ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
アクセス8位は2021年4月8日 公開の「”類は友を呼ぶ”「経済格差」よりやっかいな「ネットワーク格差」」です(一部改変)。
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わたしたちは言葉を介して社会のなかでコミュニケーションする。同様に市場は、貨幣と商品・サービスを交換する複雑系のネットワークだ。このように現在では、世界を単純な数式で記述するのではなく、ネットワークとして把握しようとする試みがあらゆる分野で行なわれている。
「アメリカは人種によって分断されている」といわれるが、それはいったいどういうことなのか。ネットワークの科学はそれを明快に説明できる。
多様な人種の生徒が通うアメリカの高校の友だちネットワークを描くと、白人グループと黒人グループで2つの大きな島ができる。そこから計算すると、人種が同じ生徒同士では、人種がちがう場合よりも15倍以上、友だちができやすい。
友だち関係には濃淡があるだろう。そこで「放課後に街に出かける、週末いっしょに遊ぶ、電話で話す」などの「強い友だち関係」だけを抜き出すと、人種をまたぐ友だち関係はほぼすべて消えてしまう(この学校には255人の生徒がいるが、白人と黒人の「強い友だち」関係は数本しかない)。これが同類性(homophily)、すなわち「類は友を呼ぶ」効果だ。
社会的・経済的なつながりを研究する経済学者マシュー・O・ジャクソン(スタンフォード大学教授)の『ヒューマン・ネットワーク ヒトづきあいの経済学』(依田光江訳、早川書房)は、こうしたネットワークの科学のわかりやすい入門書になっている。
ひとはみな、自分と似たひととつき合いたがる性質をもっている
分断と同類性はコインの裏表の関係にある。ひとはみな、自分と似たひととつき合いたがる性質をもっている。こうして似た者同士が集まると、「自分たちと似ていない」集団とのあいだに分断が起きる。同類性は、ジェンダー(性別)、民族、宗教、年齢、教育レベル(大卒/非大卒)、婚姻関係、職業、現在の雇用状況(働いているか、失業者か)など、社会のあらゆるレベルで現われる。
ドイツの婚活サイトで10万人以上を対象に行なった調査では、女性利用者の初回のコンタクトメッセージは、学歴の似た男性に送る可能性が平均より35%高く、自分より学歴の低い男性に送る可能性は41%低かった。男性は年齢(若さ)など別の要素に注目するため学歴にはさほどこだわらないとされるが、それでもメッセージを送った割合は自分と同程度の学歴の女性が15%多く、自分より低い学歴の女性は6%少なかった。
一方、アメリカではオンラインデートの利用者は100万人にのぼるが、異性愛者でも同性愛者でも人種に強い同類性を示すことがわかっている。学歴など他の要素を補正したあとでもこの傾向は変わらない。
ひとはなぜ同類に惹かれるのだろうか。その理由のひとつは、同じ境遇を経験したひとの方が役に立つからだ。歯が痛いときは、盲腸の手術をした知人よりも、虫歯で歯医者に通っている知り合いにアドバイスを求めた方がいい。同様に(思春期前の)子どもたちは、同年齢で性別が同じ相手と友だちになろうとする。
もうひとつの理由は、同類といっしょの方が安心できるからだ。わたしたちはつねに他者の反応を予測しようとしているが、このとき予想外の反応をされると大きな不安を覚える。「わけのわからないことをする相手」は生存への最大の脅威なのだ。
それに対して同じ環境を共有している相手なら、どのようなふるまいをするか予測しやすい。家族や親せき、中学・高校の同窓生などとのベタな共同体から出たがらないひとがいるのは、見知らぬ他者が不安を与えるからだろう。
同類を好むのは保守的なひとたちだけではない。シリコンバレーのパロアルト(アップルの本社所在地)では住人の13%が博士号をもっており、しかもこの数字は、教授などが多く住むスタンフォード大学周辺は入っていない。
シリコンバレーの同類性はイノベーションの源泉でもある。地元のカフェで最新のテクノロジーについての会話が聞こえてくればつねに刺激を受けるし、会話に入って新しい知り合いができるかもしれない。こうした「知的ネットワーク」があると、伝手をたどって会社から会社へと転職できるから一種の雇用保障にもなる。
