ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2015年11月19日公開の「パリ同時多発テロの裏で、 フランスが「豊かな欧州」から没落しつつある現実」です(一部改変)。
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2013年12月にパリを訪れたときはモロッコのマラケシュに行くためのトランジットで、パリ東駅近くのホテルに泊まった。
Trip Advisorによると、このあたりは一時スラム化が問題になっていたが、近年は再開発が進んで、サン・マルタン運河周辺には洒落たレストランが次々とオープンし、ちょっとした人気スポットになっているのだという。
運河は東駅の横を流れ、途中で地下に潜りバスティーユ広場の先で地上に出て、セーヌ川に合流する。
運河の両岸はきれいに整備されたマロニエの並木道で、ところどころに鉄製の太鼓橋がある。個人営業の小さなレストランが運河沿いに点在していて、平日(火曜日)の夜にもかかわらずどこも賑わっていた。
たまたま覗いたレストランでテーブルがひとつだけ空いていたので、そこで食事をすることにした。レストランの女主人は、「このあたりは観光客は珍しいのよ。日本人は、たぶんあなたがはじめて」といった。
2015年11月13日(金)の夜、パリ市内でIS(イスラム国)の戦闘員による同時テロが起きたが、その標的となったのがこの地区だ。15人が死亡したカンボジア料理店「ルプチカンボジュ」は、上の写真では運河の左手にある。襲撃犯はレストランの客を無差別に銃撃したあと、運河を渡ってすこし先にあるバタクラン劇場に向かい、「アラー・アクバル(神は偉大なり)」などと叫びながら観客に向けて銃を乱射し90人ちかくが犠牲になった。
フランスとドイツの親善試合が行なわれ、オランド大統領も観戦していたサッカースタジアム、スタッド・ド・フランスにも、襲撃犯は強力な爆発物を持ち込もうと試みた。このスタジアムの最大収容人数は8万人超だから、テロが実行されればとてつもない惨劇になったにちがいない。
15年1月のシャルリー・エブド襲撃事件では、ムハンマドの風刺画を掲載した雑誌社が標的となった。社内に警察官が常駐していたように、彼らはリスクを自覚していたが、今回は一般市民が狙われたことで動揺がさらに広がっている。
常軌を逸した凶行というほかないが、ISの戦闘員は狂人ではなく、彼ら独自の「正義」のために戦っている。その正義によれば、これはフランスとイスラム国の国家間戦争であり、フランスが空爆によってイスラム国の市民を殺傷している以上、その罪をフランス市民が自らの生命で贖うのは当然なのだ。これが、テロリストがパリ市内の観光地ではなく、地元のひとたちが集まる地域を選んだ理由だろう。
同時テロを受けてオランド大統領はISとの「戦争」を宣言し、イスラム国への空爆を強化した。これによってフランスはISと同じ認識を共有することになり、相手の土俵に引きずり込まれていく。9.11同時多発テロのあとにアメリカのブッシュ政権がはまりこんだ構図だが、他に有効な対抗手段がない以上、しかたのないことでもあるのだろう。
一部の中東専門家は、報復の応酬では双方の憎悪が膨らむだけで、問題は解決しないのだから、唯一の解決策はイスラム国を「国家」と認めて交渉することだという。だが西欧諸国にこうした提案を受け入れる余地はなく、IS掃討のためにシリアに地上軍を投入するようなことになれば事態はさらに泥沼化しかねない。
ブッシュが独裁者フセインを打倒すべくイラクへの侵攻を主張したとき、フランスは先頭に立ってそれに反対した。皮肉なのは、そのフランスがいまやイスラーム過激派との終わりなき戦争に突入しつつあることだ。
予言の書としてベストセラーになったウエルベックの『服従』
近頃翻訳されたフランスの人気作家ミシェル・ウエルベックの『服従』(大塚桃訳/ 河出文庫)では、2022年にフランスはムスリムの大統領を迎え、イスラームに「服従」することになっている。
