進化医学から考える「心はなぜ壊れやすいのか?」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年12月2日公開の「人の心はなぜ「壊れやすい」のか? 進化医学の観点から考える」です(一部改変)。

******************************************************************************************

嫌なことやつらいことがあったあとに、「なぜこんなに落ち込むんだろう?」と思ったことはないだろうか。あるいは、家族や友人がうつ病などで苦しんでいるのを見て、“心の病い”を理不尽に感じたひともいるだろう。精神科医であり、進化医学の提唱者でもあるランドルフ・M・ネシーの『なぜ心はこんなに脆いのか 不安や抑うつの進化心理学』( 加藤智子訳、草思社)は、そんな疑問に答えようとする試みだ。

アリゾナ州立大学に「進化医学センター」を創設したネシーは、『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』( ジョージ・C. ウィリアムズとの共著、長谷川真理子訳、新曜社)で、進化の視点から病気を考えるべきだと主張して大きな反響を得た。本書はその試みを精神医学に適用したものでもある。

本書を執筆した意図を、ネシーは冒頭でこう説明している。

私たちが、正常な反応であるとはいえ不必要に辛い情動を感じるのは、感じなかった場合に発生するコストが甚大なものになり得るからだ。また、決して叶えられない欲望や、コントロールできない衝動、対立だらけの人間関係が存在することにも、進化的に見て妥当な理由がある。しかしおそらく何よりも重要なのは、愛すること、善良でいることを可能にする、私たちのこの驚くべき力がどこからくるのか、そしてその代償としての悲嘆や罪悪感が存在する理由、さらに(実にやっかいなことに)私たちが他人にどう思われているかをむやみに気にしてしまう理由も、進化によって説明できる、ということなのだ。

原題は“Good Reasons for Bad Feelings; Insights from the Frontier of Evolutionary Psychiatry(バッドな気分のグッドな理由 進化精神医学のフロンティアからの洞察)”

わたしたちの身体や心は、遺伝子の伝達(複製)を最大化するよう自然選択されている

進化医学の大きな成果のひとつは、「ひとはなぜ老いるのか?」という疑問に、科学的に明快な答えを出したことだ。それは、「若いときにより多くの子どもをつくるため」になる。

その前提にあるのは、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」説だ。進化とは、より効率的に遺伝子を後世に残せる形質が自然選択されていく単純で強力な仕組みで、「利己的な遺伝子」にとっては、生き物はそのための乗り物(ヴィークル)に過ぎない。当然、ヒトというヴィークルも、わたしたちの幸福を実現するためではなく、遺伝子の都合によって「デザイン」されている。

カブトムシやミバエの寿命の長さを交配によって変化させる数多くの研究では、若い時期に繁殖する個体を選択していくと、寿命が短くなっていく。逆に、寿命が長くなるように交配させると、とくに自然環境下では、顕著に子孫が少なくなる。

ここからわかるように、自然選択は老化に非常に強く作用する。老化を速める遺伝子は、従来いわれていたように、「影響が出始めるのが遅すぎるために自然選択による排除を免れてしまった不運な突然変異」などではなく、(そのような遺伝子の一部は)若い時期における繁殖を増やすうえで有利な条件を提供するのだ。

同様に、病気を進化から説明することも可能だ。鎌状赤血球症はアフリカなどで見られる遺伝性疾患で、ヘモグロビン分子の遺伝子突然変異により、赤血球のかたちが鎌形になる。これよって赤血球の毛細血管内の循環が難しくなり、かなり深刻な慢性貧血が引き起こされる。

だがこれは潜性(劣性)遺伝で、この病気の原因となる遺伝子(鎌状変異遺伝子)を2つ保有しているときしか発症しない。そればかりか、野生型の(正常な)遺伝子と変異型の遺伝子を1つずつもっている場合は、マラリアへの耐性が生じることがわかった。だからこそ、マラリアが蔓延する熱帯地方でこの「病気」が自然選択されたのだ。

これはわかりやすい例だが、そうなると、「なぜ自然選択は冠状動脈疾患を形づくったのか? 乳がんはどうか? 統合失調症は?」という疑問が生じるだろう。だがこれは、「病気を適応としてみる(VDAA:Viewing Diseases As Adaptations)」という誤りだとネシーはいう。

鎌状赤血球症のような一部の例外を除けば、ほとんどの病気は生物学的な適応の結果ではなく、進化的に説明できない(病気は、自然選択によって形づくられてはいない)。ただし、私たちを病気に対して脆弱にするような身体的特徴は、進化的に説明することができる。こうしてネシーは、「病気そのものから、私たちを病気にかかりやすくする体の形質に焦点を移すこと」を提唱する。

