「マイナ問題」の混乱が続いていますが、一連の報道がわかりにくいのは、「マイナンバー」と「マイナカード」を(おそらくは)意図的にあいまいにしているからです。
マイナンバーは国民および外国人居住者に付与される固有の番号で、これによって社会保障など行政サービスや納税手続きをデジタル上で完結できます。これまで「名前」「住所」「戸籍」などで管理してきましたが、これではデジタル化に対応できないので、北欧諸国を皮切りに先進国やインドなど新興国も続々と番号での管理に移行しています。
それに対してマイナカードは、マイナンバーの証明書にICチップの電子証明を付与したものです。社会がデジタル化するにつれて、非対面で本人確認しなければならない機会が増えていきます。そのとき、運転免許証や(顔写真すらない)保険証のコピーの提出では詐欺の温床になるため、より安全性が高く、スマホでも使える本人認証の方法が求められていました。
この機能は今後、行政サービスだけでなく、金融機関での口座開設など民間の利用へと拡大していくことになります。北欧のようなデジタル先進国では、婚姻届・出生届や引っ越しによる住所変更はもちろん、診療予約や医療費の支払い、クレジットカードや保険契約、賃貸住宅の契約、スマホの新規契約などにもマイナンバーが使われています。
日本のリベラルなメディアは、住基(住民基本台帳)番号の頃から「国民総背番号制」に断固反対してきました。それにもかかわらず、コロナ禍で日本の行政が、感染者の把握や給付金の支払いで世界に大きく遅れていることが白日の下にさらされると、いつの間にか「デジタル敗戦」を批判する側に180度転向します。ところがその後、マイナカードと保険証を一体化する方針に(読者・視聴者である)高齢者の不安が高まったことから、ふたたび「マイナ批判」が始まったのです。
「高齢者施設で入居者のマイナカードや暗証番号を職員が管理できるのか」という問題では、「認知症の患者もいるのだから紙の保険証を残すべきだ」とされました。国会ではリベラル政党が、国民に不安が広がっているとして、保険証との一体化を白紙に戻せと強硬に主張しました。マイナカードは危険といわんばかりの報道で自主返納が増えると、それをマイナ批判に使うというマッチポンプも顕著です。
「“弱者”である高齢者を守れ」というのは正論に聞こえますが、ここには、「高齢者の利便性のためにデジタル化が遅れたコストは誰が負担するのか」という視点が欠けています。これが、メディアのマイナ批判に対してネット上で若者を中心に不満や批判が渦巻いている理由でしょう。
人類史上未曽有の超高齢社会を迎えつつある日本では、社会保障費は200兆円ちかくまで膨れ上がり、現役世代1.3人で1人の高齢者を支える時代が確実にやってきます。若者たちは、「高齢者に押しつぶされる」という強い不安を抱えているのです。
そんなとき、「高齢者を切り捨てるな」という一方的な主張は、「若者を切り捨てろ」といわれているとしか思えないのでしょう。このことが理解できないかぎり、「リベラル」を自称するメディアや政党が若者に支持されることはないでしょう。
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