ずいぶん前の話だが、那覇から東京に戻る最終便が大幅に遅れて、羽田空港に着いたときは公共交通機関の終電はとうに終わっていた。しかたがないのでタクシー乗り場に行くと、案の定、長蛇の列ができている。
列の先頭で拡声器をもった係員が、「ここで待っていても車は来ません。自分で手配してください」と叫んでいた。そのとき不思議に思ったのは、列に並んでいたひとたちがまったく動こうとしないことだ。
たまたまタクシーの共通チケットをもっていたので、そこに載っている番号に順に電話してみた。2件目の会社で運よく空港に向かっている車が見つかって、10分ほどで乗ることができた。その間、タクシー乗り場に車は1台も来なかった。
そのとき思ったのは、私のようにタクシー会社に電話する者がいれば、空港に向かう車はすべて押さえられてしまうのではないかということだった。だとしたら、列に並んでいるひとたちはいつまで待つことになるのだろうか。
近所のスーパーに自動レジができたときも、似たような体験をした。
最初の頃は自動レジはがらがらなのに、数を減らされた対面レジには長い列ができていた。自動レジにはスタッフが待機していて、使い方がわからなければ親切に教えてくれるのだから、なぜわざわざ時間のかかる対面レジに並ぶのだろうか。
そのスーパーでは1階が雑貨、地下が食料品で、どちらでも精算できるようになっていた。あるとき、雑貨を買いにいったらレジスターが故障したらしく、1つのレジに長い列ができていた。そこでエスカレーターで地下に降りて、がらがらの自動レジで精算し、1階に戻ったら列はさらに長く伸びていた。
この奇妙な現象について考えてみると、多くのひとはそもそも問題解決に興味がないのではないだろうか。なぜなら、自分で判断することにはコストとリスクがともなうから。
近年の脳科学では、認知的資源はきわめて貴重なので、ひとは無意識にそれを節約しようとしていると考える。なにか問題が発生したときに、もっとも確実でコストが低いのは、ほかのひとを真似ることだ。なぜなら、たくさんのひとが同じ問題に直面して考えた結果だから。
これは一種の集合知で、たしかに理にかなっている。個人の乏しい知識と情報で思いついた解決策よりも、多くのひとが試行錯誤してたどり着いた解答の方が正しいことは間違いない。
これなら、タクシーの来ない乗り場に長い行列ができる理由も説明がつく。並ぶのはみんながそうしているからで、自分からタクシー会社に電話しないのは、誰もそんなことをやっていないからだ。そのうえ「みんなと一緒にいる」ことに安心感があるのかもしれない。
だがこの原則をすべてに適用すると、簡単に解決できることに膨大なコストをかける事態にならないだろうか。まあ、行列することをコストと感じないひともいるだろうから、私がとやかくいう話ではないだろうが。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.98『日経ヴェリタス』2021年9月4日号掲載
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