ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2017年9月28日公開の「ヨーロッパの若い女性がISに渡ろうとする理由とその末路」です(一部改変)。
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イラク領土内においては、イラク軍、クルド軍、米軍の共同作戦によるIS(イスラム国)支配地の奪還作戦がほぼ完了し、世界の注目はクルドの独立問題に移っている。だがISが残したさまざまな傷跡は、いまもほとんどが放置されたままだ。
イラク内のISの中心都市モースルなどからの難民キャンプを管理しているイラク軍関係者が、IS戦闘員の妻や子どもら約1300人のなかに「日本や韓国などから来た人」が含まれていると述べたことが報じられ、国内でも波紋を広げた(その後、日本政府が事実関係を問い合わせたところ、「現在までの間に戦闘員家族の中に日本人が含まれている事実はない」との回答があった)。
これまで、ISに多数の外国人戦闘員が参加しており、そのなかにはアラブ系だけでなくヨーロッパ系(白人)の若者も加わっていることがわかっている。
参考:「イスラム国」の首都モースルでジャーナリストが見たものは?
だがメディアに登場するのは若い男性ばかりで、外国人女性の存在は謎に包まれていた。彼女たちはなぜ、生命をかけてまでISの支配地域に渡ろうとするのだろうか。
金髪・碧眼の白人は「テロ組織の王冠を飾る宝石」
サーミー・ムバイヤドはダマスカス生まれのシリア人で、レバノンのベイルート・アメリカン大学で学び、イギリスのエクセター大学で博士号を取得したあと、中東情勢を専門とするシンクタンクや国内外のメディアで執筆活動を行なってきた。そのムバイヤドが書いた『イスラーム国の黒旗のもとに 新たなるジハード主義の展開と深層』(高尾賢一郎、福永浩一訳/青土社)は、ほとんど報じられることのないシリア側のIS支配地域でなにが起きているのかを教えてくれる貴重な資料だ。
国連は、シリアに潜入したヨーロッパ出身の外国人戦闘員を1万5000人と見積もっている。それに対してシリア政府は、シリアの戦場で活動する外国人の数を2万5000人とし、「彼らは世界中の80カ国から来ている」との調査結果を発表した。外国人戦闘員の平均年齢は25歳で、彼らのほぼ60%がシリア到着時に独身で、ほとんどが生活基盤を整えたあとに結婚する。多くはムスリムの家庭出身で、両親との複雑な関係、継父・継母による虐待、失恋や経済的困窮による生活破綻などなんらかの問題を抱えていた。
外国人ジハード戦士でもっとも多いのがイギリス人で、600~700人が戦闘に参加したとされる。フランス、スペイン、ベルギー、ドイツ、アメリカと続き、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドなど北欧の国々の名前もある。世界でもっとも自由でリベラルな社会であるはずの西ヨーロッパから、テロをも辞さないジハード主義者が次々と生まれているのだ。
ISの外国人戦闘員には中国からもウイグル族のムスリムが参加しているが、彼らはヨーロッパ系の戦闘員とは別に暮らしている。ムバイヤトによると、ISには明らかに人種による選別があり、もっとも大切にされるのはイギリス人とフランス人だ。いうまでもなくこの両国は、植民地主義時代にイラク・シリアの宗主国だった。それと同等に扱われるのがアメリカ人で、これは「世界を支配する悪の帝国」から逃れてきたからだろう。
そのなかでも稀少なのは金髪・碧眼の白人で、キリスト教からの改宗者であればなおいい。彼らはイスラーム再興を目指す「カリフ国家」の正当性を世界に示す、「テロ組織の王冠を飾る宝石」なのだ。
シリアのヨーロッパ人ジハード主義者のコミュニティの10%は18歳から25歳の女性たちで、200人のヨーロッパ人女性が2011年の戦争勃発以来、シリアに渡航したと推計されている。そのうち70人はフランス人、40人はドイツ人、60人がイギリス人、20人がベルギー人で35人がオランダ人だ。
ISは外国人女性の勧誘に積極的に関与しており、一時はトルコ国境近くの町バーブに「結婚相談所」を開設していたという。そこで入国した西洋の女性が登録され、正式にジハード主義者の新郎と結婚するのだ。
「私たちはここに戦うために来たのではない。結婚して子どもを生むために来たのです」と、彼女たちはいう。
ISが「国家」として持続するためには多くの忠実な戦闘員が必要で、そのために「子どもを産む機械」を求めていた。20歳前後の多感な時期の女性たちは、それを「アッラーの愛と正義に満ち溢れた理想の結婚生活」を実現できる機会だと考えたのだ。
