の要因は、互いの党利党略によって、選挙区にどちらかの党員が集中するよう区割りされていることだ。これによって、党内の予備選挙が本選挙と同じになった。すなわち、共和党/民主党の予備選挙に勝って正式な候補になれば、選挙区はその党に圧倒的に有利なように仕組まれているのだから、本選挙をするまでもなく結果はわかっているのだ。

この区割りはゲリマンダーと呼ばれるが、もっとも顕著なカリフォリニア州では、2004年から2010年にかけて行なわれた4回の選挙で計212カ所の投票が行なわれたが、党が入れ替わったのはわずか1選挙区だけだったという。ここまで極端だと、すべての候補者が本選挙ではなく予備選挙に勝つことに全精力を傾けることになる。

本選挙とは異なって、予備選挙には正規登録している党員しか投票できず、彼らは思想的に凝り固まっているので、左右両極に近い候補者が中道の候補者よりも有利になる。本選挙では、相手は反対党の過激な候補者なのだから、穏健な有権者も自党の過激な候補者に投票するしか選択肢はないのだ。

さらに、当選した公職者は、自分をその地位から追い落とすのが反対党の候補者でないことを承知している。ゲリマンダーによって、反対党の勝ち目はゼロに等しくなっているからだ。それよりも、足をすくわれるおそれがあるのは、自党からより過激な候補者が挑戦してくることだ。政治家として生き残るには、在職中に穏健になったり、反対党と妥協したりすることはぜったいにできないのだ……。

このようにしてアメリカでは、穏健な政治家も党派的で過激な活動家に引きずられて互いに憎みあうようになり、国レベルでも州レベルでも政治は機能不全に陥っていく。――その典型が、二大政党の対立で財政破綻寸前になっているカリフォルニア州だという。

だがだからといって、アメリカ社会が「(保守対リベラルの)文化戦争」によって真っ二つに分断されているわけではないと著者たちはいう。

スタンフォード大学の政治学者モリス・フィオリーナは“Culture War? The Myth of a Polarized America(文化戦争? 二極化したアメリカという間違った通念)”で、共和党と民主党の活動家が遠く隔たっているとしても、一般のアメリカ国民の考え方はそう変化しておらず、世論は政治思想では中道に傾いていて、国民が選んだ公職者の考えや好みほどには偏っていないと分析した。「選挙で票がほぼ等分に割れたり、棄権されたりするのは、党や候補者が極論にしがみついているのに対して、国民が本能的に中庸を求めているからだ」

このことは過去20年間に当選した大統領も気づいており、彼らはいずれも選挙運動中に、穏健なやり方で国を治めると約束している。レーガンの後任のジョージH.W.ブッシュが「より親切で優しい」政治を掲げ、クリントンが「これまでとはちがう民主党」を標榜し、ジョージW.ブッシュが「思いやりのある保守主義」を唱えたように。

フィオリーナは、次のように結論する。

「(共和党と民主党のエリート層が二極化しているのは疑問の余地がないとしても)そういうエリートの二極化が、幅広い大衆でおなじように見られると考えるのは間違いだ。(中略)むしろその逆で、エリートは二極化した選択肢を掲げることで、有権者が二極化しているように見せかけている」

いまや民主党は、これまでの「正義のたたかい」で手にした既得権をいっさい手放さない「反動リベラル」と化し、一方の共和党は、市民の権利を侵害するとして増税をいっさい認めず、独立戦争の精神に立ち返ればすべてがうまくいくと主張する頑迷な「復古保守」となった。だが有権者はこうした二大政党の罵詈雑言にうんざりしており、アメリカ社会を和解させるより穏健な選択肢を求めているのだ。

これは興味深い議論だが、だとしたらなぜ世界を「善(正義)」と「悪」に二分し、自らの意に沿わない者を悪として切り捨てる人物を、「穏健な」アメリカの有権者が選択したのだろうか。――それはたぶん、「穏健」なはずの大衆が、リベラルな著者たちが思うよりずっと「しょぼくれたアメリカ」に怒っているからだろう。

大統領就任直後の記者会見でのやり取りを見ても、トランプ新政権は異例の対応をつづけているが、「かつて偉大だったアメリカ」はいったいどこに向かっているのか。

最後に『かつての超大国アメリカ』から、きわめて示唆に富むエピソードを紹介したい。

アメリカの選挙広告では、候補者をアピールするポジティブアドのほかに、相手の候補者を批判するネガティブアドも認められている。これについて老練な広告マンが、2000年の大統領予備選でジョン・マケインの選挙参謀を務めた共和党員に助言した。

「ネガティブアドには効き目がある」と、広告マンはいった。「だが、マクドナルドが、バーガーキングのバーガーはウジだらけだというようなネガティブアドをぜったいに打たない理由を知っているかね? 1年か2年は効き目があるが、そのあとはだれもハンバーガーを食べなくなるからだよ」

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