ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2020年2月18日公開の”アカデミズムのサラブレッド”で新進気鋭の社会学者だったアリス・ゴッフマンは、なぜ「キャンセル」されたのか?」です(一部改変)。
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エスノグラフィー(参与観察)は文化人類学や社会学で行なわれるフィールドワークの一種で、研究者が調査対象者と行動と共にし、同じ立場でさまざまな経験を記録する手法をいう。以前紹介したボストン大学の社会学者アシュリー・ミアーズは、元モデルという変わった経歴を活かして、ファッションモデルや有名クラブのVIPの世界に潜入してその実態を報告した。
参考:富裕層とファッションモデル ニューヨークの有名クラブの生態学
アリス・ゴッフマンは同じ社会学者で、エスノグラフィーの手法を使い、30代前半できわめて高い評価を受けた著作を発表した。ところがその後、この著作は「炎上」し、彼女は「キャンセル」されてしまう。
キャンセルカルチャーは、PC(政治的正しさ)の基準に反した者を糾弾し、社会的な地位を抹消(キャンセル)する左派(レフト)の運動で、東京オリンピック開会式をめぐる一連の騒動を見ればわかるように、その標的になるのは性差別、いじめ、人種差別などをした(と見なされる)者だ。
ところがこのケースでは、アリス・ゴッフマンはきわめてリベラルな主張をしたにもかかわらず、キャンセルの嵐に見舞われることになった。その著作は2014年の“On the Run: Fugitive Life in an American City(オン・ザ・ラン あるアメリカの都市の逃亡生活)”で、21年に『逃亡者の社会学 アメリカの都市に生きる黒人たち』(亜紀書房)として翻訳された。ちなみに“On the Run”は「逃亡中」の意味だ。
ここでは私にわかる範囲で、いったい何が起きたのかを見てみたい。
アカデミズム界のサラブレッド
その特徴ある姓で気づいたかもしれないが、アリス・ゴッフマンは「20世紀のアメリカでもっとも重要な社会学者の一人」とされるアーヴィング・ゴッフマンの娘だ。
アーヴィングは1922年にカナダで生まれ、30歳で結婚して男の子をもうけたあと、アメリカにわたって社会学者として成功し、第73代のアメリカ社会学会会長に選出された。81年に社会言語学者のジリアン・サンコフと再婚し、翌年、アリスが生まれたが、同じ年に胃がんのため60歳で死去した。
ここからわかるように、アリス・ゴッフマン(アーヴィング・ゴッフマンと区別するために、以下、アリスとする)に父の記憶はまったくない。それにもかかわらず、実父と同じ社会学者を目指したのは興味深いが、ここではフロイト的な解釈は控えておこう。
母のサンコフもアーヴィングとは再婚で、死別のあと、93年(アリスが11歳のとき)に言語学者のウィルアム・ラボフと三度目の結婚をしている。アリスの義父となるラボフも高名な学者で、ペンシルバニア大学の言語学研究所所長を務めていた。
アリスは社会言語学者の両親によって、子どものときにフィラデルフィアのイタリア人家族に預けられ、そこで方言の収集をさせられていたという。その後、彼女は義父が務めるペンシルバニア大学で社会学の博士号を取ることになる。
その家族歴から一目瞭然だが、アリスはアカデミズムの世界のサラブレッドだ。実父は誰もが知っている高名な社会学者で、義父は自分が所属する大学の実力者、母親も学者で、その将来にはわずかの障害物もないはずだった。のちの「炎上」の背景には、このあまりにも恵まれ過ぎた経歴がある。