シリコンバレーは家賃がとてつもなく高く、公共交通機関も歓楽街もなく、けっして住みやすいとはいえないが、それでも世界じゅうから天才たちを引きつけるのはこのネットワーク効果があるからだ。
同類性の「負の外部性」が社会を分断する
同類性にはポジティブな影響(正の外部効果)があるが、同時にそれが分断をも引き起こす。とはいえ、ヒトはみな「差別主義者」というわけではない。
2005年にゲーム理論でノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングは、自分と異なる人種が隣にいることを嫌う「差別」ではなく、たんに自分と同じ人種の世帯が最小限いることを願っているだけで、ホワイトフライト(白人の郊外への転出)のような社会の分断が起きることを証明した。
「近所(隣接する8世帯)のすくなくとも3分の1は自分と同じ人種であってほしい(自分が圧倒的な少数派にならなければいい)」というかなり寛容な基準を用いても、異なる人種が半分になると2つのグループに「分断」されてしまう。現実には、黒人の転入者が5~20%のあいだで白人たちは出ていってしまった。
外部性は「ある人のふるまいが他者の幸福に影響すること」で、ネットワークでは正の方向にも負の方向にも強い外部性が生じる。みんながワクチンを接種するのが「正の外部性」で、基本再生産数が1を下回れば感染は収束する。それに対して「負の外部性」では、もともとは小さな好みの偏りがネットワーク効果によって増幅され、共同体を分断してしまう。
近年では、インターネットやSNSによって負の外部性がさらに強力になっている。研究によれば、インターネットに接続されていないときと、完全に利用可能になったときとを比べると、その地域の政治の二極化が22%拡大した。インターネットアクセスの増加は偏ったニュースの追随者を増やし、社会の分極化につながるのだ。
インターネットの利用が増えるほど投票率が高まり、政党の力関係を変化させるが、ふつうのひとが「極右」や「極左」に変貌するわけではない。SNSは、「すでに強硬な意見をもっている人たちを勢いづける」ようなのだ。どうやら、「ほかの人も自分と同じような考え方をしていると、人は自信を得て、その考えを共有している人がほかにもおおぜいいると過大評価する傾向がある」らしい。
経済格差の根源にあるネットワーク効果
経済格差の拡大(不平等)は、ネットワークの科学では「非移動性」で説明される。これは、「本来なら大きな生産性を発揮できたであろう人が非生産的な役割に閉じ込められ、社会全体の生産性を落としてしまう」ことだ。
非移動性の指標が「世代間所得弾力性」で、親の優位性が世代を超えてどれだけ受け継がれるかを示す。0だと「完全な移動性」で親の所得と子どもの所得になんの関係もなく、1は「完全な非移動性」で親の所得と子どもの所得は同じになる。すべての社会は0から1のあいだのどこかに位置する。
データを見ると、世界でもっとも不平等なのはペルーで、世代間所得弾力性は0.7だ。アメリカの弾力性は0.5を少し下回り、日本はドイツ、ロシアなどと同じ0.3~0.4程度で中の下くらいに収まっている。もっとも弾力性の低い(格差が少ない)のはデンマーク、ノルウェー、フィンランドなど北欧諸国だ。
アメリカンドリームは成功の機会がすべてのひとに開かれていることだが、現実のアメリカ社会は所得、教育、資産のどれをとっても、寿命ですら親子の相関関係が非常に高く、日本よりも努力による成功が難しい国になっている。
経済格差の指標として使われるジニ係数では、0が完全平等(全員の富が同じ)、1が完全不平等(1人がすべての富を独占する)だ。横軸に非移動性(世代間所得弾力性)、縦軸に不平等(ジニ係数)をプロットすると右肩上がりの分布になり、非移動性が高いほど格差が大きいことがわかる。
スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』では、卑しい身分に生まれたものの若くして大きな富を得たギャツビーが、初恋の女性で上流階級出身のデイジーと結ばれようと苦闘する。ここから、社会階層を超えることの難しさを表わすこのグラフは「グレート・ギャツビー曲線」と呼ばれている。
