米軍がアフガニスタンから撤退し、イスラーム原理主義組織タリバンが全土を掌握したことで、2001年10月の空爆以来20年続いた戦争はアメリカの「敗北」に終わりました。
米大学の試算では、アメリカがこの戦争に投じた費用の総額は2兆2600億ドル(約250兆円)で、20年間、毎日3億ドル(約330億円)を費やしたことになります。これをアフガニスタンの人口4000万人で割れば、1人当たりGDPがわずか500ドル(約5万5000円)ほどのこの国で、1人5万6000ドル(約600万円)を配ることができました。
それに加えて、これまで2500人の米国軍人、4000人ちかくの米国民間人、10万人を超えるアフガニスタンの軍・警察関係者や民間人が死亡しています。このとてつもない損害に対し、得たものはさらなる混乱だけなのですから、すべてが最初から間違っていたと考えるほかありません。
なぜアメリカは、ベトナム戦争以降つねに失敗しているのか? それは日本占領の成功体験が大きすぎるからでしょう。
9.11同時多発テロのあと、ニューヨークに滞在していて、毎日ニュース番組でブッシュ(子)大統領の演説を聞きながら不思議に思ったことがあります。大統領は米国民に向かって、日本を引き合いに出し、「かつての敵国がいまでは最良の友人になったように、アメリカの介入によって、イラクもアフガニスタンもリベラルデモクラシー(自由民主政)の国に生まれ変わる」と力説していたのです。
しかし、1940年代の日本と、イラク、アフガニスタンでは条件があまりにもちがいます。
日本が近代化に成功して欧米と並ぶ「帝国」になったのは、明治時代に国民国家(「日本民族」という想像の共同体)の確立に成功したからです。日本社会にもマイノリティとして排除される集団は存在したものの、ほとんどの国民は、自分が「日本人」だと当たり前のように考えていました。
それに対して、イラクはイスラームのスンニ派とシーア派が対立し、それにクルドという民族問題が加わって、「国民(イラク人)」という意識は希薄でした。山岳地帯のアフガニスタンは多数の部族に分かれており、それを植民地時代のイギリスが、ロシアの南下を抑えるために便宜的に「国」の体裁を整えただけです。
さらに戦前の日本では、1910~20年代にかけて「大正デモクラシー」と呼ばれるリベラルな文化・政治運動が盛り上がりました。敗戦は45年ですから、30代以上の国民はこの体験を覚えていて、占領軍がなにを求めているかをすぐに理解できたでしょう。自由主義や民主政は、当時の日本人にとってけっして奇異なものではなかったのです。
前提となる条件がこれほどちがえば、軍事的な占領が自動的に同じ結果を生み出すと考える方がどうかしています。この程度のことは、日本なら歴史に興味がある高校生だってわかるでしょう。
現在の無残な事態は、ブッシュ以降の政権の失政というより、歴史学者や軍事専門家を含むアメリカのエリート層の無知と傲慢によってあらかじめ運命づけられていたのです。
参考:「アフガン戦争のコストは20年間で「250兆円」、米大学が試算」Forbes Japan2021年8月17日
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