アリスがエスノグラフィーを手掛けるきっかけはペンシルバニア大学1年生のとき、「直接観察を通じて都市生活を研究する」という課題が学生に課されたことだった。アリスは最初、ダウンタウンにある自主制作映画のレンタル店で働こうとしたが、「映画をよく知らない」という理由で雇ってもらえず、大学内のカフェテリアで働きながら従業員(そのほとんどがフィラデルフィアの貧困地域から通う黒人)を参与観察することにした。
レポートを書き終えたあと、アリスはカフェテリアのアルバイトを辞めたが、翌年の秋、そこを仕切っていた60代の黒人女性に「家庭教師を必要としているひとを知らないか」と問い合わせた。彼女は同居する娘(シングルマザー)の息子で高校1年生のレイと、息子の娘で、数ブロック離れたところでやはりシングルマザーの母親と暮らす高校1年生のアイシャという2人の孫を紹介した。こうしてアリスは、週に2~3回、ダウンタウンにある黒人居住区に家庭教師として通うようになった。
これを機にアリスは、本格的にフィラデルフィアの労働者階級の黒人たちの生活を調査することに決め、黒人地区にアパートを借りて引っ越した(地元の不動産業者は白人には貸してくれなかったため、アイシャの姉が代わりに交渉した)。その後、アイシャの14歳のいとこロニーが少年院から戻ってくると、「6番街」と名づけられた地区のストリートボーイズと知り合うようになる。彼らのリーダー格が22歳のマイクで、映画館でいちどグループデートをしたあと、アリスの面倒を見るようになる。
このときアリスは21歳で、後日、2人の関係が問題になるが、マイクは自分の物語を白人の学者に書いてもらうために、打算と興味、そして友情によってアリスを迎え入れたのだとされている。実際、アリスは身長157センチで、40代を迎えた現在の写真でも少女のように見えるので、女に不自由していなかったマイクにとって性的な対象にはなり得なかったという説明を疑う理由はない。
こうしてアリスは、黒人のストリートボーイズたちと「つるみ」ながら、6年にわたって彼らの生活を膨大なフィールドノートに記録することになる。その作業のなかで彼女が発見したキーワードが「逃亡」だ。
ストリートボーイズの「逃亡」でメディアの寵児(セレブリティ)に
黒人のストリートボーイズが「逃亡」するのは、地元の警察から指名手配されているからだが、重罪を犯して逃げ回っているわけではない。ほとんどの場合、微罪で執行猶予になったものの、裁判所が科した罰金・訴訟費用の滞納か公判期日に出廷しないこと、あるいは保護観察・仮釈放の遵守事項(禁酒や門限)に違反したために逮捕令状を出されていた。
2007年、アリスは「6番街」の18歳から30歳までの男性308人にインタビューしたが、そのうち約半数の144人が令状を出されていると答えた。さらに、146人中139人の女性が、過去3年間にパートナーや隣人、あるいは親しい男性の親族が「警察に指名手配されるか、保護観察または仮釈放中であるか、裁判にかけられているか、更生施設にいるか自宅拘禁の状態にある」と語った。
マイクは22歳から27歳までのあいだに拘置所や刑務所で約3年半を過ごした。投獄されていなかった139週のうち、87週は5つの判決が重なって保護観察か仮釈放の状態だった。35週は合わせて10の逮捕令状が出されており、5年間に少なくとも51回出廷し、そのうち47回はアリスが付き添った。
このようなことになるのは、彼らが複雑な法律問題をクリアする資源(リソース)をもっていないからだ。中流階級の白人家庭なら、子どもが警察の世話になるようなトラブルを起こしても、弁護士をつけ罰金を払って解決できるだろう。だが労働者階級の黒人の場合、小さな法律違反が積み重なって身動きとれなくなってしまうのだ。
ストリートボーイズのあいだでは、「ダーティdirty」か「クリーンclean」かが重要な問題になる。「ダーティ」は令状が出されていて、警察に呼び止められて名前を照会され、所持品検査をされると逮捕される可能性がある者、「クリーン」は警察の職務質問をうまく切り抜けられる者のことだ。
