3月19日発売の文庫『不条理な会社人生から自由になる方法 働き方2.0vs4.0』(親本は『働き方2.0vs4.0 不条理な会社人生から自由になれる』)の文庫版あとがきを、出版社の許可を得てアップします。電子版は23~25日の配信開始です。
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近年、欧米を中心にミレニアル世代のあいだで影響力を増しているのが、ミニマリズムとFIRE(経済的に独立し早期リタイアする)です。アメリカ西海岸などのリベラルな富裕層のライフスタイルは、BOBOS(ブルジョア:Bourgeois+ボヘミアン:Bohemians)と呼ばれることもあります。
FIREが目指す経済的独立(FI)は、会社に依存しなくてもいいだけの金融資産をできるだけ早く貯めることで、その目標はだいたい100万ドル(約1億円)です。“億り人”になれば、パワハラの上司や足を引っ張ろうとする同僚、責任を押しつけてくる無能な部下に煩わされることなく、自由な人生を生きることができると考えているのです。
とはいえ近年は、早期リタイア(RE)は仕事からの引退ではなく、好きな仕事で長く働くことに変わってきました。現代社会において、もっとも確実に「自己実現」する方法は職業的達成です。大人になってからの人間関係はほとんどが
仕事を介したものですから、いったん「リタイア」してしまうと、金融資本は持っていても、人的資本も社会資本もすべて失ってしまいます。貯蓄を食いつぶすだけで誰からも評価されないのでは、有意義な人生を送るのは難しいでしょう。
「生涯現役」や「生涯共働き」という言葉も当たり前に使われるようになりました。「なにを机上の空論をいっているのか」と批判された頃に比べれば、日本社会も確実に変わりつつあります。
専門的なスキルを使って「生涯現役」で働けば、年収300万円としても、60歳から80歳までの20年間で6000万円、「生涯共働き」なら総世帯収入は2人で1億円を超えます。一方、定年退職者は年金以外の収入はゼロです。日本でも経済格差が社会問題になっていますが、ほんとうの「格差」は65 歳以降に生じるという当たり前の事実(ファクト)に、これから誰もが気づくことになるでしょう。
ミニマリズムは必要最小限のモノだけのシンプルな暮らしで、FIREは必然的にミニマリストでもあります。なぜなら、お金を使うとお金は貯まらないから。デジタル・ミニマリズムというのもあって、こちらは「スマホ断ち」などでSNSなどから距離を取ることをいいます。
ミニマリズムの背景にあるのは、大衆消費文化(モノ)やデジタル化(情報)によって脳の報酬系をハックされているという恐怖感でしょう。企業にとっては、いったん報酬系をロックインしてしまえば、消費者を自社の商品・サービスの「依存症」にできます。どんなに倫理的な企業でもこの誘惑を拒否できるはずはなく、AI(人工知能)とビッグデータを使って収益を最大化しようとすれば、必然的に脳をハッキングするビジネスモデルができ上がるのです。
テクノロジーの最先端を行くシリコンバレーで、ミニマリズムと並んでストア哲学やマインドフルネス(仏教)が流行しているのは、自分の脳が日常的にハックされていることに気づいている(あるいは自ら開発している)からでしょう。
ミニマリストの生活をしながらFI(経済的独立)を実現し、それでもカジュアルな暮らしを続けるとBOBOSになります。彼ら/彼女たちは、フリーエージェントとして働く「成功したミニマリスト」です。
AI(人工知能)が囲碁や将棋で人間を超えたと大きな話題になりましたが、シンギュラリティ大学の創設者の一人であるピーター・ディアマンディスは、AIのような単独の技術が世界を変えるのではなく、驚異的なイノベーションは、さまざまな分野で開発されたテクノロジーが「融合(コンヴァージェンス)」することで生まれるといいます。
テクノロジーが指数関数的に進歩し、さまざまな分野で融合することで、これからの10年で世界は大きく変わっていくでしょう。そんななか、旧来と同じルールに従っていては脱落するだけだとの不安が広がるのは当然です。こうして、システムをハックすることでFIを実現しようとする若者が増えています。
これらの社会現象は、すべてつながっています。それをひと言でいうならば、「ハックされるな、ハックせよ」になるでしょう。ますます高度化する一方の知識社会で「自分らしく生きたい」と思えば、世界の若者たちの人生戦略はひとつに収斂していくようです。
2022年2月 橘 玲