身体と心が病気に対して脆弱である理由を、ネシーは6つ挙げている。

  1. ミスマッチ:わたしたちの身体や心が、現代的な環境に対応する準備ができてない。
  2.  感染症:細菌やウイルスがわたしたちよりも速い速度で進化している。
  3.  制約:自然選択には限界があり、欠陥(バグ)をただちに修正できるわけではない。
  4.  トレードオフ:身体と心の機能には利点(メリット)と難点(デメリット)がある。
  5.  繁殖:自然選択は繁殖を最大化するのであり、健康を最大化するのではない。
  6.  防御反応:痛みや不安などの反応は、脅威を前にした状況では有用だ。

わたしたちの身体や心は、健康や寿命を最大化するようにできているのではなく、遺伝子の伝達(複製)を最大化するよう自然選択されている。すなわち、適応度を増すような機会があれば、たとえ健康と幸せを犠牲にしてでも非合理的な行動をとるように「設計」されている。これが身体的な病気と同様に、「心の病」を考えるときの前提になる。

“嫌な気分”が役に立つ進化的な理由

自然選択の原理はきわめて明快で、「その種における平均的な個体は、子の数がもっとも多かった個体に似てくる」。これは単なる仮説ではなく、前提がすべて真であれば必然的に成立する演繹的結論で、自然選択がつくり出すのは、「繁殖まで生き残る子の数を最大化できるような脳」ということになる。

だとしたら問題は、「そのように“最適化”された脳が、なぜさまざまな不調を引き起こすのか」だろう。この疑問に対するもっとも単純な(そして身も蓋もない)答えは、「ネガティブな情動は有用だから」になる。「情動は私たちではなく私たちの遺伝子に有益なように形づくられている」のだ。

2人の男がいて、1人はパートナーが他の男とつき合うことに激しい嫉妬を燃やし、妻(恋人)を支配しようとする「家父長制主義者」で、もう1人は「君の人生なんだから、好きにすればいいよ」という「リベラル」だとしよう。このとき、より多くの子どもを残すのがどちらだったかは考えるまでもないだろう。「利己的な遺伝子」は、政治イデオロギーではなく、「複製(コピー)の効率性」にしか興味も関心もないのだ。

“嫌な気分(bad feelings)”には、遺伝子にとっては役に立つ“よい理由(good reasons)”がある。それに輪をかけて(わたしたちにとって)やっかいなのは、自然選択が「煙探知機の原理」を採用したことだ。

トーストをすこし焦がしただけで警報が鳴る探知機は煩わしいが、本物の火事でも警報を鳴らさない探知機より100倍もましだ。この単純な理由から、脳は致命的な事態を避けるために、わずかなことでも大音量で警報を鳴らすよう進化した。パートナーの些細な振る舞いに激怒するのは理不尽だが、他の男の子どもを育てさせられるという「最悪の事態」に比べれば、(「利己的な遺伝子」にとっては)どうでもいいことなのだ。

ネシーはこれを、「人間の苦しみを生み出す防御反応のほとんどは、そのときだけに限ってみれば不必要だが、それでも完全に正常な反応なのである。このような防御反応はコストが低く、かつ起こり得る甚大な損害も防いでくれるからだ」と述べている。

だが「煙探知機」の感度が高すぎると、さまざまな不都合が生じる。不安障害のひとは、人込みを歩くなど、ごく当たり前のことに大きな不安を抱く。公式な診断基準に当てはまるほどの不安障害を一生のうちに体験する割合はおよそ30%で、「人前で発表するのが怖いという人の割合は50%近くにのぼり、その多くが助けを求めている」という。これは「陽気で楽天的」とされるアメリカ人のデータだから、日本人の不安障害はもっと多いにちがいない。

パニック障害はストレス調整システムの不全で、視床下部から副腎皮質刺激ホルモン(CRH)が一度に大量に放出されると、パニックの症状とほぼ同じ生理学的覚醒が起きる。CRHは、脳の下部に位置する青斑核と呼ばれる部位の細胞を興奮させる。青斑核にはノルアドレナリン含有ニューロンのうち80%が集合しており、ここに電気刺激を加えると、典型的なパニック発作に似た症状が引き起こされる。

たとえ誤報であったとしても、いちどパニックを経験すると、患者はさらに注意深くその兆候を探すようになり、興奮の度合いが上がり、探知システムの精度も上がっていく。この負のスパイラルによって、発作がさらに起きやすくなる。

不安障害やパニック障害は「進化の適応」ではないが、なぜ不安やパニックになりやすいひとがいるのかは進化によって説明できるのだ。

子ども時代に転落の経験がある子どもの方が高所恐怖症になりにくい

わたしたちが感じるすべての情動は、「ポジティブ」か「ネガティブ」かに分かれる。適応度に影響するのが、(生殖や生存に)「機会をもたらす状況」か「脅威となる状況か」のどちらかであることを考えれば、これは当然だろう。それ以外の状況に自然選択(利己的な遺伝子)が“興味”をもつ理由はない。

