「コロナが一段落したら、結婚式が大変なことになってるの知っている?」と知人からいわれました。姪から結婚式のオンライン招待状(動画)が送られてきて、場所が虎ノ門ヒルズになっていたので、「いったいいくらかかるの?」と母親(姉)に訊ねたところ、「700万円くらいみたいよ」といわれたというのです。そこで驚いて知り合いに聞いてまわると、「結婚式がどんどん豪華になっている」とみんな口を揃えたというのです。
近年の社会学では「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」が「ロマンティック・マリッジ・イデオロギー」に変わったと論じられます。
近代以前のヨーロッパでは、結婚はイエ同士の関係をつくる政治的な儀式で、恋愛はその外で行なわれていました。それが一夫一妻の近代家族に再編されるなかで、恋愛と結婚・生殖が一体化して、「純愛から結婚へ」という物語が定着します。逆にいえば、不倫のような結婚を前提としない恋愛は“不純”なのです。
日本ではこの「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」は、戦後の高度成長期に定着したとされます。バブル期(1980年代後半から90年代前半)に人気を博したトレンディドラマでは、さまざまな設定の登場人物たちの恋愛模様が描かれ、いろいろ波風はあったものの、最後は主人公同士が結婚して大団円というのが定番でした。
ところがその後、結婚や生殖を前提としない恋愛への許容度が高まっていきます。いまでは子どものいない夫婦は当たり前で、芸能人などを例外とすれば、不倫が冷たい視線を浴びることもなくなりました(逆に、「好きなひとが見つかってよかったね」といわれるかもしれません)。
だとすれば、結婚の価値が低くなっているのでしょうか。じつは、現実にはこれと逆のことが起きているようなのです。それが、「ロマンティック・マリッジ・イデオロギー」です。
純愛(ロマンティック・ラブ)が素朴に信じられていた時代には、結婚はその必然的な帰結なのですから、結婚式を無駄に豪華にする必要はありません。「地味婚」や「ナシ婚」で簡略化したり、近所のレストランを借り切って親しい友人を呼ぶだけのパーティで構わないのです。
ところが恋愛が多様化してくると、いまつき合っている相手との関係が「純愛」なのかどうか確信がもてなくなってしまいます。
婚活サイトによって恋愛の自由市場がつくられると、「もっといい人がいるかもしれないシンドローム」が急速に広まりました。理論的には、より自分に適した性愛の対象が恋愛市場のどこかにいることは間違いないのですから。――男女の性愛の非対称性から、こうした「選り好み」と「先送り」はとりわけ若い女性で顕著に起きるでしょう。
それでも、女性が妊娠・出産できる年齢には生物学的な限界があるので、どこかで結婚に踏み切らなくてはなりません。そんなとき、自分たちの「純愛」が不安定であればあるほど、豪華な結婚式によって、それを正当化したいと思うのではないでしょうか。
このように考えると、婚姻率が低下する一方で、結婚式が豪華になっていく理由がなんとなくわかるのです。
参考:谷本奈穂、渡邉大輔(2016)「ロマンティック・ラブ・イデオロギー再考―恋愛研究の視点から―」『理論と方法』
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