今年5月にシンガポール、カンボジア、タイ、8月にフィリピンとインドネシアを訪れました。これらの国に共通するのは、どこもライドシェア・サービスが利用できることです。(シンガポールに本社を置くGrabが普及していますが、インドネシアではGojekと市場を二分しています)。海外SIMを入れたスマホに配車アプリをインストールするだけで、いつでも車を呼ぶことができ、ものすごく便利です。
観光客がライドシェアを好むのは、これまでぼったくりタクシーで何度も嫌な思いをしてきたからです。配車アプリなら目的地までの金額が最初に提示され、到着時にドライバーにその金額を支払えばいいだけの明朗会計です。ドライバーは顧客から低い評価をされると次からマッチングできなくなるので、きれいな車で快適なサービスを提供しようと努力しています(新興国では廃車寸前のタクシーが走っていますが、ライドシェアに登録する車にはきびしい条件があります)。
それに対して日本のタクシーはメーター制で、海外のようなトラブルは起きないとして、業界はライドシェアの導入に頑強に反対してきました。その結果、UberもGrabも日本ではタクシーを呼ぶためのツールでしかありません。
観光振興に「配車実験」を試みた自治体はありましたが、国が中止を指導したり、業界が議員に働きかけて撤回させるなど、どこも本格導入できていません。自家用車を利用して有償の運送業務を行なうことは、「白タク」として違法とされているからです。
ライドシェア不要論の背景には、駅前のタクシー乗り場に客待ちの車の長い列ができていたように、タクシーの供給過剰がありました。ところが運転手の高齢化とコロナ禍で廃業が相次いだ結果、状況は劇的に変わり、いまや地方の空港や大都市の主要駅では、タクシーを待つ客の長い行列ができています。
マイナ保険証への強い反発に見られるように、高齢化した日本では、新しいことへのチャレンジが徹底して嫌われるようになりました。“進歩派(リベラル)”を自認する政党やメディアが、「使い慣れた紙の保険証のほうが安心」と高齢者の不安を煽り、現代のラッダイト運動を主導しているのはその典型です。
しかし現実には、訪日観光客が大きなスーツケースを引きずって右往左往するだけでなく、地方ではタクシーがほとんどなくなり、高齢者が自分で車を運転しなければ買い物にも行けなくなりました。こういう地域でこそ、ライドシェアは必要とされるでしょう。
本来のリベラルは、「よりよい社会」を目指すために、テクノロジーを積極的に活用しようとするはずです。ところが日本では、ライドシェアの導入に意欲を見せているのは菅義偉前首相で、「自分の言ったことなので、(ライドシェアを)必ず実現させる」と語る一方、野党はこの問題にはまったく無関心です。
マイナ問題にしても、ライドシェアにしても、保守派がデジタル化やイノベーションを推進し、(自称)リベラルが「弱者」を盾にそれを阻もうとする奇妙な構図に、現在の日本社会の閉塞感が象徴されているのでしょう。
「「ライドシェア」菅氏が導入に意欲」朝日新聞8月24日
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