ヒトの脳は、機会をもたらすような状況を予感すればポジティブな情動を感じ、その機会(異性との性交や食料の獲得)を実現しようとする。それに対して、脅威や損害をもたらすような状況を予感すると、ネガティブな情動を感じてそれを避けようとする(“逃走”するか、それができない場合は、“闘争”モードになる)。

恋愛や成功(高い地位の獲得)は人生にとって素晴らしい体験なので、古今東西、ひとびとはポジティブな情動の物語を書き連ねてきた。だがそれはネガティブな情動とコインの裏表の関係にあり、「利己的な遺伝子」にとっては、失恋や失敗によって打ちのめされることもまた「素晴らしい」のだ。コインの表だけを手に入れることができないように、ポジティブな情動(いい気分)だけを感じることも原理的に不可能だ。

ポジティブな情動(歓喜)とネガティブな情動(絶望)はわかりやすいので、前者はポジティブ心理学、後者は精神分析学や精神医学の対象として研究されてきた。だが、ポジティブな情動がなにもかもよいことだとはいえない。躁病や躁状態はしばしば人生を破壊してしまうが、これはポジティブな情動が過剰なのだ。

同様に、ネガティブな情動は少なければ少ないほどいいとされているが、これが過少だとやはり深刻な問題が生じる。ハイポフォビアは不安の欠如を特徴とし、ふつうのひとが怖がるようなことでも気にしない。

高所恐怖症は、子どもの頃の転落経験が無意識に「内面化」されたのだと考えられていた。この仮説を検証するためにニュージーランドの研究者が、5歳から9歳までのあいだに転落により怪我をしたことのある子どもたちを探し出し、怪我の経験がない子どもたちと比較した。

その結果は、子ども時代に転落を経験した子どもたちのグループでは、18歳になった時点で強い高所恐怖をもつ子の割合は2%だったのに対し、転落を経験していない子のあいだでは7%だった。仮説とは逆に、転落の経験がある子どもの方が高所恐怖症になりにくかったのだ。

辛い思いを感じやすいひとが、もっともトラウマを体験しやすい

なぜこんなことになるのか。それは、因果関係が逆だからだろう。「転落を経験する→もういちど転落すると考えて、高いところが怖くなる→高所恐怖症になる」のではなく、「もともと不安を感じにくい→高いところを怖がらないので転落を経験する→“不安の欠如”は変わらないので、大人になっても高所恐怖症にはならない」だったのだ。

不安が欠如しているハイポフォビアは、失敗を恐れずリスクのあることにも果敢に挑戦するから、時に華々しい成功を収める。だからといって、やみくもにリスクをとればつねに成功するわけではない。ネシーはこう書いている。

彼ら(ハイポフォビア)が姿を現わすのは、実験的な新型の飛行機の上や、クリエイティブな挑戦の場、戦争の前線、政治活動の現場などだ。そして、刑務所や病院、失業者の列、破産関連の裁判、死体安置所でもよく目撃される。

ちなみに、PTSD(心的外傷後ストレス障害)でも高所恐怖症と同様の因果関係の逆転があるらしい。

デトロイトにある健康維持組合の会員1007人を対象にした調査では、対象者のうち39%がトラウマ体験をしたことがあり、そのうち24%はPTSDを発症した。PTSDを発症したひとは、発症しなかったひとに比べて、幼年期の両親との別れの経験や、不安障害の家族歴、PTSD発症以前の不安障害やうつ病の経験がある割合が高いことがわかった。

この研究が興味深いのは、同じ対象者を3年後にもういちど調査していることだ。すると、全体の19%が3年間で新たなトラウマ的出来事を体験しており、そのうち11%がPTSDを発症していた。ここから、「PTSDを発症する予測因子のうちもっとも強いものは、トラウマ的出来事を過去に体験していること」であることがわかった。

これをわかりやすくいうと、「たまたま(不幸にして)トラウマ体験をしたひとがPTSDになる」というよりも、「もともとトラウマ体験をしやすいひとたちがいて、このひとたちは子ども時代も大人になってもトラウマ体験に遭遇する確率が高く、PTSDになりやすい」ということだ。

「トラウマ体験をしやすい」パーソナリティは、性格分析のビッグファイブでいう「外向性の高さ」と「神経症傾向の高さ」だという。外向性が高いと、強い刺激を求めてリスク行動をとりやすい。神経症傾向が高いのは「悲観的」なタイプで、あらゆる出来事をネガティブに解釈する。この組み合わせによって、「辛い思いを感じやすいひとが、もっともトラウマを体験しやすい」という残酷な進化の仕組みが生まれたのだ。

