リベラリズムの基準のひとつに「パレート効率性」があります。簡潔にいえば、「集団内の誰の効用(幸福度)も犠牲にすることなく、少なくとも一人の効用を高められるなら、そのような改革は正当化できる」となります。
夫婦別姓の議論では、「赤の他人がどんな苗字を名乗ろうが自分にはなんの関係もない」とリベラルは考えます。同性婚も同様で、同性同士で婚姻関係になることで効用が高まるひとがいる一方で、自分はなんのコストも払わないのなら、「ご自由にどうぞ」ということになります。
それに対して保守派は、夫婦別姓や同性婚を認めると、日本の文化や伝統、家族制度が破壊され、社会全体が大きなコストを払うことになるのだといいますが、こうした主張はどんどん説得力を失っています。近年、あらゆる世論調査で、夫婦別姓や同性婚を支持するひとが多数派になっているように、「自分らしく生きる」という意味でのリベラル化は日本でも急速に進んでいるのです。
同じパレート効率性の論理で、リベラルは安楽死にも賛成するでしょう。赤の他人がなんらかの理由で自分の人生を終わらせる選択をしたとしても、そのことで自分が支払うコストは(ほぼ)ゼロだからです。これが、「死の自己決定権」を支持する根拠になります。
日本では(自称)リベラルが安楽死の法制化に頑強に反対し、「生きる希望を捨ててはならない」と唱えていますが、こうしたパターナリズム(おせっかい)は、現在では保守主義や共同体主義(コミュニタリアニズム)と見なされるでしょう。リベラリズムは、他者の自由意思への介入を最小限にとどめる政治的立場です。
それに対して左派(レフト)や急進左派(プログレッシブ)は、「社会正義を実現するためなら、集団内の誰かにコストを負わせることをためらうべきではない」と考えます。こうした活動家は、SJW(社会正義の闘士:social justice warrior)とも呼ばれます。
このちがいがよくわかるのが、サンフランシスコで起きた教育委員会のリコール(解職請求)騒動です。
その背景には、コロナ禍を理由に1年以上にわたってオンライン授業を続ける一方で、ワシントンやリンカーンら歴代の大統領などの名前に由来する公立学校に対して、過去に人種差別や女性差別にかかわった人物だとして、校名の変更を求めたことがあるとされます。
しかしそれ以上に問題視されたのは、エリート公立高校の入学者にアジア系が過半数を占めるのは「人種平等に反する」として、入学方法を学力重視から抽選制に変更しようとしたことでしょう。これに中国系などアジア系の市民が反発し、圧倒的多数で解任が確実になったと報じられました。
入学試験から抽選制への変更は、黒人やヒスパニックの生徒の効用を高めるでしょうが、その一方で、学力の高いアジア系の生徒の効用を毀損します。これはパレート効率性の原則に反するので、リベラルは受け入れることができません。
このようにしていまでは、リベラルは保守派だけでなく、左派の「目覚めたひとたち(Woke)」とも対立するようになったのです。
参考:「米の教育現場、対立の舞台に 加州で教委メンバー解任」日本経済新聞2022年2月17日
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