自分が「ダーティ」の場合、状況が「ホットhot」か「クールcool」かが次の問題になる。ホットな状況は、誰かが射殺されるなどの事件が起き、警察が未決令状を出された者を捜索している。そんなときは、状況が「クール」になるまでその地域には立ち入らず、事件に関わる者から距離を取らなければならない。
令状が出ていると、ファストフード店やスーパーマーケットなどで働くこともできない。いつ警官がやってきて逮捕されるかわからないからだ。その結果、ドラッグの売人になって稼ぐしかなくなり、さらに自分の立場を悪くしていく。それはまるで、罠にかかってがんじがらめになっていくようだ。
1970年以降、ひとびとが犯罪に対して「ゼロ・トレランス(容赦なし)」で対処するよう求めたことでアメリカの収監率は上昇し、2000年代までに獄中にいる者が107人に1人と、米国史上、類を見ない割合に達した。「(アメリカでは)220万人が刑務所か拘置所に投獄され、さらに480万人が保護観察か仮釈放の状態にある。近代史において、スターリン政権下のソ連の強制収容所だけが、こうした刑罰上の収監に近い水準にあった」とアリスは書く。
だがアメリカ社会で、この大量投獄が大きな社会問題になっているわけではない。その理由は、囚人の割合が不均衡なまでに黒人に偏っているからで、「高校すら卒業していない(黒人)男性のおよそ60パーセントが、30代半ばまでに刑務所に行くことになる」という異常な事態になっている。
これは保守派から、黒人コミュニティの自己責任(怠惰な文化)だと批判されてきたが、それに対してアリスは、6年間の参与観察によって、それが個人の努力ではどうしようもない社会現象で、黒人の若者は些細なことで「逃亡者」になってしまうと論じた。これが、リベラルを中心に彼女の著作が高く評価された理由だ。
参考:BLM(ブラック・ライヴズ・マター)に対する保守派の論理とは
アリスの研究は2011年のアメリカ社会学会の最優秀博士論文となり、14年にシカゴ大学出版会から単行本として出版。翌15年3月、アリスはTEDに登場し、ストリートの黒人が置かれた理不尽な状況と、司法制度や警察の取り調べを改革する必要を力説した。この講演は大きな注目を集め、再生回数はたちまち100万回を超えた。アリスは一躍、メディアの寵児(セレブリティ)になった。
炎上はどのように始まったか
アリスの参与観察は2007年夏、悲劇によって終わりを告げた。マイクの弟分で、アリスが親しくつき合っていた家族の三人兄弟の長男チャックが、ギャング団同士の抗争で銃撃され、死亡したのだ。
葬儀のあと、マイクはチャックを殺した相手の捜索を開始した。そのうち何回かは、マイクに同乗者がいなかったため、アリスが車の運転を買って出た。
ある晩、マイクは標的の男がテイクアウトの中華料理店に入るのを見たと思った。その場面はこう描写されている。
彼(マイク)は銃をジーンズに押し込み、車から降りて、隣接する路地に身を隠した。マイクが駆け戻って車に乗り込んだらすぐに走り出せるよう、私はエンジンをかけながら車内で待った。だが、その男性が食事を持って出てきたとき、どうやらマイクはこの男のことを考えていた人物ではないと思ったようだ。マイクは車に戻り、私たちは車を発進させた。
アリスはなぜこんな危ない橋を渡ったのか。それは「暴力について直に学びたい、あるいは、自分の誠実さと勇気を証明したいという理由」ではないという。彼女が車を運転したのは、「マイクやレジー(チャックの弟)と同様、チャックを殺した人間に死んでほしかった」からだ。
「おそらく、チャックの死は私のなかのなにかを壊した」とアリスは書く。マイクが銃を持って中華料理店に向かったとき、彼女はその行為を止めようとはしなかった。「ただ単に、彼(加害者)が私たちから奪ったものへの落とし前をつけさせたかった」だけだ。
