出版社の許可を得て、新刊『無理ゲー社会』の「あとがき」を掲載します。昨日発売で、すでに書店さんには並んでいると思います。電子書籍も同日発売です。
**************************************************************************************
めったにないことだが、中学3年生から手紙をもらった。大阪の中高一貫公立校の男子生徒で、卒業レポートを書くために私の著書を読み、「上級国民」「下級国民」の定義を教えてほしいのだという。すこし考えて、次のような返事を書いた。
上級国民 知識社会・評判社会において、「自分らしく生きる」という特権を享受できるひとたち
下級国民 「自分らしく生きるべきだ」という社会からの強い圧力を受けながら、そうできないひとたち
これがそのまま本書のコンセプトになった。
ちょうどその頃、20代のライターや編集者と話をする機会があった。ニュースサイトのインタビューで「最近の若者たちは人生を“無理ゲー”のように感じているのではないか」と述べたのだが、興味深いことに、2人ともこの言葉が「刺さった」のだという。
私はゲームにはまったくの素人で、この表現はたまたま思いついただけだが、それに強いインパクトがあることを彼らから教えられた。こうして、本書のタイトルが決まった。
クラウス・シュワブは、世界じゅうからリーダーたちを集める「ダボス会議」で知られる世界経済フォーラム(WEF)の創設者だ。シュワブは日本の新聞社のインタビューに答え、コロナ禍を体験した2021年のテーマは「(世界の社会経済システムを考え直す)「グレート・リセット」になるとしてこう語った。(*)
(リセット後は)資本主義という表現はもはや適切ではない。金融緩和でマネーがあふれ、資本の意味は薄れた。いまや成功を導くのはイノベーションを起こす起業家精神や才能で、むしろ「才能主義(Talentism)」と呼びたい。
これからの世界は、(貨幣が支配する)資本主義を脱却し、(評判が支配する)才能主義に変わっていくのだという。「資本主義」では「資本のない者」でも生きていくことはできるが、「才能主義」の世界では「才能のない者」はどうなるのか? これが私の素朴な疑問だ。
世界は「リベラル化、知識社会化、グローバル化」の巨大な潮流のなかにあると、私は繰り返し述べてきた。資本主義は、「自分らしく生きたい」「より幸せに(ゆたかに)なりたい」という“夢”を効率的にかなえる経済制度としてまたたくまに世界じゅうに広がった。その資本主義がいま、ある種の機能不全を起こしているのは確かだろう。
だが資本主義を「脱却」したあとには(もしそのようなことができるとして)、より効率的に“夢”をかなえる未来がやってくるだけだ。なぜなら、社会・経済制度がどのように変わろうとも、ヒトの脳に埋め込まれた「欲望」のプログラムは変わらないから。わたしたちは、ものごころついてから死ぬまで、「自分らしく生きる」という呪縛にとらわれ、あがくほかないのだ。
本書で述べたのは、とてもシンプルなことだ。あなたがいまの生活に満足しているとしたら素晴らしいことだが、その幸運は「自分らしく生きる」特権を奪われたひとたちの犠牲のうえに成り立っている。
ひとびとが「自分らしく」生きたいと思い、ばらばらになっていけば、あちこちで利害が衝突し、社会はとてつもなく複雑になっていく。これによって政治は渋滞し、利害調整で行政システムが巨大化し、ひとびとを抑圧する。
「リベラル」を自称するひとたちには受け入れがたいだろうが、リベラル化が引き起こした問題をリベラルな政策によって解決することはできない。すべての“不都合な事実”は、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを示している。
ヒトの認知能力には限りがあるので、わたしたちは複雑なものを複雑なまま理解することができない。こうして、「なにか邪悪なものが世界を支配している」と考えるようになる。この陰謀思考の標的は、右派では「ディープステイト」、左派では「資本主義」が最近の流行のようだ。
だがどれほどワラ人形に呪詛の言葉を投げつけても、この巨大な潮流をせき止めることはもちろん、流れを変えることすらできないだろう。
それに加えて日本の若者たちは、人類史上未曾有の超高齢社会のなか、増えつづける高齢者を支えるという〝罰ゲーム〞を課せられ、さらには、1世紀(100年)を超えるかもしれない自らの人生をまっとうしなければならない。この状況で「絶望するな」というのは難しいだろう。
それにもかかわらず、きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)を、たった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。
わたしたちは、なんとかしてこの「残酷な世界」を生き延びていくほかはない。
2021年6月 橘 玲
*「資本主義の「リセット」議論を WEFシュワブ氏21年のダボス会議テーマに」日本経済新聞(電子版)2020年6月3日