イスラム国版『地球の歩き方』
ヨーロッパからISに参加した女性たちの重要な仕事は、インターネットやSNSを利用した「勧誘」だ。彼女たちはFacebook、Twitter、Instagramを使いこなし、ISのオンラインメディアのほぼすべてにかかわっている。その投稿は最先端の流行にのっとって計画されており、アマチュアの水準をはるかに超えているという。
SNSなどのメディアで、彼女たちはヨーロッパにいる「同胞」たちに向けて、西洋での生活が罪深いとか、過去を捨てろとか説いたりはしない。そのような批判よりずっと効果があるのが、ISでの「宗教的な生活」がどれほど素晴らしいかという宣伝(プロパガンダ)だ。
ISの「女性向けサイト」では、シリアに渡ったヨーロッパ人の女性たちが結婚祝いの場に出席する姿、赤ん坊を抱きしめる姿、冬用の衣服を縫う姿、アイスクリームを食べパンケーキを焼く姿の自撮りが投稿される。それにつづいて、敬虔なジハード主義の夫とともにイスラームのために子どもを産む「名誉」が語られる。
世俗化した西洋では、結婚や出産には個人的な満足以外の目的がなくなってしまった。しかしISは、人生に惑う若い女性たちに「崇高な人生の意義」を示すことができるのだ。
アクサー・マフムード(別名ウンム・ライス)は、ISのソーシャルメディア上でもっとも有名な女性だ。彼女は2013年11月にイギリスのグラスゴーからシリアに渡り、その後、毎日ISのためのブログを書いた。英語で執筆された「ムハージラ(移住者)の日記」には、2000人以上のフォロワーがいたという。
マフムードのホームページは、旅行ガイド『ロンリー・プラネット』(日本でいえば『地球の歩き方』)のような構成になっていて、無料でシリアに到達するための方法から、入国後の生活や地元のひとびととの交流まで、「アッラーの地」でロマンチックな結婚生活を夢見る女性のためのさまざまな情報が載せられ、「私になんでも聞いてください」というコーナーまであった。
「あなたのアッラーのための愛は何よりも重要なのです」と、マフムードは書く。
あなたが一度国境を越えたら、(家族への)最初の電話は今までしたことがないほど難しいでしょう(……)彼らがむせび泣くのを聞き、狂ったように電話上で帰ってくるよう乞われるのはとても辛いです(……)多くの人間は(……)理解していない(……)女性がなぜこの決定を選択したのかを。その者たちは指差して、あなたの背中とあなたの家族の顔に向かい、あなたが性的なジハードに参加した、と言うでしょう。
2014年9月、マフムードはヨーロッパの女性たちに向かって訴えた。
「自分の道を切り開ける人たちへ(……)私たちの土地に急ぎなさい(……)これはイスラームに対する戦争であり、「彼らと共にあるか、私たちと共にあるか」どちらかです。立場を決めなさい。
この呼びかけにこたえて、多くの若者たちがシリアを目指したのだ。
大物ジハーディストからのプロポーズ
アンナ・エレルの『ジハーディストのベールをかぶった私』(本田沙世訳、日経BP)は、フランス人の女性ジャーナリストが「アッラーの地」に憧れる若い(白人)女性に扮し、インターネット上でIS幹部との接触を試みた稀有な記録だ。
エレルは、自分の息子をシリアから取り戻したことで一躍有名になったベルギー特殊部隊の元軍人の本をまとめる過程でこんな疑問を抱いた。
「たった数週間で、二度と元の生活には戻らないという確信とともに、すべてを捨てる。それまでの過去も家族も。そしてまったく新しい人生を歩もうとする。そんな若者たちは、どんなふうにプロパガンダの罠にはまるのか」
そこでエレルは、「メロディー」というバーチャルな人格をつくってIS関係者のSNSの投稿に「いいね」をつけてみた。「メロディー」はもうすぐ20歳で、トゥールーズの母子家庭で暮らす、イスラームに改宗した金髪の白人女性だ。
するとさっそく、「メロディー」宛にショートメールが届いた。
「こんにちは(サラーム・アレイクム)。俺のビデオ見てくれたんだね。これ、世界中の人が見てくれて、驚いてるんだ! 君、イスラム教徒だよね?」
男は、「アブ・ビレル」と名乗るフランス人のジハード戦士だった。ビレルはスカイプへの招待とともに、自分の写真を送ってきた。頭からつま先まで全身武装し、肩にM4型突撃銃を斜めにかけ、額にはアラビア語の文字が書かれた黒字に白の鉢巻を巻き、厚い胸板を突き出して笑顔でまっすぐ立っていた。
ビレルは仲間から「アミール」と呼ばれていた。気骨、武力、教義など「イスラームの徳」が評価された証で、ISではもっとも権威ある称号のひとつだ。
その後、「ISの広報担当」と呼ばれるフランス人がビレルをこう評した。