『服従』の発売日は2015年1月7日で、『シャルリー・エブド』が襲撃された当日だった。そのうえ、表紙ではウエルベックが(イスラームの象徴である)三日月と星の三角帽をかぶり、煙草をくゆらせながら、「2015年、私の歯は抜け落ちるだろう。2022年、私はラマダンの断食をするだろう」と“預言”していた。このあまりにもできすぎた偶然によって、『服従』はフランス国内で60万部を超えるベストセラーになり、そしてこんどは、その日本語訳が発売された直後にパリの同時テロ事件が起きた。
だが『服従』を読んでみると、これを『預言の書』とするには無理がある。
ウエルベックの小説によれば、2017年の大統領選ではオランドがかろうじて再選を果たすものの、次の2022年はマリーヌ・ル・ペンの国民戦線が支持率30%で第一党になり、社会党の支持率は20%と低迷している。ところがそこにモアンド・ベン・アッベスなる超エリートのムスリムが率いる「イスラーム同胞党」が登場し、社会党と並ぶ20%の支持率を獲得する。社会党は“極右”のル・ペンよりもベン・アッベスを大統領にしたほうが自分たちの既得権を維持できると考え、イスラーム同胞党と連立政権を組むことに決める。こうしてフランスはイスラーム化していく……という話だ。
しかしすぐにわかるように、「イスラーム同胞党」なる政党は存在せず、政教分離(ライシテ)を国是とするフランスに政教一致のイスラーム政党の居場所があるとも思えない――公立学校においてヒジャブ(スカーフ)を着用することすら法で禁じられているのだ。
また仮にイスラーム政党が誕生しても、フランスの人口6600万人のうちムスリムはおよそ500万人(約7.5%)で、そこには市民権を持たない移民も含まれるのだから、7年後にムスリムが有権者の20%を超えるというのも荒唐無稽な話だろう。
実質的なデビュー作である『素粒子』(野崎歓訳/ちくま文庫)以来、良識あるひとたちの神経を逆なでする作風で人気を博してきたウエルベックは、もちろんこんな批判は端から承知のうえにちがいない。しかしそれでも、『服従』が近未来小説の形式をとっている以上、リアリティの有無が重要なことは間違いない。ところが奇妙なことに、「自由」と「人権」の近代民主社会を誕生させたと自負するフランスは、 自らのアイデンティティを全否定してイスラーム国家へと変わっていくというのに、パリ市内で散発的に暴動や銃撃戦が起きるだけですべては平穏のうちに進んでいくのだ。
素通りされたイスラーム原理主義
『服従』では、イスラーム原理主義の問題も素通りされている。
政教分離の市民社会では、宗教は各自の私的な領域にとどめ公の場に持ち込んではならないとされる。この原則は当然、共和国内のムスリムにも適用されるから、世俗的かつ穏健なムスリムは、イスラームをキリスト教やユダヤ教などさまざまな宗教のひとつとし、ほかの神を(あるいは同じ神を異なるやり方で)信じるひとたちの信仰の自由を尊重するとともに、公的生活においは民主的に決定された法の支配に服する。ところがクルアーンでムハンマドは、こうした“キリスト教的政教分離”を明確に否定し、アッラーの言葉は神の国の法であると同時に世俗の法でもあると宣言しているのだ。
このことが、大多数の穏健なムスリムを苦境に追いやることになる。西欧の市民社会は彼らに対し、公的領域ではムハンマドの言葉よりも法を優先するよう求める。それに対して「原理主義者」は、世俗化したムスリムをアッラーの教えに背く反イスラーム(似非イスラーム)とみなすだろう。ISの過激思想がヨーロッパの若いムスリムを惹きつけるのは、時代背景を無視してクルアーンを逐語的に解釈するなら、それが「純粋」で「正しい」からなのだ。
穏健なムスリムが原理主義(サラフィー主義)を否定できないと、市民社会(右派・保守派)から疑いの目で見られ、「イスラームは遅れた宗教」とのステレオタイプがつくられていく。こうしたステレオタイプが定着すると、純真なムスリムほど多数派の「抑圧」に反発し、過激思想(純化したイスラーム)に引き寄せられる。この悪循環によって“カルト”が増殖していくのだ。
