日本でも海の向こうでも、SNSが社会を分断させているとの声が強まっています。しかしこれには異論もあり、「特定の政治課題で意見が分かれているだけで、有権者の多数派はむかしもいまも中道だ」との調査もあります。とはいえ、SNSの内部では分断(というより罵り合い)がますます強まっていることは間違いないでしょう。
興味深いことに、「分断が深まれば深まるほどものごとがうまくいく」ということがあり得ます。
アメリカでは、黒人が警官に射殺されるたびに大規模な抗議デモが起きています。人種問題はもっともひとびとの感情を煽るので、こうした事件を記述したWikipediaのページは大混乱になると思うでしょう。ところが専門家によると、政治的に敏感なトピックほど説明は詳細かつ正確になり、政府や司法機関の報告書に匹敵するものもあるといいます。
2014年、ミズーリ州ファーガソンで18歳の黒人青年が白人警官に射殺された事件では、警官が無罪になったことへの抗議デモが暴動に発展し、夜間外出禁止令が発令される事態になりました。この事件についての英文のWikipediaの記述は、事件の背景、分単位の事件経過と発砲時の位置関係の図解、現場検証や検視結果、警官・目撃者の証言、裁判の経緯やその後の民事訴訟まで、A4判で30ページ以上にもわたって記述されています。
なぜこんな詳細なページが実現したのでしょうか。それは、執筆者が政治イデオロギーによって対立しているからです。
民主党寄りの執筆者は、「警察=悪/黒人=被害者」という構図を描きがちです。それに対して共和党寄りの執筆者は、「警察官は(犯罪者を取り締まるという)職務を執行しただけだ」と考えるでしょう。この時点で、双方に妥協の余地はどこにもありません。
ところが両者が同じ事件について書こうとすると、厳密なルールに拘束されていることに気づきます。「発砲した警官はレイシストに決まっている」とか、「相手は犯罪者だったにちがいない」などの記述は、たちまち相手側に削除されてしまうのです。Wikipediaでは、「いかなる記述も証拠(エビデンス)に基づいていなければならない」と決められているからです。
そうなるとどちら側も、相手の主張を打ち破ろうとすれば、それを上回る証拠を探し出してこなければなりません。このようにして報道だけでなく、警察発表や裁判で提出された資料まで徹底的に調べつくされ、専門家を驚かすようなレベルに到達するのでしょう。執筆・編集のガイドラインが、いわば党派対立をスポーツ(一定のルールの下でお互いが全力でぶつかり合い、相手を叩きのめす闘い)にするように巧妙につくられているのです。
ここまでは素晴らしいことですが、すでにお気づきのように、この仕組みを普遍化して、SNS全体を“闘議のアリーナ”に設計することはほぼ不可能です。その結果、今日も、明日も、さまざまな政治的トピックをめぐって、なんの生産性もない罵詈雑言でSNSの言論空間が埋め尽くされることになるのでしょう。
参考:イアン・レズリー『Conflicted(コンフリクテッド) 衝突を成功に変える方法』橋本篤史訳、光文社
『週刊プレイボーイ』2022年8月22日発売号 禁・無断転載