適応度を上げると逆効果になる

これ以外にもネシーは、「心はなぜこんなにかんたんに壊れてしまうのか」という問いに対して、この大部の著作で多くの興味深い議論を提起している。それは本を読んでもらうとして、ここでは双極性障害(躁うつ病)や統合失調症のような深刻な障害がなぜ自然選択のなかで残ってきたのかについて触れておきたい。ふつうに考えれば、こうした障害は生殖や生存の可能性を大幅に下げるのだから、自然選択によって遺伝子プールから消えていくはずなのだ。

有力な説明のひとつは、「これらの精神疾患には適応度を上げる効果がある」というものだ。統合失調症が「病気」とされたのは近代以降で、それ以前はシャーマンやカリスマ的リーダーとしてより多くの配偶者を得ることができたのかもしれない。双極性障害についても、「躁期に創造性が爆発的に上がり、異性を強烈に引きつける」というより説得力の高い仮説が提示されている。詩人や音楽家だけでなく、スポーツ選手にも双極性障害は多いが、男性の場合、平均より多くの子どもをもうけているという研究もある。

こうした説明は、ADHD(注意欠如・多動症)についてはおそらく正しいだろう。ADHDはそもそも「発達障害」などではなく、旧石器時代のように環境が日々刻々と変わるような状況では、同じやり方ことにこだわっていては生き延びることができなかった。こうして「多動」なパーソナリティが自然選択されたのだが、近代以降の学校教育においては、子どもたちをひとつの施設に「監禁」し、一定時間着席させておくことが「教育」だとされるようになった。この異常な環境に放り込まれたことで、かつてはどこにでもいた「多動」な子どもが「障害」と見なされ、治療の対象になってしまったのだ。

だが、この論理を双極性障害や統合失調症にまで拡張することにネシーは慎重だ。その代わりに提案するのが、「崖型の適応度地形」理論だ。

カゴのなかにタマゴが1つあるよりも2つの方がいい。同様に、2つよりも3つの方が、3つよりも4つの方がいい。だがこれをずっと続けていくと、どこかの時点でカゴはひっくり返ってすべてを失ってしまうだろう。ある時点までは進化の適応であっても、より高い適応度を求めると、崖を転がり落ちるように適応度が下がってしまうことがある。これを「崖型の適応度地形」と呼ぶ。

ネシーが例にあげるのは、競走馬の脚の骨(管骨)だ。サラブレッドの脚は次第に長く、細く、軽くなったが、その代償として脚はどんどん折れやすくなり、今やおよそ1000回のレースにつき1回の割合で競走馬の骨折が発生するようになった。

こうした脆弱性は自然選択でなくなっていくので、野生馬の脚の骨は短く太く、骨折はきわめて少ない。ところが競走馬では、人間が足が速い馬を選んで交配していった結果、特有の「壊れやすさ」が生じてしまったのだ。

人類はなんのために「壊れやすい」心を進化させのか?

競走馬は、「すべての個体が足が速くなるような選択がされているため、脚を折った馬やその血縁の馬が、それ以外の馬と比べて格段に足が速いということはない」とネシーはいう。サラブレッドが骨折しやすいことは進化(人為交配)で説明できるが、骨折した馬になんらかの「適応」があるわけではない。

同様に、心が「壊れやすい」ことに進化が影響しているとしても、深刻な精神疾患をもつひとたちや、その血縁者が適応上の利益を享受しているわけではないのだ。

人類は、いったいなんのために「壊れやすい」心を進化させてきたのか。それは「高い知能」や「コミュニケーション能力」ではないかとネシーはいう。

牛や豚などは食用に家畜化され、野生馬は競走馬へと育種された。それと同様に、ヒトは「社会」という特異な環境に適応するために、自分で自分を家畜化してきたとするのが「自己家畜化」説だ。わたしたちは、自分と同じような高い知能をもつ生き物(他者)と集住するという、動物のなかでもきわめて特殊な環境のなかで生まれ育ち、それに最適化するように進化(自己家畜化)してきたのだ。

そのように考えれば、なぜ適応度を大きく下げるような「心の病」が自然選択のなかで残ってきたのかが説明できる。「極端に高い精神的能力に対して選択が強く働いた結果、私たち全員が、競走馬と同じように、回転は速いが壊滅的な不具合への脆弱性を備える心をもつに至ったのかもしれない」のだ。

もちろんこれは、仮説のひとつにすぎない。ネシーも認めるように、「進化生物医学と先進医学を隔てる深い谷に、橋をかける」プロジェクトは、いままさに始まったところなのだ。

禁・無断転載