ところが『服従』では、イスラーム原理主義にほとんど言及されることなく、穏健で世俗的な「イスラーム同胞党」は社会党の支持のもとにあっさりと政権を獲得してしまう。
2001年の(奇しくも9.11同時多発テロと同じ年に発表された)『プラットフォーム』( 中村佳子訳/河出文庫)では、主人公の最愛の女性がイスラーム過激派のテロで殺されるばかりか、エジプトの知識人やヨルダンの銀行家が露骨なイスラーム批判を口にしていた。
この作品でウエルベックはイスラーム社会から激しい抗議を浴びることになるのだが、『服従』ではそれに懲りたのか、フランスを支配したイスラーム政権は莫大なオイルマネーで国民を懐柔し(40代で退職しても死ぬまで優雅に暮らせる年金が支給されるのだ)、“グローバル資本主義”よりもずっと幸福な社会が訪れる。もっとも、その後は大学や公教育のイスラーム化が次々と進められることになっているから、原理主義者も満足するように帳尻は合っているのかもしれないが。
性生活の衰えと「西欧の没落」
出世作の『素粒子』ではニューエイジ的なフリーセックスのコミューンの実態を暴き、『プラットフォーム』ではタイの売春ツアーが題材になった。ウエルベックの魅力は、「個人の自由を極限まで追求すれば、セックス以外に価値のあるものはなくなってしまう」という(一部)フランスの知識人の現実=リアルを赤裸々に描いたことだ。
『服従』でもそれは一貫しているものの、ウエルベックの代名詞ともなった露骨な性描写は控えめで、ほとんどが主人公(大学のフランス文学教師)の独白と妄想で埋められている。主人公のフランソワの興味もセックスだけで、たいした葛藤もなくイスラーム政権を受け入れる理由は、一夫多妻制の導入によって15歳の少女を妻に迎えることができるからなのだ。
ほとんどのムスリムは一夫一妻で不倫や婚前交渉も禁じられているのだから、セックスを目的としてイスラームに改宗するのは冒涜以外のなにものでもない。そのうえこの本には、権力目当ての俗物を除けば、まともなムスリムは一人も登場しない。イスラーム社会の反感をかったウエルベックは、いまでは(ムスリムのほとんどいない)パリの中華街のアパートで護衛つきの生活を送っているという。
ウエルベックの本はこれまで、「西欧の没落」と重ね合わせて読まれてきた。自分自身の性的な衰えが、「自由」や「人権」という人類の普遍的価値を体現したはずのヨーロッパの衰退と二重写しになって、その対極にあるイスラームに「服従」していくというのがこの作品の面白さだ。
このような作品が、ドイツやイギリス、あるいはイタリアやスペインではなく、フランスから現われたというのは、ある種の歴史的必然なのではないだろうか。
ギリシアの財政危機でも明らかになったように、ヨーロッパは「北」と「南」に分裂しつつある。そしてドイツとともにEUの中核であるはずのフランスはいま、「ゆたかな北」から「貧しい南」に転落しつつある。この“没落感覚”を個人的な性体験や西欧・人類の運命にリアルに反映できるのはフランスの知識人だけなのだ、たぶん。
いずれにせよ、現実は作家の想像力を超えて進んでいき、『服従』は絵空事になってしまった。
レバノンの首都ベイルートの住宅街で起きた自爆テロでは少なくとも37人が死亡、181人が負傷した。エジプトの観光地シャルムシェイクからサンクトペテルブルクに向かうロシアの旅客機の墜落事故では乗客・乗員224人が犠牲になった。トルコの首都アンカラで起きた自爆テロでは、死者は少なくとも95人、負傷者は246人に達した。この1カ月あまりで、ISは世界各地で4件もの大規模テロを実行したことになる。
ISによるさらなるテロが計画されているとの情報も流れているが、これ以上、犠牲者の出ないことを祈りたい。
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