小さくて同質的な国(デンマーク)と大きくて同質的でない国(アメリカ)を比較すると、他のすべての条件が同じであれば、小さくて同質的な国の方がおおむね不平等も非移動性も低い(格差が小さい)。アメリカの経済格差の一部は、人種的な多様性とGDPの大きさから説明できる。これも「不都合な事実」だろうが、「経済が多様化するほど、非移動性と不平等もともに高くなる」のだ。
ゆたかな家に生まれた子どもが社会的・経済的に成功するのは、相続などで富が世代を超えて移転するというよりも、遺伝、教育、友だちネットワークなどの効果の方がはるかに大きい。ジャクソンは、不平等(経済格差)はさまざまな社会問題の原因ではなく結果だという。真の原因は「同類性によってかたちづくられ固定された情報や規範のネットワーク」が機会や行動を制約することであり、「非移動性の背後にある同類性への圧力」こそが根源なのだ。
ジニ係数は非常に平等な社会で0.25、極端に不平等な社会で0.7の範囲に収まるが、狩猟採集社会でもジニ係数は高い。
カナダ、ブリティッシュ・コロンビアのインディアンでは、良質の漁場や狩場を支配する一族は、少し離れた場所に住む一族よりも多種類の食物をふんだんに貯蔵し、寝る場所も広く、料理や暖房に使う炉も大きかった。さまざまな牧畜社会を調査した人類学者によると、土地と家畜の保有から見たジニ係数は平均でも0.4から0.5とある程度高く、全体では0.3から07の範囲に広がっていた。不平等は何千年も前からあったのだ。
人気者がもっているネットワークのパワー
ネットワークの科学が進歩することで、中央集権型や分散型など複雑な人間関係をプロットし「見える化」できるようになった。そこで重要になるのが「次数中心性」「固有ベクトル中心性」「拡散中心性」だ。
次数中心性は「友だちの人数によるパワー」で、たくさんの友だちをもっているほど高くなる。いわば「人気度」で、学校でも会社でも彼ら/彼女たちの次数中心性は高い。
固有ベクトル中心性は「間接的な友だちによるパワー」で、人気のある友だちとつながっているかどうかだ。あなたに次数中心性が極端に高い友だちがいると、それだけで大きな影響力をもてるかもしれない。これは一般に「フィクサー」と呼ばれる。
拡散中心性は「噂を拡散するパワー」で、3次の友だち(友だちの友だちの友だち)の人数で測られる(それ以上遠い友だちは噂に関心をもたなくなる)。拡散中心性が大きいほど、強力な「メディア」として機能する。
「フレンドシップ・パラドクス」とは、どんなコミュニティでも、そのなかで「友だちの人数によるパワー」が強い人気者が突出して大きな(不均衡な)存在感と影響力をもつことだ。
「みんな自分よりたくさん友だちがいる」と思ったことはないだろうか? だがこれは事実ではなく、あなたがたんに(友だちがたくさんいる)人気者とつながっているだけのことだ。友だちが10人いれば、友だち5人より2倍多く友だちとして数えられる。たくさん友だちがいる人気者は、集団の人数に占めるより何倍も多く友だちリストに登場し、強い存在感を放つのだ。
子どもはよく、「学校ではみんなもってるのに……」「友だちはみんな親が認めてくれているのに……」と文句をいう。だがこれも統計的な事実ではなく、一部の人気者を基準にしている可能性が高い。同じ学年でもクラスの雰囲気がまったくちがうのは、生徒たちが周囲の考えや行動に従う傾向をもっているからで、ネットワーク効果によって、多数派の生徒は自分たちの行動を人気者に合わせるようになる。
中学校では、友だち関係が増えるたびに、生徒が喫煙しはじめる可能性が5%増え、自分を友だちだといってくれる生徒が5人増えると飲酒の確率が30%上がる。
わたしたちは無意識のうちに、もっとも社交的な仲間から突出して強い影響力を受けている。典型がSNSのインフルエンサーで、フォロワー数の多い一部のユーザーの嗜好に過度に合わせた意見や考え方が形成される。だが高い人気をもつ彼ら/彼女たちの行動は、一般ユーザーとは大きくちがう可能性がある。
聖書『マタイによる福音書』には「持てる者はますます富み、持たざる者は持っているものまで取り上げられるだろう」とのことばがある。この「マタイ効果」はネットワーク理論では、「優先結合」と呼ばれ、最初に友だちの数が多いと誰よりも早く「友だちの人数によるパワー」を獲得できるし、それによってネットワークの中心を確保すれば、集団のメンバーにとって「もっとも会いやすいひと」となり、新しい友だち関係を築きやすい。
