大阪北新地のビルに入居する心療内科のクリニックが放火され、25人が死亡した惨事(21年12月)は、重度の火傷を負った容疑者(61歳)が事情聴取できないまま死亡したことで、動機などの全容解明が不可能になりました。
その後の報道によると、容疑者は腕のいい板金工として働き、1985年に看護師の女性と結婚、2年後に新築の家を建てて妻と息子2人とともに約20年間この家で暮らしていました。ところが2008年に離婚、翌年、元妻に復縁を申し込んだものの断られ、やがて仕事も辞めてしまいます。そして11年4月、包丁計3本や催涙スプレー、ハンマーなどを持って元妻宅を襲い、居合わせた長男を出刃包丁で殺そうとしたとして逮捕、懲役4年の実刑判決を受けます。
大阪地裁の判決では「寂しさを募らせて孤独感などから自殺を考えるように」なり、「死ぬのが怖くてなかなか自殺に踏み切れなかったため、誰かを殺せば死ねるのではないか」と考えたとされています。
出所後は仕事に就くこともなく、父親から相続した文化住宅に暮らし、自宅を賃貸に出して家賃収入を得ていましたが、借り手がつかなくなったことで経済的に困窮。生活保護を申請したものの認められなかったことから、ふたたび自殺を考えはじめたと思われます。標的が家族から約3年間通った心療内科に変わっただけで、「他者を巻き添えにして死ぬ」という計画はまったく同じです。
この事件が難しいのは、どうしたら防ぐことができたのかがわからないことです。「拡大自殺」の難を逃れた元妻や子どもたちからすれば、出所後の容疑者を受け入れるのはあり得ないでしょう。容疑者に自殺願望があるからといって、いつまでも刑務所に留めておいたり、精神科施設に強制入院させることもできません。銀行口座の残高がゼロになったといっても、2軒の家を所有していて生活保護を認めることは難しいでしょう。
こうして「社会に居場所がなかった」という話になりますが、容疑者の(おそらく)唯一の話し相手だったクリニックの院長は、逆恨みされて生命を奪われてしまうのですから理不尽としかいいようがありません。この状況で、誰がどのような「居場所」を容疑者に提供すればよかったのでしょうか。
この事件が社会を動揺させたのは、容疑者と同じように「どこにも居場所がない」中高年男性が(ものすごく)たくさんいることにみんな気づいているからでしょう。もちろん孤独だからといって犯罪を実行するわけではありませんが、高齢化が進むにつれて母数は確実に増えていきます。
人口動態は大きく変化することはないので、2030年の日本は国民の3分の1が65歳以上の「高齢者」になることがほぼ確実です。歳をとるほど「成功者」と「失敗者」の格差は開いていきますから、「新しい資本主義」がなにをしようとも、居場所のない男たちが社会にあふれることは避けられそうにありません。
それを考えれば、これからも「下級国民のテロリズム」が突発的に起きることを覚悟するほかないのかもしれません。
参考:「25人犠牲 孤立深めた末に」2022年1月18日「朝日新聞」
【追記】このコラムの掲載3日前に起きた埼玉県ふじみ野市の医師射殺事件も、状況は異なるものの、「下級国民のテロリズム」の一形態なのでしょう。
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