ある日、「私たちは警視庁です」というメールが送られてきました。「あなたのお子様は窃盗容疑で逮捕され、被害者に280万円の賠償金を支払う必要があります」との文面のあとに、国内銀行の法人口座が5件ほど列挙されています。明らかな詐欺メールですが、それでも思春期の子どもがいる親のなかには背筋が寒くなったひともいるでしょう。
しかしなぜ、こんな悪質で稚拙なメールを送りつけてくるのでしょうか。それは、スパムメールのコストが実質的に無料だからです。詐欺師にとっては、成功確率がゼロに近くても、誰かがひっかかればそれが収益になるのです。
フィッシング詐欺としてよく知られているのが「ナイジェリアの王子」です。莫大な遺産が腐敗した国家に没収されようとしていると窮状を訴え、その資産を受け取る口座を貸してくれたら高額の謝礼を支払うと約束をする一方で、送金のための「手数料」を立て替え払いしてほしいと依頼するのが定番の手口です。
しかしその文面をちゃんと読むと矛盾だらけで、どうせならもっと巧妙な話を(いまなら生成AIを使って)でっちあげ、返信してくる「潜在顧客」を最大化したほうがいいように思えます。
でもこれは、あさはかな素人考えです。詐欺師は合理的な理由から、わざと稚拙な文面を使っているのです。
2012年に情報セキュリティの専門家が、「なぜナイジェリアの詐欺師は自分自身をナイジェリア人だと言うのか?」という論文でこの謎を解き明かしました。メール詐欺の特徴は、世界中にスパムをまき散らすのがタダであるのに対して、引っかかってきた魚(被害者)をフォローアップして、資金を振り込ませるのに多大なコストがかかることです。詐欺師にとっての最大のリスクは、あの手この手で説得したあげくに、「やっぱりやめます」といわれることなのです。
こうした“惨事”を避けるには、網で多くの魚(潜在顧客)をつかまえるのではなく、だまされやすいごく一部のひとだけを相手にしなければなりません。いわば、イワシの群れのなかから数匹のタイを見つけるのです。
この選別に役立つのが、誰もがバカバカしいと思うつくり話です。そんな話に興味をもって接触してきたひとは、平均よりもずっとだまされやすいはずです。国際ロマンス詐欺も同じですが、メールの文面が稚拙であればあるほど、詐欺師は有望な“カモ”に出会う確率を上げ、そこに説得コストのすべてを投入できるのです。
誰もが知っているように、世の中には一定の割合で認知的な脆弱性をもつひとがいます。もっともハイリスクなのは陰謀論にはまりやすいタイプで、自分は特別で、そんな自分には特別な機会(奇跡)が訪れるはずだと思っていると、詐欺師の格好のターゲットになってしまいます。
だまされないためにもっとも重要なのは、平凡な自分を受け入れ、人生に“奇跡”など起こらないと納得することですが、これは誰にとっても難しいことなのでしょう。
参考:ダニエル・シモンズ、クリストファー・チャブリス『全員“カモ” 「ズルい人」がはびこるこの世界で、まっとうな思考を身につける方法』児島修訳/東洋経済新報社
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