この体験は、「振り返れば、私は、一人の男に死んで欲しいという感情がどのようなものなのか学べたことを嬉しく思っている」と総括されている。アカデミズムの著作としては異例だが、それだけアリスとインフォーマント(調査対象者)であるストリートボーイズとの友情が深かったのだろう。
ところがこの記述に、法倫理学者から批判が浴びせられる。彼によれば、アリスの行為は殺人という重大犯罪の共謀であり、研究者としての倫理を大幅に踏み外した「重大かつ深刻な非道徳」だというのだ。
この批判は法学的には正しいのかもしれないが、アリスは実際にはどのような違法行為にもかかわっておらず、自分の心情(怒りと悲しみ)を率直に書いただけなのだから、言いがかりのようにも思える。すくなくともこれが、アリスの著作の価値を否定するようなものでないことはまちがいない。
ところが、この批判的な書評が掲載されたのをきっかけに、インターネット上に本書への大量のネガティブ投稿が溢れ、手がつけられない事態になっていく。いわゆる「炎上」だ。
アリスは、アメリカ社会には、中流階級の白人の若者は大学に、貧困地区の黒人の若者は監獄に行くような「分断」があることを告発したのだから、左派から批判される理由はどこにもないように思える。だが実際には、彼女の本が注目され、メディアで大きく取り上げられるようになると同時に、その著作に多くの歪曲や捏造が含まれているのではないかとの疑惑がくすぶりはじめた。
決定的なのは、著作の矛盾点を微に入り細を穿って追及した60ページ、3万語に及ぶ長大な批判文が匿名のアドレスから何百人もの社会学者に送られたことだ。そこには、開かれていないはずの少年審判にアリスが出席しているとか、死んでいるはずの人物が登場している、出席した葬儀の回数が異なっているなどが「捏造」の証拠として挙げられていた。
それに続いて、研究者やジャーナリストからも、「警察が病院で指名手配犯を逮捕している」「テーブルに銃を置いて容疑者を尋問した」などの記述に対して、事実でないか、大幅に誇張しているとの批判が現われた。
アリスはこの告発文に対していったん長文の反論を書いたものの、それを公表しても火に油を注ぐだけだと判断して掲載を取りやめた。さらに、インフォーマントを守るために、6年間書き溜めた膨大なフィールドノートを焼却していたことも明らかになった。その結果、「反論できずに逃げている」「証拠を隠滅した」とのさらに激しいバッシングを受けることになったのだ。――アリスの反論を読んだジャーナリストは「説得力のある説明がなされている」と述べ、フィールドノートの焼却は本の出版と同時に決めていたと説明されたが、なんの役にもたたなかった。
「なにひとつ不自由なく育った白人の若い女が、黒人コミュニティの恥を暴き、セレブになった」
なぜこのような騒ぎになったのか。その経緯について私は何本かの記事を読んだだけだが、問題は、インフォーマントを守るために匿名化の作業を行なったことにあるようだ。調査対象者が指名手配犯である以上、これは当然のことだが、そのため、どれが事実で、どれが匿名化による「創作」なのかわからなくなってしまった。
アリスはチャック、レジー、ティムの3人兄弟と親しくしていたが、彼らが住む家は祖父の所有で、シングルマザーのミス・リンダがまったく掃除をしないため、「小便と嘔吐物、煙草の吸殻の臭いが充満し、ゴキブリが好き勝手に天井や汚い家具をはい回っていた」と描写されている。これはこの黒人家庭の正確な描写なのか、それとも自宅を特定できないようにするための「創作」が入っているのだろうか。もし後者なら、そこには「だらしがない黒人」という偏見が紛れ込んでいる――という話になっていく。
本書に登場する黒人の若者たちは、多かれ少なかれ犯罪に手を染めている(だから指名手配から逃亡することになる)。刑務所にいる夫や恋人に会いに行く女たちも、囚人にこっそりとドラッグを渡して小遣い稼ぎをしている。本書に登場するのはシングルマザーばかりで、夫婦が揃った家庭はひとつも出てこない。こうしたネガティブな部分もためらわずに記述しているのが本書の魅力なのだが、しかしそれは「事実」なのか、それとも「偏見」によって歪められているのか。