このマタイ効果によって、人気者は「友だちの人数によるパワー」だけでなく、「間接的な友だちによるパワー」「噂を拡散するパワー」さらには「仲介者としてのパワー」まで獲得し、ネットワーク(学校や会社のコミュニティ)を支配することになる。これは乗数効果ともいい、それによって集団のなかの「友だち格差」が急速に拡大していく。
ネットワークのパワーと影響力は、学校の生徒同士のような、同等の仲間という環境でもっとも純粋に発揮される。こうして子どもたちは、学校内での「評判」で序列が決まる理不尽なゲーム(スクールカースト)に放り込まれることになる。
友だちの数が多いのはほとんどの場合よいことだが、ときには裏目に出ることもある。感染症(パンデミック)の研究では、集団のなかでもっとも感染しやすいのは(友だちの多い)人気者であることがわかっている。
不平等を拡大するのは資本格差(ピケティ)ではなく、労働所得の格差
ここまで述べてきたように、人間のネットワークには格差を拡大させ、社会を分断させる傾向が内包されている。これにテクノロジーの進歩やグローバリゼーションなどの要因が重なり、社会活動から脱落してしまうひと(その多くは低学歴の中高年男性)が増えてきたことが世界的に大きな問題になっている。
同じ作業をするのに、現代では1980年代後半のわずか40%の労働しか必要とされない。アメリカの農業従事者は、19世紀初頭の人口の約70%から現在の2%付近にまで減少した。だがこれは、自由貿易(グローバル資本主義)が引き起こしたわけではない。1999年から2011年のあいだにアメリカの製造業で失われた職のうち、中国からの輸入増加によるものは10%から20%にすぎず、大部分はテクノロジーの変化によるものだった。
アメリカでは大卒と非大卒の収入格差は1950年代で50%だが、現在ではおよそ100%(2倍)に広がった。大卒就労者の所得が増加し、高い学歴をもたない就労者の所得が低下したのだ。中間層が担ってきた仕事が失われる一方で、設計やマネジメントなど高レベルのスキルを必要とする業務と、高い教育や経験が備わっていなくても働ける日常業務の両極端で労働需要が伸びている。
トマ・ピケティは『21世紀の資本』( 山形浩生、守岡桜、森本正史訳、みすず書房)で資産効果による不平等を指摘したが、これは多額の株式や不動産を保有するトップ1%の話で、その下の層の「格差」は労働所得のちがいからきている。トップ1%の賃金は1970年代初頭の2.5倍以上に増え、トップ5%は倍増、トップ10%では4.5倍以上に増えた。しかし下位60%では、同じ時期の賃金上昇率は3割程度にとどまっている。不平等の拡大は、人口の大きな部分を占めるグループの相対賃金の変化から説明できるのだ。
20代後半の大学卒業者の割合は、アジア系が72%と驚くほど高く、白人54%、アフリカ系32%、ヒスパニック27%となる。この大きな差を生むメカニズムは複雑で、「家庭の所得、民族、親の学歴、文化、コミュニティの雰囲気」などが互いに関連している。
ここで興味深いのは、「低所得層の子どもは貧しいから大学に行けないわけではない」との指摘だ。アメリカの高等教育のコストがきわめて高いのは間違いないが、これはいわば「店頭表示価格」で、これをそのまま支払っているのはすべての学生の3分の1に過ぎない。さまざまな助成金や研究補助金、奨学金その他の支援制度があるからで、アメリカの4年生私立大学の平均見積もり費用(生活費を含む)は年4万4000ドルだが、実際に支払われた平均額は2万6000ドルだった。
こうした支援制度は、世帯所得が低い学生ほど手厚くなる。4年生公立大学では、所得の高い方から4分の1の層が実際に支払った授業料および諸経費の平均は年6330ドルだが、所得の低い方から4分の1の層では「マイナス」2320ドルだった。この「マイナス」は、低所得層では授業料や諸経費を上回る助成を受けて、年25万円(月額2万円)程度を生活費に回していることを示している。
その結果、所得によって大学の選択が制限されるのはアメリカの家庭の8%以下にすぎない。問題は「経済格差」ではなく、それを生み出すネットワーク効果のちがいなのだ。
ネットワーク環境を変えれば子どもは変わる
「時代遅れになった機械は捨てたりリサイクルしたりできるが、時代遅れになった労働力を社会はどうすればいいのだろう」とジャクソンは問う。元凶がネットワーク効果である以上、富裕税やMMT(現代貨幣理論)などお金の分配方法ばかり議論しても意味がない。重要なのは「非移動性と不平等を拡大再生産しかねない基本的な社会構造」を改善することだ。
