「タワマン刺殺事件」に至る現実と「自己イメージ」の絶望的なギャップ 週刊プレイボーイ連載(606)

西新宿のタワーマンションに住む25歳の女性が、51歳の男によって刺殺された事件は、男がホンダの赤のスポーツカー「NSX」やオートバイ「NR」など“マニア垂涎”のコレクションを売って、被害女性に1000万円以上を渡していたとして、「純真な(中年)弱者男性が頂き女子に搾取された」という物語がネットにあふれました。

しかし週刊誌報道によれば、事実はこうした「純愛物語」とはまったくちがいます。

男は6年前にSNSでライブ配信を始めた女性と知り合い、彼女が夜職で働くようになると頻繁に店に顔を出すようになり、自分でキャバクラを始めたときに、開店祝いに1000万円のシャンパンタワーを提案しました。男が「貸した」と主張するのはこのイベントの費用で、借用書が交わされたわけでもなく、女性には返済義務がありません。

その頃から、男は女性のマンションの前で待ち伏せするようになったようです。警察からストーカー規制法に基づく警告の文書を出されたものの、警告を無視したとして逮捕、釈放後に1年間の接近禁止命令を出されました。

警察からこの命令を延長するか尋ねられましたが、女性が「しないで大丈夫」と返答したため命令は解除されました。しかし男の執着と憎悪は消えたわけではなく、約1年後に今回の凶行に及んだのです。

被害女性には反論することができないのですから、「大金を貸したのに返してもらえない」という男の一方的な主張は、「自分は被害者」という自分勝手な自己正当化で、どこにも同情の余地はありません。

それに、こういう言い方をすると反発されるかもしれませんが、被害女性は銀座のキャバクラでナンバーワンになるほどの売れっ子で、その後は自分でキャバクラをオープンして成功しました。そんな女性を1000万円程度のお金で自分のものにできると考えること自体が大きな勘違いです。

報道によれば、事件当時は配達員などの仕事をしていたという男は、高校卒業後、職を転々とし、妻と離婚したあとは実家で親と暮らしていたそうです。こうした現実と、“レアもの”の車やバイクを所有する「自己イメージ」のあいだには、大きなギャップがあったにちがいありません。

「ぼくらの非モテ研究会」が作成した「非モテ研用語辞典」には、「女神化」と「一発逆転」という言葉があります。

女神化は「一人の女性を女神として位置づけていくこと」、一発逆転は「恋人ができれば現在の不遇な状況が挽回され、幸せになることができると考えること」と定義されます。

男は、被害女性を「女神化」し、自分のものにすることができれば、現実と自己イメージのあいだの絶望的なギャップが埋まり、「一発逆転」できると考えて、あれほどまで執着したのではないでしょうか。

社会がリベラル化するほど女性の選択のハードルは上がり、性愛市場から脱落し、不本意な人生を送る男が増えていきます。

「自分は特別で、そんな自分には特別な出来事が起こるはずだ」と勘違いした男と出会ってしまったことが彼女の悲劇でした。こうした男は世の中に一定数いるので、エロス資本のマネタイズはハイリスク・ハイリターンなのです。

参考:橘玲『無理ゲー社会』小学館新書

『週刊プレイボーイ』2024年6月17日発売号 禁・無断転載