「彼(ビレル)はアミールで、何といっても、フランス人戦闘員としてアブ・バクル・アル・バグダティに最も近い存在なんだ」
いうまでもなく、バグダティは「イスラム国」の最高位であるカリフだ。ビレルはそのバグダティの側近だという。「メロディー」はいきなり大物を釣り上げたのだ。
はじめてのスカイプでのビデオ通話のとき、ベールを被り目だけを出した「メロディー」と、“イスラム国の首都”ラッカのインターネットカフェにいるビレルのあいだで、現実離れした会話が交わされた。
「何の仕事をしているのか、聞いてもいい?」
「仕事は人を殺すことだよ」
「人を殺すのが仕事なの? 本当にそれが仕事なの?」
「決まってるじゃないか! 当然だよ! 俺、毎日すごく働いてるだぜ! ここはクラブメッドのバカンス村じゃないんだからさ」
「不信心者を殺すってこと?」
「そうさ。それに裏切り者も、イスラムの世界征服を邪魔する奴は誰でもね」
そしていきなり、ビレルはいった。
「君はこっちで重要な人間になるんだ。俺と結婚してくれたら、王妃みたいな暮らしをさせてあげられるよ」
初対面で、「メロディー」はISの大物ジハーディストにプロポーズされたのだ。
シリアの性生活に満足できない
ISの幹部らしきビレルは、なぜフランス人の若い金髪女性と結婚したがるのか。その理由を、同じくシリアに渡ったアブ・ムスタファという27歳のフランス人が解説している。
「シリアの女性は外国人のジハード戦士をばかにしてるんだ。イスラム国を恐れてるからね。僕たちだって、彼らのあの間違った教義とは相容れない! だいたい彼女たちは、君たちヨーロッパの女性のようにシャリーアに従おうともしない。シタルも着ないで、小さなヒジャブだけですませてる!」
ISにとって“貴重品”であるフランス人男性は、地元のシリア女性と優先的に結婚することができるが、その夫婦生活は満足のいくものではないらしい。
「僕はフランスで育ったけれど、彼女たちはここで育ってる。カルチャー・ギャップが大きすぎるんだ。僕たちの西欧の習慣と彼女たちの閉鎖的な考え方は、全然わかり合えるところがない。だから、君みたいな人と結婚できれば、完璧な人生になるだろうな」
このように(ビレルと比べればはるかに理性的な)ムスタファも、「メロディー」との結婚願望を口にした。
その「メロディー」に結婚を迫るビレルの行動は徐々に常軌を逸してきた。彼は毎朝6時に起きると、「メロディー」に短いメッセージを送る。
おはよう、かわいいベイビー、俺のことを思っていてくれ。会いたい。
そのあとに赤のハートの絵文字がたくさんついている。
その後は武器と、好物のココアの小さな瓶を何本も積み込んだ装甲小型トラックで300キロを毎朝「出勤」する。ビレルはイラクとの国境に近いIS統制下のデリゾールで「警察活動」をしているという。
「仕事」から戻ると、シリア時間の午後7時にはラッカのさびれたインターネットカフェのパソコンの前で「メロディー」を待っている。ビレルもまた、「ヨーロッパの白人女性」を熱烈に求めていた。「メロディー」は若く金髪で、おまけに「改宗者」だ。ビレルはいう。
君たち改宗者は、戒律に対してより厳格なのに、人生に対してはより開けている。シリアの不信心者のように、体を覆うことだけで満足して男を幸せにすることを知らないのとは違う。(略)
君は夫と二人だけのときには、やりたいことは何でもできる。君のすべては夫のおかげ、夫のおかげだ。だから、夫の願いは何でも聞き入れなければいけない。シタルとブルカの下に何でも好きなものを着るといい。ガーターベルトとか網タイツとか夫が喜ぶものなら何でも。きれいな下着は好きかい? ベイビー。
IS幹部であるビレルもまた、シリアでの性生活にまったく満足できなかったのだ。
サイコパスのために用意された世界
エレルが企画をパリの新聞社に持ち込んだときには、ビレルのメッセージは狂気じみたものになっていた。
「そこにいるのか?」「そこにいるのか?」「そこにいるのか?」と10ページ以上にわたってメッセージを送ってくるばかりでなく、「実は俺たちはもう結婚している」というのだ。
驚く「メロディー」に対して、ビレルはいう。
俺の妻になってくれるよう、君には十分に、そして早くから申し込んでいるよな、だからこのことを裁判官に話して書類を用意してもらった。だから俺たちはもう正式な夫婦なんだ。
その結婚契約は、「メロディー」がシリアの地を踏んだとたんに有効になる。ビレルが知りたいことはただひとつ。いちばん重要な質問は「君は処女か?」だった。それを婚姻証明書に書き込まなくてはならないのだ。
ことここにいたって、さすがのエレルも危険を感じるようになる。そこで、ビレルの指示どおりトルコとシリアの国境の町まで行き、渡航を手引きする女の写真を撮ってから記事を書くことにした(指名手配されているビレルはトルコ側に来ることはできない)。