こうした批判は一種の「悪魔の証明」で、反論や弁解をすればするほど泥沼にはまっていく。その意味でアリスの対応は仕方のないものだったのだろうが、それは同時に、批判する者たちに好きなようなレッテルを貼られることを意味した。
カリフォルニア大学の社会学者は、アリスの著作を「ジャングルブック」と評した。西洋人がアフリカのジャングルを探検し、もの珍しい動物や、興味深い「原住民」の風俗を面白おかしく描写するのと同じだというのだ。しかし、エスノグラフィーが部外者による観察である以上、すべてが「ジャングルブック」の要素を含んでいる。だとしたらこれは、エスノグラフィーという手法を使う社会学への全面的な否定ではないだろうか。
マイノリティの社会に入り込んで参与観察を行なう社会学者はたくさんいるのに、なぜアリスだけが大々的な「キャンセル」の標的になったのか。そこにはいろいろな要因があるだろうが、もっとも大きいのは、彼女の恵まれた出自や環境のように思われる。
アリスへの異常なまでの反感や憎悪を要約するなら、「なにひとつ不自由なく育った白人(ユダヤ系)の若い女が、黒人コミュニティに土足で上がり込んでその恥を暴き、セレブになった」だろう。そこにミソジニー(女性嫌悪)やアカデミズム内の嫉妬を見いだすこともたやすい。
キャンセルカルチャーは終わらない
アリスは本の印税をインフォーマントの家族と分け合っていて、たびたび「6番街」を訪ねており、本書の登場人物たちに歓迎される場面をジャーナリストが書いている。フィールドノートを燃やしたにもかかわらず「6番街」のインフォーマントたちはたちまち特定され、事実を検証したジャーナリストもいて、「本に書かれた内容はおおむね正しい(匿名化の作業を行なっているため事実と完全に一致することはない)」とされたが、そうした報道も焼け石に水だったようだ。
本の出版当時、アリスはウィスコンシン大学社会学部の助教授だったが、テニュア(終身在職権)を取得できず、2019年にカリフォルニア・クレアモントのポモナ・カレッジの客員助教授に移った。この採用にあたって、128名の署名者(「個人の安全」のために匿名)による抗議文が大学に送られたことが報じられている。
そこには「ゴッフマン氏の学術的な誠実さへの疑わしい評判、黒人男性の過剰な犯罪化、黒人女性の性的側面の過剰な強調をめぐる全国的な論争は、わたしたちが共有するコミュニティの価値と合致していない」「覗き見趣味的で非倫理的な研究を行ない、研究対象のコミュニティにアウトサイダー(部外者)としてかかわることの「位置」に無自覚な白人教員を採用することは、有色人種に対する有害な物語を強化するだけだ」など、典型的な「キャンセルカルチャー」の言葉が並んでいる。
黒人のストリートボーイズと6年にわたって交友し、彼らを「逃亡者」へと追い立てる司法や警察を告発したアリスは、いつしか「人種主義者(レイシスト)」の同類とされていった。アリスはこのカレッジに採用されたものの、やはりテニュアは取得できず、その立場は不安定なままのようだ。
なお、2015年にアリスが行なったTEDトーク「私たちがどのように子供たちを大学―または刑務所に送り込んでいるか」は日本語字幕版がネットに公開されており、それを観ると、なぜ彼女が「キャンセル」の標的にされたのかがなんとなくわかるだろう。
参考記事:Gideon Lewis-Kraus“The Trials of Alice Goffman” The New York Times Magazine(Jan.12,2016)
Colleen Flaherty“Past as Prologue” Inside Higher ED(April 25, 2017)
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