そこで最後に、「家庭の幸福が地域にどう影響するか」を調べるために1990年代に行なわれた「機会への移住実験プログラム」を紹介しよう。
実験に参加したのはアメリカ各地(ボルチモア、ボストン、シカゴ、ロサンゼルス、ニューヨーク)の公共住宅に住む4600家族で、次の3つのグループにランダムに割り振られた。
- 家賃補助券を受け取るが、それはより貧困度が小さい(いまよりもゆたかな)地域でしか使えない。このグループは、家賃補助を受けるためにはもうすこし富裕な地区に引っ越さなければならない。
- どこでも好きなところで使える家賃補助券を受け取る。同じ地域にとどまることができたので、ほとんどは家賃を節約するだけで引っ越さなかった。
- 家賃補助券を受け取れない対照群。
その後、アメリカ国税庁による納税データと合わせて、子どもの育った場所が収入や人生にどう影響するかが追跡調査された。それによると、条件付き家賃補助券をもらって引っ越したグループの(転居時点で13歳以下だった)子どもは、20代半ばに達したときの収入が、補助券をもらえなかった対照群の子どもより約3分の1以上高くなっていた。転居時点で8歳だった子どもが受けた利益は、生涯収入で30万ドルと見積もられている。同様に、大学に進む確率が6分の1高く、通う大学のランクは大幅に上がり、貧しい地域に住んだり、子どもの誕生時にひとり親になる確率は小さかった。
それに対して、どこでも使える(より有利な)家賃補助券を受け取ったグループでは、なにももらえなかった対照群と比べてさほど大きな利益は得られなかった。より正確には、対照群より改善はしたのだが、そのプラス面のほとんどはわざわざ富裕な地域への引っ越しを選択した世帯の子どもたちがもたらしたものだった。子どもの将来に影響を及ぼしたのは経済的支援ではなく、子どものネットワーク環境を変えることだったのだ。
「ネットワーク格差」についての議論は始まってもいない
ひとはみな、住んでいる地域やコミュニティから大きな影響を受けている。どの大学に進んだかを考慮に入れない場合、低所得家庭と高所得家庭の卒業生の所得の中央値には25%の開きがあるが、同じ大学、同じ科目で比較するとこの差は10%に縮まる。
ダートマス大学では、学生の就職は、新入生のときからの寮友の就職率と相関していた。寮友たちが無職から就職済みに変わると、本人の就職率は平均的な学生と比べて24%上がる。寮友たちが1ドル多く稼ぐごとに、本人の収入は26セント増えた。寮友たちの状況が変わると、これに呼応して、就職や給与の約4分の1に変化が見られた。
転職にあたっても、よいネットワークをもっていることはきわめて重要だ。なぜなら雇用者にとって、いまいる従業員の友だちこそが探している種類の人物だから。ジャクソンは、「特定の種類のソフトウェアを設計できるプログラマーを見つけるのに、現在すでに関連ソフトウェアをつくっているプログラマー以上にあなたに役立つアドバイスができる人がいるだろうか」と述べる。
さまざまな社会問題が「ネットワーク格差」から生まれるとしたら、どのような政策が考えられるだろうか。
誰もが思いつくのは「ネットワークの機会を平等にする」だろう。たしかにイスラエルのキブツ(生活共同体)のようなコミューンで子どもを育てれば、強制的に格差は縮小するだろう。だが、マルクス主義的なコミューンの理想がうまくいかないことは歴史によって証明されている。
一部のリベラルに人気のあるベーシックインカム(最低所得保証)も、非移動性の根底にある不公平で非生産的な機会格差には対応できない。理想主義者は同意しないだろうが、「社会を望みどおりの方向へ動かそうとする大規模なソーシャル・エンジニアリングには大失敗の歴史が満ちているし、みなを同じように機会に向かって進ませることはできない」のだ。
こうしてジャクソンは、「人のネットワークを理解してこそ私たちは、接続性の向上を、社会を分断させる災難ではなく、集合知と生産性の向上に役立つ恩恵として活用していけるのだ」というきわめて穏当な提言で本書を締めくくる。「経済格差」については議論百出だが、よりやっかいな「ネットワーク格差」についての議論はまだ始まってもいないのだ。
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