この撮影に大きなリスクはないはずだったが、国境越えの段取りを決めるなかで、ビレル、「メロディー」、アラビア語を話す密航業者の3人が同時に話さなくてはならなくなり、エレルは思わす自分の携帯電話を使ってしまった。あとから危険の大きさに気づき、けっきょくトルコへの渡航をとりやめて、ビレルとの一連のやりとりを原稿に書くことに決めた。
激怒したビレルからは、
「自分を何様だと思っている? 淫売め」
「俺を甘く見たな、お前の相手はテロリスト組織だぞ」
「俺をコケにしやがって。今度はお前が落とし前をつける番だ(爆笑)」
などという大量の脅迫メッセージが送られてきた。
その後の調査で、ビレルの本名はラシドといい、年齢は38歳であることがわかった。パリのポルト・ドゥ・クリニャンクールの近くで生まれ、学校へは行ったり行かなかったりして、すぐに学業を放棄。警察からは、窃盗から軽兵器の不法取引、ピストル強盗にいたるありとあらゆる犯罪記録が出てきた。欠席裁判で何度も裁かれ、投獄されたこともあった。
2003年以降はアメリカのイラク侵攻に反対する組織の主要メンバーになり、ここでアブ・バクル・アル・バクダディと知り合う。2009年から2013年にかけてアフガニスタンに滞在し、ゲリラ戦のテクニックを磨いた。その後パキスタンとリビアに渡り、カダフィ失脚後、2013年にシリアでIS幹部としての活動を始めたとみられている。
ビレルには20歳、28歳、39歳の3人の妻がおり、少なくとも3人の息子がいた。息子はいずれも13歳以下で、そのうち2人はすでにシリア戦線にいるという。
こうした経歴を見るかぎり、ビレルはサイコパスか、それにかぎりなく近い人格であることはまちがいない。フランスの市民社会にうまく適応することのできなかったサイコパスは、あるとき自分のために用意されたかのような世界があることに気づく。そこではどれだけ人間を殺しても、拷問してもよく、複数の女を妻として性の饗宴を満喫できるのだ。
エレルの記事が新聞に掲載される直前、携帯に着信があった。表示された電話番号は、フランスからであることを示す「06」から始まっていた。
エレルは電話に出た。ビレルだった……。
フランスからシリアに渡ったノラの末路
「メロディー」とビレルになにが起きたかは本を読んでいただくとして、最後に、シリアに渡った女性にどのような運命が待っているのか、『イスラーム国の黒旗のもとに』からエピソードを紹介しよう。
ノラ・バーシーはアヴィニョンに住む平凡な15歳のフランス人の学生で、将来は医者になることを夢見ていた。シリアに渡る前のフェイスブックの写真はジーンズを履き、エッフェル塔の下でポーズを取って微笑んでいた。
ノラは2014年1月のある寒い日の朝、荷造りをして学校を出、二度と実家に戻らなかった。パリまで鉄道を用い、ATMカードで550ユーロを引き出し、足跡を隠すために携帯電話を変更した。イスタンブールまで飛行機で行き、それからラッカへ向けて他の飛行機に乗り換えた。
フランスでは、未成年者の出国は2013年1月1日付の法律制定以来、増加している。この法律によって14歳以上のフランス国民は、両親あるいは法的責任者による出国許可がなくてもヨーロッパを旅行できるようになった。自分の子供は今ごろ教室でぼんやり考えごとでもしているだろうと思っていると、実際にはトルコ行きの飛行機で二度と帰らない旅に向かっていることさえある。
ノラの家族は必死で娘を探し、第二のフェイスブック・アカウントでパリのIS勧誘員と接触していたことを発見した。失踪の3日後、彼女はシリア・トルコ国境から家族に電話し、自分は大丈夫だがフランスに戻りたくないと伝えた。それから兄とSNSを通じて会話し、火器の使用法を習得したがISと共に戦うことはないだろうといった。
こうして家族の説得は失敗したのだが、仮にノラが母国に戻ることを希望したとしても前途はきびしい。シリア渡航歴のあるフランス国民は最低でも逮捕拘留され、住居を指定されて、その土地を離れることを禁じられる。あるいは仮拘留されて、そこで彼らが脅威をもたらす危険があるかがはっきりするまで待つことになる。いずれにしても法は厳格に適用され、「テロ計画に関連する犯罪に協力した」罪の被疑者となる。「イスラム国」の実態に絶望したが、母国での監獄暮らしを恐れて死を選ぶ者もいるという。
その後兄は、シリアにどうにか入国しノラに面会した。ノラは兄に、「私は人生で最大の過ちを犯した」と語った。
ノラは痩せて病気だった。そのうえ失明していた……。
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